阿弖流為のこと | るーちゃんのブログ

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辻本    阿弖流為のこと―

中村    うす暗闇(くらやみ)の、その部屋には、物音(ものおと)一つない静寂(せいじゃく)がありました。明かりといえば、小さな窓から、細く、青白い月明りが一筋(ひとすじ)、さし込むのみ。その月明りが照らし出すのは、距離をとり、向かい合う男の影(かげ)、二つ。けれど、布(ぬの)ずれの音(おと)が時おりするばかりで、共に口を開こうとはしない
二つの影は、互いにその姿を見つめながら、そこにいない、三人目の男のことを考えていた。かつての英雄、かつての仲間
三上    かつての友
辻本    かつての・・・
三上    その身(み)を失ってなお、心に焼き付くその姿を
辻本    そしてその笑顔を・・・
中村    男の一人は、彼の屈託(くったく)ない笑い声を思い出し、つい吹き出してしまう。もう一つの影が、それをいぶかしがる様(さま)が分かったので、男はそれを打ち消すために話し出した
母礼    いえ、つい阿弖流為のことを思い出して
中村    母礼はそう言うと、正座をしていた足を崩した。対峙するもう一つの影、田村麻呂はそれでもなお足を崩さず、母礼の次の言葉を待った
母礼   (笑い話)彼には、大五郎(だいごろう)という友達がいたのです
田村麻呂  大五郎・・・?
母礼    ツキノワグマの大五郎
田村麻呂 (多少驚き)熊ですか。なるほど、阿弖流為らしい
母礼    私と知り合う前からの古い友達で、よく力比(ちからくら)べをしていたのです。タヌキなんかを行司(ぎょうじ)に、相撲(すもう)をとって
田村麻呂  タヌキを行司に、熊と相撲を・・・
母礼    どこかで聞いた昔話(むかしばなし)のようでしょう。阿弖流為は、その昔話と同じように、いえ、もっと凄いのかな、圧倒的に勝ってしまうんですよ。ツキノワグマ相手なのに、子供と大人くらい力量(りきりょう)の違いがあって。はっけよーい、のこった!を、言い切る前に、大五郎をポーンと投げ飛ばしてしまうのです
田村麻呂  空飛ぶツキノワグマですか
母礼    はい。初めて勝ったのは五歳になる前だと言っていました。ちゃんと言葉を覚える前に、相撲のルールを肌で覚えたんだそうです。泥をかためて作った土俵(どひょう)から、いつも大五郎は転(ころ)げ落ちていました。もっと先まで吹っ飛ばされたこともあります。阿弖流為が十歳を超えた頃には、大五郎とは、勝負にならなくなってしまって・・・
田村麻呂  そうでしょうね
母礼    それでも阿弖流為は、大五郎と相撲を取り続けたんです
田村麻呂  勝てると分かり切っている勝負なのに?・・・阿弖流為は、争いを嫌い、弱いものに優しい男だと思っていましたが、違う一面もあったのですか
母礼    そう思うでしょう? 私も同じでした
田村麻呂  はい
母礼    幼い日の私は、阿弖流為に言いました。「いくらやっても大五郎はお前に勝てないよ。そんな勝負をするなんて、意地(いじ)の悪い奴だな」
田村麻呂  ええ
母礼    なんて答えたと思いますか
田村麻呂  ・・・阿弖流為ならば、ええと、そうですね、(真似せず棒読み芝居で)「ああそっか、もう相撲はしないよ」・・・でしょうか?
母礼    そう思うでしょう? ですが違ったのです
田村麻呂 (恥ずかしそうに)違いましたか
母礼   「大五郎はツキノワグマだ。熊(くま)は、森の王者(おうじゃ)だ。そんな大五郎に、手加減(てかげん)するほうが失礼じゃないか。俺は大五郎が相撲を挑(いど)んできたなら、いつでも全力(ぜんりょく)で相手になる。全力であいつを負かす。それが、大五郎への礼儀だろう」
田村麻呂 (つい笑ってしまう。ははっ・・・程度)
母礼   (共に笑う。ふふ・・・程度)
田村麻呂  なるほど、そうですか。阿弖流為らしい
母礼    ええ、彼らしいですよね。他の遊びを覚えもしたのですが、おしくらまんじゅう、腕(うで)相撲(ずもう)、指(ゆび)相撲(ずもう)、鬼(おに)ごっこ、なにをしても友達をケガさせて、ケガをした本人よりも大声で阿弖流為が泣くのです。みんなも彼の怪力(かいりき)を学習(がくしゅう)して、ケガにならない遊びを提案(ていあん)するのですが、川で泳ぎの競争をすれば、川の水をガブガブ飲み込んで水流(すいりゅう)ごと変えてしまったり、やっほーと大声(おおごえ)を出して山びこ遊びをすれば、地響(じひび)きのような叫び声をあげ、寝起(ねお)きの悪いアラハバキ神(しん)を起こしてしまって大雨(おおあめ)が降ってきたりと散々(さんざん)なもので。けれど、みんなはそんな阿弖流為が好きでした
田村麻呂  私は、彼にクイズを出されたことがあります
母礼    どんなクイズですか
田村麻呂  俺の好きなおにぎりの具は、なんだ。という問題でした
母礼   (考え)阿弖流為の好きなおにぎりの具か・・・
田村麻呂  なんだったと思いますか
母礼    シャケ
田村麻呂  惜しい
母礼    では、梅干し?
田村麻呂  惜しい
母礼    分かった、甘く煮た獣(けもの)の佃(つくだ)煮(に)でしょう
田村麻呂  惜しい。さすがは阿弖流為の右腕(みぎうで)、母礼殿だ
母礼    シャケと梅干しと佃煮に共通点はありませんよ。どこが惜しいのですか
田村麻呂  それら全てを、阿弖流為は思い浮かべたのです。そして結局、どれも選ぶことができなかったのです
母礼    答えのないクイズですか
田村麻呂  ええ
母礼    まったく、あいつときたら
田村麻呂  彼は、どんな人間が好きだったのでしょうか
母礼    人間ですか
田村麻呂  はい、おにぎりの具でも、森の獣でもなく、人間だったら、どんな人間が・・・
母礼    そうですねぇ・・・
中村    田村麻呂が母礼の言葉をじっと待つのを知ってか知らずか、母礼はさっと話題を変えた
母礼    そういえば、私が初めて馬に乗った時
田村麻呂 (話題が変わり戸惑いつつ)ええ
母礼    蝦夷の子供たちは、七歳で馬の乗り方を習います。それまでにも、馬と接する機会はあるのですが、戦術(せんじゅつ)としての騎馬(きば)を、きちんと習い始めるのが七歳の頃なのです。そういった決まりがあるわけではありませんが、長い戦(いくさ)がありましたからね、いつしかそんな習(なら)わしになっていて
田村麻呂 (少々気まずく)ええ
母礼    田村麻呂殿が気にすることではありませんよ。私たちの戦(いくさ)は、あなたが参戦(さんせん)するよりもっと、ずっと昔から続いていましたからね
田村麻呂  はい・・・
母礼    それで、乗馬(じょうば)を習った時のことなのですが、皆が、おっかなびっくり馬の背にまたがる時に、阿弖流為は・・・
田村麻呂  一人、見事に乗ってみせたのですか
母礼    それが違うのです
田村麻呂  獣(けもの)の心が分かる阿弖流為が、馬を上手(じょうず)に扱えなかったのですか?
母礼    彼は叫びました。・・・「ディープインパクトは、今日(きょう)、人に乗られたくない気分なんだ!」
田村麻呂  ディープ・・・なんですと?
母礼    馬の名前です。阿弖流為が勝手に命名(めいめい)しました。誰より早く、さっと馬の背に乗ってみせたのですが、誰より早く転げ落ちました。そして自分が落ちたことは、馬の気分ではなかったからだと言ったのです。乗ってほしくない相手に乗るなんて失礼だ!と怒り始めて・・・
田村麻呂  馬に失礼だと・・・?
母礼   「みんなだって、友達をおんぶしたい時と、そうでない時があるだろう」などと言うのですが、私たちにはさっぱりわかりませんでした。だって相手は言葉も通じない馬ですからね。馬は人間の乗り物、そう思っていましたから。馬に対して「今からちょっと背中に乗っていい?君に、どこそこまで連れていってほしいんだ」なんて語り掛けている阿弖流為を、私たちは変な奴だなと、白い目で眺(なが)めたものです
田村麻呂  なるほど、それは・・・
母礼    とても阿弖流為らしい
田村麻呂 (笑みがこぼれ)ええ、阿弖流為らしいですね
母礼   (ムツゴロウさんの真似を始める)
田村麻呂  母礼殿?
母礼   (ムツゴロウで)いやー、ライオンはですねぇ、眼鏡も人間の一部と思いますからねぇ、こう、噛みついてきたら、受け止めてあげなきゃですねぇ
田村麻呂  ムツゴロウ・・・?
母礼    畑 正憲(はた まさのり)さんですね
田村麻呂  あ、本名の方(ほう)で
母礼    それを超える、動物(どうぶつ)愛(あい)だったわけです
田村麻呂  はあ・・・
母礼   (断言)言葉ではないのです。命あるもの、なぜ対等(たいとう)に話せないのか。阿弖流為はそんな男でした。だから、私なんかとも友達になったのです
田村麻呂  母礼殿は、誰からも好かれる好人物(こうじんぶつ)でしょう?
母礼    いえ、そんなことはありません。私は、誰からも立派だと称(たた)えられる人物(じんぶつ)でありたいと願っておりました。知識を蓄(たくわ)え、軍略(ぐんりゃく)で秀(ひい)でることこそ、自分が他のみんなから一目(いちもく)置かれる方法(ほうほう)だと考えていたところがあります
田村麻呂  結果、母礼殿の戦略は、蝦夷の民(たみ)の力となったのでしょう?
母礼    私でなくとも考え付いた程度の策ですよ
田村麻呂  まさか。私たち朝廷軍は、何度あなたの軍略にしてやられたことか
母礼    学びさえすれば、身につくものです。私はそれで、己(おのれ)を守っていたのです
田村麻呂  守る?
母礼    はい
田村麻呂  なにからでしょうか
母礼    なにからでしょうね
中村    遠くを牛車(ぎっしゃ)が通る音がする。どこかの貴族が闇に紛れ、好いた女のもとにでも出向いたのであろうか。田村麻呂はふと、奥州の山々を思い出した。そこは風であれ、雨であれ、優しい音に満ちた場所であったなと
母礼    ・・・阿弖流為のことを、頭の悪い奴だと思っていました。愚かで、馬鹿な男だと。しかしその反面、私は幼き頃から彼に惹かれていた
田村麻呂  はい
母礼    友達になるのが怖かったんです
中村    そして母礼は口をつぐんだ。田村麻呂は、少しの時間、阿弖流為と初めて会った森での出来事を思い返し、そして再び母礼を見つめた。同じ男に惹かれ、その友を失った者同士、語り会える僅(わず)かの時だのに、今、それはまるで砂のようにこぼれていく。取り返しのつかない事を、取り返せないと悔やむことほど、悲しいことはない。田村麻呂は突如、うす暗がりの向こうにいる母礼へ座を正し、頭を下げた
田村麻呂 (突如真剣に、強く)力、及ばず、申し訳なかった!
母礼    田村麻呂殿はご立派です
田村麻呂  …。
母礼    あなたは、この戦(いくさ)の結末を、両者の和議(わぎ)へと導き、蝦夷の民(たみ)を守って下さった。おかげで多くの命が救われました。頭をあげて下さい
田村麻呂  阿弖流為だけでなく、母礼殿まで・・・!
母礼   (突如明るく話題を戻し)さっきの質問ですがね。阿弖流為はおにぎりの具を選べなかった。彼の中では、どれも一番だったから。そんな阿弖流為が、どんな人間が好きって・・・決まってるじゃありませんか
中村    田村麻呂は、頭を下げたまま、彼の話の先を待った
母礼    どんな人間も好き。阿弖流為とはそういう男です。ですから私も、リーダーの座と共に、そんな彼の考え方を受け継ごうと決めました。私はリーダーの器(うつわ)なんかではないのですがね。(笑い)やってみると、思いのほか新しい喜びもあって
母礼    田村麻呂殿
田村麻呂  はい
母礼    私にとっても、蝦夷の民を救うことが1番の願いです
田村麻呂  その願いを、裏切る真似だけはしないと、ここに誓いましょう
中村    部屋を照らしていた月にかかる雲が晴れ、二人の男の姿が浮かび上がる。真っすぐに母礼を見つめ、座を正す坂上田村麻呂。材木(ざいもく)で組まれた格子(こうし)の牢屋の中で、同じように座を正し田村麻呂を見つめ返す蝦夷母礼。今宵は、彼の処刑前夜
母礼    そんな悲しい顔をしないで下さい
田村麻呂  私が悲しい顔を?そんなことを言われたのは初めてです
母礼   (洒落としてふざけ)阿弖流為のように無駄に豊かな表情ではありませんが、その無表情を装(よそお)った奥に後悔が滲(にじ)んでいて。処刑される私の方が申し訳なく思ってしまいますよ
田村麻呂 (真剣に)それは、とんだ無礼を・・・!
母礼    はは。冗談です。嬉しかったですよ。こうしてあなたと阿弖流為の話が出来て。さて、私は少し眠ろうと思います
田村麻呂  私としたことが、長居(ながい)致してしまいましたね
母礼    いいえ。田村麻呂殿、お達者で
田村麻呂  忘れません
母礼    なにをです
田村麻呂  阿弖流為のこと。母礼殿、あなたのこと、そして・・・
母礼    はい
田村麻呂  この戦(いくさ)のことを
中村    再び雲が風にのり、月を隠したが、田村麻呂の去り際に、母礼がもらした微笑みは、その暗闇(くらやみ)を拭(ぬぐ)うほどの温もりをたたえていた
三上    蝦夷母礼、最後の夜。
坂上田村麻呂と語らった、阿弖流為のこと