コイントスで表が出る確率は1/2、2回連続で表が出る確率は1/4だが、2回連続で表が出た後のコイントスで表が出る確率は何分の一か。

……彼女をひっかけた問題。

コインは前回出た目など覚えていませんから、それまで何回表が続いていようが新たな一度の試行の確率は五分五分ですね。


野球の試合で「この日3打数3安打」の打者について、「絶好調だから警戒すべき」というのが当たり前の意見としてまずあるのですが

それに対して「4打数4安打なんてことは滅多にないから逆に打たない」という表現がたまに出ます。

しかしこれもコイントスと同じで、(それまで打っているため逆に力む、などの要素を無視して確率の問題について話す限り)それまで打っていたからといって全体の割合を調節するように打てなくなることはないです。

ちょっと前にイチローが「3の3で迎えているバッターが次にきていることも踏まえたのかもしれない。3本打った後の4本目は出る可能性は低いからっていうことを計算してたら大したもん」という内容をメディアに語りましたが、これはジョークってことになります。

競技のことを単純に考えれば、その日は調子がいいんだから打つ可能性が高いと考えるのが普通ではないでしょうか。

(ただ一時期僕、3-3の後はもう打たないんじゃとか本気で考えてました)


前にも同じこと書いたかもしれませんが、コイントスで10回連続表が出たとして、その後表と裏が同じ割合で出て行くと、全体に対するそれぞれの割合はどうなっていくか。


試行 表割合 裏割合
10 10 0 1.000 0.000
50 30 20 0.600 0.400
100 55 45 0.550 0.450
500 255 245 0.510 0.490
1000 505 495 0.505 0.495

やっぱり表の割合が減っていくから裏が出やすくなっているのではないか?と思いかけたあの夏。

全体に対する「偏った結果」の割合が減っていくというだけですね。最初に生まれた10の差は埋まっていない。

まぁ10回連続で表が出た場面から比べたらその後のほうが裏が多いことは間違いないですが

本来の確率に調節する力、みたいなものが働いていなくても数を増やせばこうなっていくという当たり前の話です。


僕はこれがプラマイゼロ理論 の正体だと思うんです。

「調節する不思議な力」が働かなくても生きていれば偶然的な要素はゼロ(平均的な範囲)に落ち着いていく。

それも「うまいことゼロになる」んじゃなくて、落ち着く場所を人間がゼロだと思うということ。

これなら「生きていると良いことと悪いことはプラマイゼロなんだぜ」ってのは当たり前も当たり前の話になります。

ただ「人生プラマイゼロ」の格言(?)の中には字面通りの意味だけでなくことわざ的に何か別次元の意味合いも含まれているかもしれませんし、ただそれだけと受け取るのは筋違い・つまらないことかもしれませんけどね。


うーんまぁ今回も、なんでこんなこと書いているのかわからないし

わかったように書いたようでいて何か意味のあることを書けたのは疑問。哀愁。