わが闘争
といってもヒトラーの著作ではない。堤玲子さんという方が書かれた小説である。内容は言わない。ぼくが持っているのは角川文庫版のものだ。もし、どこかで見かけることがあればお勧めします。
しかし、ぼくが最初に読んだ堤さんの作品は「わが闘争」ではなくて「美少年狩り」だった。いまならタイトルを見ただけで引くだろうけれど(笑)、あの頃――ああ、若かったんですねえ。思わず買っちゃいました。タイトルが示すとおりエッチな小説ですが、読んでいてただエッチしているだけじゃないって、若いなりに感じました。これは「わが闘争」以上に入手困難かもしれませんが、どこかで見かけることがあって、ふとそんな気になれば(^_^;)、買ってみてください。損はしませんん。
黒い牡牛
ロバート・リッチの「黒い牡牛」じゃありません。
ちょっと本題に入る前に、ロバートリッチ(ドルトン・トランボ)がどういう人か知りたい方はこちらにどうぞ→ドルトン・トランボ 。立派な人です。「栄光なき天才たち」という漫画があって、その原作のシナリオがここにあります。いいですこれ。
このシリーズの中には後に有名になる「疵」もあります。陣内孝則主演で映画化されたあれです。映画の原作は本田靖春さんのルポですが、「栄光なき天才たち」のなかの「疵」もいいです。……でも、もしかしたらこれは収録されていないかもしれない、そのときはごめん。
話を戻します。
「黒い牡牛」は長谷川きよしのアルバム「Another Door」に収録されている一曲である。この歌の歌詞に、
『ぼくらは世界と折り合い、永遠を手に入れる』
というフレーズがある。昔からこのフレーズがとても好きで、よく口ずさんでいた。
昨日、我らが中ちゃんがBlogで、「出会い」と「別れ」に関係したことを書いていた。それを読んだとき、なぜかこのフレーズが頭に浮かんだ。
「出会い」と「別れ」
ぼくなりに意訳すれば、ひとつの状態が無限に続くことはないということだ。当たり前といえば当たり前のことなのだが、存外、ぼくはこの事実を忘れる時がある。というかこの心地よい状態がずっと続いてもらいたいと思うときがある。つまりぼくは永遠が欲しいわけだ。しかし、ひとつの状態が永遠に続くことはありえないし、もし続くのならそれはちっとも心地よい状態ではないかもしれない。
この世界に永遠に変化しないものはいという現実を受けれいることが、永遠を手に入れることだと「黒い牡牛」のこのフレーズは歌っているような気がする。ほんとうにそうなのかどうかは作詞した中山千夏さんに訊いてみる以外にないが、「そんなわけないでしょう」と、嘲笑われるだろうな、多分……(笑)。
ぼくは決して宗教的な人間でも哲学的な人間でもない。だから普段はそんなことを考えたりしない。先のことなど考えず、とりあえずが楽しければいいと思っている。そんなぼくが柄にもなく、「盛者必滅、会者定離」的なことを考えたのは、徹夜で疲れていたせいと……うーん、きっと中ちゃんのせいだな。
とにかく中ちゃんのBlogを職場でこっそり携帯で読んでいて堤玲子さんのことや、「黒い牡牛」のことを考えたりしていた。
といってもヒトラーの著作ではない。堤玲子さんという方が書かれた小説である。内容は言わない。ぼくが持っているのは角川文庫版のものだ。もし、どこかで見かけることがあればお勧めします。
しかし、ぼくが最初に読んだ堤さんの作品は「わが闘争」ではなくて「美少年狩り」だった。いまならタイトルを見ただけで引くだろうけれど(笑)、あの頃――ああ、若かったんですねえ。思わず買っちゃいました。タイトルが示すとおりエッチな小説ですが、読んでいてただエッチしているだけじゃないって、若いなりに感じました。これは「わが闘争」以上に入手困難かもしれませんが、どこかで見かけることがあって、ふとそんな気になれば(^_^;)、買ってみてください。損はしませんん。
黒い牡牛
ロバート・リッチの「黒い牡牛」じゃありません。
ちょっと本題に入る前に、ロバートリッチ(ドルトン・トランボ)がどういう人か知りたい方はこちらにどうぞ→ドルトン・トランボ 。立派な人です。「栄光なき天才たち」という漫画があって、その原作のシナリオがここにあります。いいですこれ。
このシリーズの中には後に有名になる「疵」もあります。陣内孝則主演で映画化されたあれです。映画の原作は本田靖春さんのルポですが、「栄光なき天才たち」のなかの「疵」もいいです。……でも、もしかしたらこれは収録されていないかもしれない、そのときはごめん。
話を戻します。
「黒い牡牛」は長谷川きよしのアルバム「Another Door」に収録されている一曲である。この歌の歌詞に、
『ぼくらは世界と折り合い、永遠を手に入れる』
というフレーズがある。昔からこのフレーズがとても好きで、よく口ずさんでいた。
昨日、我らが中ちゃんがBlogで、「出会い」と「別れ」に関係したことを書いていた。それを読んだとき、なぜかこのフレーズが頭に浮かんだ。
「出会い」と「別れ」
ぼくなりに意訳すれば、ひとつの状態が無限に続くことはないということだ。当たり前といえば当たり前のことなのだが、存外、ぼくはこの事実を忘れる時がある。というかこの心地よい状態がずっと続いてもらいたいと思うときがある。つまりぼくは永遠が欲しいわけだ。しかし、ひとつの状態が永遠に続くことはありえないし、もし続くのならそれはちっとも心地よい状態ではないかもしれない。
この世界に永遠に変化しないものはいという現実を受けれいることが、永遠を手に入れることだと「黒い牡牛」のこのフレーズは歌っているような気がする。ほんとうにそうなのかどうかは作詞した中山千夏さんに訊いてみる以外にないが、「そんなわけないでしょう」と、嘲笑われるだろうな、多分……(笑)。
ぼくは決して宗教的な人間でも哲学的な人間でもない。だから普段はそんなことを考えたりしない。先のことなど考えず、とりあえずが楽しければいいと思っている。そんなぼくが柄にもなく、「盛者必滅、会者定離」的なことを考えたのは、徹夜で疲れていたせいと……うーん、きっと中ちゃんのせいだな。
とにかく中ちゃんのBlogを職場でこっそり携帯で読んでいて堤玲子さんのことや、「黒い牡牛」のことを考えたりしていた。