~牧場の取材にて~
「こちらの牧場ではこのような環境で丁寧に豚を飼育しているんですね~」
「えぇ、豚たちもおいしい餌をあげると喜んで食べるんですよ♪」
……
「さぁ、これが先ほどの豚です!どうぞ!」
ときたら、食べられないほど気にしはしないかもしれないけれどちょっと嫌だ。
テレビで見た光景なだけですけど、“先ほどの豚”というのがやけに生々しい。
でもじゃぁ、そこで関係ない牛が出てくる分には何も思わないということなのか?
全くもって勝手な同情というか、我ながらご都合主義な生き物観です。
~高級レストランにて~
「まだお母さんの乳しか飲んでいない子羊のお肉を贅沢に使っております!どうぞ!」
ときても何か生々しくて嫌だ。いっそ「羊の肉です」でいい。
でもじゃぁ、老いた羊ならいいのか?これまた本当になんとなくの嫌悪でしかないですね。
でも一応、それをわかってはいるつもりなんですよ。
それでもって「生き物の恵に感謝しろ!いただきますは大地に言うんだ!」みたいなのが苦手です。
荒い言い方すると「それであんたは全てに対してそんなにいつも感謝してんの?」って。
自分が気にするべきだと思ったところを自分勝手に気にしている、結局はなんとなくでしかないと思うんですよね。
それを否定する気は全くなくって、そうとしか生きていけないですけれども、なんとなくはなんとなくであることをわきまえるべきだと僕は思います。
他人に押し付けるようなものじゃぁない。
ひどいときには「残さず食べるのが殺された方に対する礼儀」とか。これもまたそのように考えて活動していくことに関してはどうとも思いませんが勝手にこちらの精神性の問題に昇華しているようで、命を無駄にするとかしないとか本当に勝手な(相手に無関係な)考えでしかないよなぁと。
人間の中でも区切り自体曖昧なのにんなこと相手方は知らんでしょ。
知らないですよ。ヤツらが悲しいのか嬉しいのか痛いのか寒いのか同じ概念を持たないのかなんなのか。
それを勝手に判断することは傲慢ではないのかと。
だから可哀想であるか可哀想でないかはわからない。各々が「きっとこうだ」と思うのは自由でもなんとなくでしかない。
基準はどこなのかって話が好きで今回も例によってなんですけど。
本当に多いじゃないですか。「これはいい、これはダメ」の基準が結局なんとなくでしかないのに他人に強く押し付けられるケース。
対話するなら表面上の合理くらい必要だと思うのですが。
「昨今の若者の日本語は乱れている」とかも、じゃぁあんた古文まで戻らないのはなんでか言えやと。
なんか自分、何が言いたいんだろう。