金沢栄東 という歌手を知っている人が何人いるだろう。

 ぼくがはじめて金沢栄東を見たのは、名古屋にあった『ユッカ』というライブハウスだった。カルチャーショックを受けました。びっくりした。さして大きくもない地下の店で、まさかこんな凄いミュージシャンの演奏を聞けるなどとは思ってもいなかった。世間の広さというものをつくづく感じた瞬間だった。

 その後、ぼくは社会人になり、はじめて金沢栄東を見たライブハウスもなくなった。それでも金沢栄東は歌い続けていた。ただ見る機会は少なくなっていた。

 それからまた何年かたち、金沢栄東という名前は、ぼくの中で完全に過去のものになった。最近になって、なぜか思い立ち、インターネットで検索をかけてみた。

 嬉しかった。金沢栄東は名古屋に住んでまだ歌い続けているらしい。あの歌声とハーモニカをまた聴くことができるのである。

 金沢栄東はブルースを歌う。ハーモニカ――ブルースハープは涙ものです――の名手だ。ギターも味があった。声はやや高く、哀愁があった。

 消息について知ろうと思い立ち、インターネットで調べているときにわかったことだが、かつて金沢栄東をティービー・ワンダーのイメージで売り出そうとしたことがあったという。ラテン(必ずしもそうではないが)のフォセ・フェリシアーノのイメージがある長谷川きよし(きよしさんごめんなさい、フォセときよしさんはまるで別だとわかっているんです)に対抗して、こちっはスティービーだと安直に考えたのかもしれない(考えたのはプロなんだけどね……)。

 金沢栄東は視覚障害者だ。杖を手放させて、高い靴を履かせ、サングラスをかけさせる――金沢栄東はそれを突っぱねた。自分の生き方とはちがう。そう思ったのだという。

 どんな生き方を選ぶか、それはもちろん個人の自由だ。売り出そうとする業界に背を向けたのも、もちろん金沢栄東の選択でぼくたちがとやかく言うことではない。それに業界の意向に従ったからといって、必ずスティービー・ワンダーになれたとは限らない。勝目梓という作家が最近出した自伝の中で、いくら売れるためとはいえ、心向きでないものは書けないものだというようなことを書いていた。過去の出来事に「if」を持ち出すのはよくない事もわかっている。

 ……でも、その話し(金沢栄東=スティービー)を知ってからというもの、ぼくはどうしても《もし》を考えてしまう。実力は申し分ないのだ。もしかしたら、金沢栄東は日本のスティービー・ワンダーとして広く世間に認知され、そして、たった一人の金沢栄東になれたかもしれない。

 こんなことを考えるのは金沢栄東に対して失礼なことかもしれない。しかし、職業柄、人に評価されるのは仕方がないと思ってください。ごめんなさい。

 話を続けます……

 ぼくは超弩級のマイナー人間のわりに、案外メジャー志向のところがある。ぼくが好きなものは、皆も好きになって欲しいと思う。この最大の被害者は同居人なのだが、それはともかく、やっぱりミュージシャンである以上、売れることを考えても別に罪ではないように思う。

 問題は売れるために妥協するかどうか……。

 ぼくはサラリーマンを長くやっている。すると妥協することにも慣れてしまう。自分の陣地を一ミリも譲らす生きていける人間はいない。誰だって何某かの妥協はしているはずだ。ほんの少しの妥協でより大きなものをつかめるのなら……

 やっぱりこの問題は難しい。結局、選んだものが最良のものだったのだと考えるしかないのかもしれない。

 とにかく、金沢栄東が歌い続けてくれていたことが、ぼくにとって喜ばしいことだ。