「失敗してもいい。とにかく挑戦することが大切だ」

若い頃なら、それでいいと思う。

たくさん挑戦して、たくさん失敗する。
そこから学び、自分の経験に変えていく。
失敗できる時期に失敗しておくことには、大きな意味がある。

しかし、社会に出れば話は少し変わってくる。

仕事には、お客様がいる。
会社があり、社員がいて、取引先がいる。
自分の判断ひとつに、お金や時間、そして誰かの生活が関わっていることもある。

だから私は、「失敗してもいいから、とりあえずやってみよう」という考え方だけでは足りないと思っている。

考える。
行動に移す。
そして、成功させる。

そこまでが仕事ではないだろうか。

もちろん、どれだけ考えても失敗することはある。
未来を100%予測することなど、誰にもできない。

それでも、実行する前にどれだけ考え抜いたのか。

自分の考えを、いろいろな角度から検証したのか。
成功する道筋だけではなく、「どこで失敗する可能性があるのか」まで考えたのか。

私は、ここが非常に大切だと思っている。

そして今、そのための強力な道具としてAIがある。

私はAIに「答えを考えてもらう」という使い方を、あまりしたくない。

まず、自分で考える。

「こうしたい」
「こうすれば成功するはずだ」
「最終的には、こういう状態にしたい」

そこまで自分の頭の中で徹底的に組み立てる。

道筋が見えたところで、AIに聞く。

「この計画の弱点はどこか?」
「自分が見落としているリスクはないか?」
「失敗するとしたら、どこから崩れる可能性があるか?」
「別の角度から見た場合、この判断は本当に正しいか?」

つまり私は、AIに自分の代わりに考えてほしいのではない。

自分の考えを、AIに壊してもらいたい。

それでも壊れなければ、実行する確信はさらに強くなる。

逆に、自分では完璧だと思っていた計画に穴が見つかれば、実行する前に修正できる。

そうやって失敗する要素を、一つずつ潰していく。
ゼロにはできなくても、限りなくゼロに近づけてから勝負する。

これこそ、AIの非常に有効な使い方ではないだろうか。

一方で、少し怖いとも感じている。

AIが便利になればなるほど、人間は「考える」という作業そのものをAIに任せるようになるかもしれない。

何か問題が起きたら、すぐAIに聞く。
文章もAI。
企画もAI。
判断もAI。

そして最後には、AIが出した答えを「自分の考え」だと思うようになってしまう。

それでは、最初に自分が考えていたものと、出来上がったものがまったく違っていても気づけない。

だからこそ私は、順番が大切だと思っている。

まず、自分で考える。

そして、完成した姿をできる限り鮮明にイメージする。

そこからAIと議論する。

AIの意見が自分と違えば、「なぜ違うのか」を考える。
AIの方が合理的なら、自分の考えを修正すればいい。
それでも自分の考えの方が正しいと思うなら、その理由をさらに突き詰めればいい。

AIに従うのでもなく、AIを否定するのでもない。

優秀な意見を持つAIと、人間が対等に議論する。

私は、そんな付き合い方をしていきたい。

おそらくAIは、これからさらに賢くなる。

だからこそ、人間に必要なのは「AIより多くの知識を持つこと」だけではないと思う。

何を実現したいのか。
なぜ、それをやるのか。
どんな結果を成功とするのか。

その答えを最初に持つのは、人間でありたい。

そしてAIを使い、自分の考えの甘さや思い込み、見落としを徹底的に潰していく。

考える。
確信を持つ。
実行する。
そして、成功させる。

「失敗してもいいから頑張れ」

確かに、それが必要な時期もある。

しかし、責任を背負って仕事をするようになれば、私はそれだけでは綺麗事だと思っている。

失敗から学ぶことは大切だ。

でも本当に大切なのは、避けられる失敗を、考えることで事前に避けること。

AIがこれだけ優秀になった時代だからこそ、最後まで「考えること」を手放さない。

それがこれからの時代に残る、人間の大切な役割の一つなのではないだろうか。