『もし、妻が夫を嫌悪していっしょにいられないといったとき、妻の事情を調べ、妻に過誤がなく、夫が外出しがちで、妻を蔑ろにしたときは、妻は持参金をもって実家に帰ることができる』――ハンムラビ法典142条
ハンムラビ王が前18世紀とか書いてあるからこの法が作られたのは2000年や3000年そこらじゃない昔ですね。
その頃にはもうこんなこと言っていたんだ、と思うとなんか面白くもあり。
何千年前なんてどうせ適当に野生的に生きてたんだろ、なんて思ってしまいがちな自分がいますが実際は違ったようです。
ふと思いますが、これまでの記憶とか消し去られて今の都市を消し去られて、さて何か決まりを作らなければって状況(要はその昔初めて立法した人と同じ状況)に立たされたら自分はどんなルールを作れるんだろう。
今何か新しいことをやるのに決まりを作りましょうって言われても決まりの見本がいっぱいあるからなんとなくは考えられる気もしますけどね。
法律とかって次元からは飛ぶかもしれませんけれども
昔はその、定規ができてないっていうか、記号にもなってないっていうか
例えばハンムラビ法典の頃は、奴隷は今でいう人権がないような状態だったみたいですけど
改めて考えれば人間に近い猿をどう扱うかとか、どこまでが「にんげん」か、そっから線を引く作業をしなきゃいけないんですよね。そもそもは。
今は人間は人間として扱いが確立されちゃってますけど、別な個体なことに変わりはないし、今人間とライオンが争うように人間と人間が争ったって本当は不思議はないと思う。
その昔はそれこそ突然出会うライオンと向き合うように、狼と向き合うように「異なるにんげん」と向き合っていたんですかねぇ。
どこから「同じにんげん」になったんだろ。
自分以外の生物ってものの捉え方が現代とは根本的に違った気がしてならないです。
テレビで賢いチンパンジーとか見ると、ちょっと気持ちを整理して符号化して伝える術を持たれてしまえば、もう彼らは人間と変わらないという感じもします。
もしそうなった際には「にんげん」の定義が拡張されるのか、なんなのか。
なんかそういうのどっかの映画でありそうな気がしてきてしまったぞ。
いつだかテレビで、確かチンパンジーだったと思うんですけど、うどんを作っているのを見て衝撃受けましたね、なんだか。
それも適当にガチャガチャやるんじゃなくてちゃんと人間でも食べれるような感じでキレイに作ってて。
そういや本で、人間は他の動物や自然の摂理を見てすげーすげー言うけどそれをカメラで撮ってテレビで全国に流して数十階建てのマンションでクーラー効かせながら見てるあんたらのほうが遥かにすごいだろみたいな話を読んだ気がしますが(だから個人的にもお猿さんがなんか芸とかやってて「すごーい」っていうのは元々はどっか違和感ある。うどんは驚いてしまったけれど)、まぁだったら何という話。