靖国神社問題と憲法改正問題  | 薔薇十字制作室:Ameba出張所

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この原稿は、アレクセイの花園 http://8010.teacup.com/aleksey/bbs  に投稿され、2005年6月1日にはてなに再投稿 http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20050601 された原稿ですが、今年(2013年)、麻生副総理ら3人の閣僚と各党の168人の国会議員らが靖国神社を参拝し、さまざまな論議を引き起こしている事と、次回、夏の参議院選の争点が、日本国憲法96条の改正問題になりつつあることを踏まえ、こちらにも再投稿します。

日本国憲法96条問題とは、憲法改正のハードルを国会議員の2/3から、1/2に下げて、改正を容易にしてから、憲法9条の平和主義に手を加えるという現在の自民党政権が考えている作戦の事を指しています。

執筆時期が2005年のため、当時の日本国首相の公式参拝を問題にしていますが、根本的な争点は変わっていません。


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■法解釈その1

靖国神社への日本国首相の公式参拝について、私なりの法解釈を展開してみよう。

日本国憲法第20条は、(信教の自由、政教分離)を規定しており、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」となっている。

首相の行為は、第20条2項で禁止している特定の宗教団体に国が特権を与えることに該当し、3項の禁止している宗教的活動に該当し、その結果として国民の信教の自由を著しく損なうことに繋がると判断できる。よって、この行為が憲法第20条に反すると考えられる。

ここで参照されるべき判例は、1985年に行われた中曽根康弘首相(当時)の公式参拝を巡る違憲訴訟である。この訴訟は福岡と大阪で行われ、1992年2月の福岡高裁では首相が公式参拝を繰り返すならば違憲となる判断を、1992年7月の大阪高裁では違憲の疑いが強いとしたが、原告の損害賠償請求自体は退けた。

具体的な不利益の存在証明がない場合、日本の司法では門前払いになる確率が高い。これは裁判件数を削減するねらいがあると考えられるが、この傾向および統治行為論による司法判断の回避などは、特に違憲訴訟の場合、憲法の理念が具体化されない現状を是認する結果につながり、ひいては三権分立のバランスを崩すことになる危険性を持っている。


法解釈その2

また、日本国憲法第89条は、(公の財産の支出・利用提供の制限)を規定しており、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」としている。

したがって、靖国神社にささげる玉ぐし料の公費支出は、憲法第89条に抵触することになる。

ここで参考となる判例は、1997年 4月「愛媛玉ぐし料訴訟」である。ここで最高裁は、愛媛県知事の靖国神社への県費支出を違憲との司法判断を下している。

なお、1977年 7月の津地鎮祭訴訟最高裁判決では、目的効果基準が導入され、地鎮祭を「宗教的儀式でなく一般的慣習」とし、違憲ではないとしている。

しかし、「一般的慣習」という言葉には、腑に落ちないところがある。国家神道の成立過程を調べると、明治15年(1882年)、内務省達乙第4号、丁第1号につきあたる。これは、神官の教導職の兼補を廃するとともに、葬儀に関与せず、神社神道を祭祀に専念するよう通達するものであった。これにより、当時の政府は、神道を葬儀に関わらないといった性格から、建前上、宗教でないとし、そうであるがゆえに神道は宗教の上位にある習俗であるとして、事実上の国教に格上げして、国家神道への布石を敷いたのである。神道が「宗教」であることを否定し、「一般的慣習」もしくは「習俗」とするのは、表向き「宗教」レベルに達しないとしつつ、実際上は「宗教」より上位のあたり前のこととして許容させるロジックである。

大日本帝国憲法(明治憲法)の28条は、信教の自由を認めているが、その直後に「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という但し書きがみられる。つまり、「一般的慣習」もしくは「習俗」を破るものは、安寧秩序を脅かし、臣民としての義務に背くことになるというわけである。

それゆえ、津地鎮祭訴訟最高裁判決は、信教の自由と政教分離原則の理念からすると、大日本帝国憲法(明治憲法)の時代にやや先祖がえりした判決であると思われる。

なお、津地鎮祭訴訟最高裁判決を元に、靖国神社への日本国首相の公式参拝をも正当化しようとするロジックがあるが、地鎮祭と靖国神社を同列に扱うことは、靖国神社の歴史的成立過程とその政治的位置づけからして、どうみても無理があると考えられる。ストレートにいえば、地鎮祭程度では死者は出ないが、靖国神社はまともに機能すると屍の山ができるということである。この靖国神社の歴史的成立過程とその政治的位置づけについては、後述する。

政教分離の原則は、政治権力がある特定の宗教と結びつき、これを優遇することによって、他の宗教に不利益をもたらすことを防止する意味合いがある。例えば、国家神道の場合、非国家神道系の神道、仏教、キリスト教等に対する公的圧力として機能する。また、無神論に対しても、強制的な信仰をさせる点で、悪しき権力として機能するのである。

さらに、政治が宗教と結びつくことにより、国民をマインド・コントロールすることを防止するという意味合いもある。


歴史的経緯

ここで靖国神社と他の神社の歴史的経緯の違いに着目してみよう。

靖国神社の前身にあたるものは、1869年(明治2年)に建立された東京招魂社である。靖国神社と改称したのは、明治12年のことである。

他の神社は、明治元年(1868年)の祭政一致の布告の際に、明治政府の直接支配下に神社・神職を組み入れることとなった。なお、このとき、神仏分離も為されている。さらに、明治4年(1871年)、太政官布告第234号により、神社を国家の宗祀とし、「官社以下定額及神官職員規則等」(太政官布告第235号)により、社格制度を定めている。社格制度とは、伊勢神宮以外の神社を官社(官幣社、国幣社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に区別する制度のことを言う。こうして神職は、官公吏となったのである。

靖国神社は、国のために殉死した兵士を軍神として崇め奉るためにつくられたものであり、以前からあった神社を明治時代になってから、国家体制の枠組みの中に組み込んだものとは歴史的経緯を異にしている。


国家のイデオロギー装置論

では、靖国神社とは、国家にとっていかなる機能を果たしていたのだろうか。

ここで、靖国神社が、戦前・戦中の日本においていかなる政治的機能をはたしたのかを見えるようにするために、アルチュセールの国家のイデオロギー装置(AIE)論という観点を導入してみよう。アルチュセールは、国家を国家権力と国家装置というふたつの層に分け、国家装置を物理的=暴力的な抑圧装置と、国家のイデオロギー装置に分ける。

国家のイデオロギー装置としては、宗教的装置・教育的装置・家族的装置・法律的装置・政治的装置・情報的装置……などが挙げられる。

この国家のイデオロギー装置は、一見バラバラであるが、それぞれが機能することによって、総体として生産諸関係-社会諸関係の再生産ブロセスの維持の方向に人々を抑圧的に向かわせる性格を持っている。ここでいう再生産とは、次の世代の生産諸関係-社会諸関係をつくることである。

戦前・戦中において、物理的=暴力的な抑圧装置とは特高警察であり、軍隊であった。一方、靖国神社や教育機関などは、国家のイデオロギー装置として、前者を補完する関係にあった。国家のイデオロギー装置は、個人の内面に自己を監視する視線を植えつける。この視線は、権力の視線であり、国家権力の意思を代行する役割を果たす。物理的=暴力的な抑圧装置を補完するように、国家のイデオロギー装置があるのは、権力のエコノミーの観点から、各個人の内面に国家権力の代理店を設ける方が都合がいいからである。

私の観点からすると、靖国神社は、戦前・戦中において帝国主義的・軍国主義的な生産諸関係-社会諸関係を再生産するための国家のイデオロギー装置である。そして、戦後、昭和20年(1945年)12月15日の連合国最高司令官総司令部(GHQ)より出された「「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」によって、政教分離が行われ、靖国神社は一宗教法人となり、国家と切り離されたが、この靖国神社という富国強兵のためのパーツは、日本国憲法(特に第9条)の改憲と、有事法制の整備とのセットになることによって、再度、新帝国主義・新植民地主義の精神的支柱として復活すべく、今なお不気味な胎動を繰り返しているのである。


大量殺戮の背景

しかし、アルチュセールの国家のイデオロギー装置論を用いても、まだ靖国神社の全容に届かない気がする。靖国神社は、帝国主義的・軍国主義的な生産諸関係-社会諸関係を再生産するという合理的な理由だけではなく、靖国神社の崇高性・至高性の秘密は、日本兵の血を吸引し、その命を蕩尽し、屍を累積することによって成り立つという不合理性をも兼ね備えているからである。靖国神社は、空襲等によって死亡した日本国民をたてまつるところではない。あくまで、戦争に赴いた兵士の亡骸をたてまつるところである。つまり、前のめりになって、敵に突っ込んだ兵士の魂だけを回収するのである。これによって、靖国神社の威圧的な崇高性・至高性が保たれ、そこから特攻隊の精神が誕生するのである。私には靖国神社とは、合理性と不合理性のアマルガムであり、帝国主義的・軍国主義的な観点から使えるものは使えという方針で成り立っているように思えるのである。このイデオロギー装置の目的は、死の覚悟性に目覚めた究極の兵士を量産することにあったと考えられる。

オウム真理教(現アレフ)については、「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」をもとに、公安審査委員会が観察処分を行っている。確かに、オウム真理教は地下鉄サリン事件等の事件を引き起こしたし、発覚がさらに遅れれば、あのサリン・プラントで生産したサリンの空中散布により、首都圏はもとより、日本全土に壊滅的打撃を与えた可能性すらある。だが、靖国神社はどうなのか。国の一機関として、アジア全土に及ぶ大量殺人行為を推進したのではなかったか。ならば、なぜオウム真理教が観察処分で、靖国神社は首相の公式参拝なのか。


A級戦犯合祀をめぐって

中国は、A級戦犯の合祀を問題視して、靖国神社への首相の公式参拝を批判している。これに対し、保守派の論客は、A級戦犯とB・C級戦犯の差異は、恣意的なもので、合理的な区分はなく、東京裁判で勝手につけた区別に過ぎないという。保守派は、東京裁判とは戦勝国が敗戦国に対して、日本の戦争犯罪を裁く法律(条約)がないにも関わらず、勝手な判決を下したのであり、不公正な裁判であったと主張する。東京裁判は、罪刑法定主義の則ったものではないというのである。保守派によると、日本の東条英機らのA級戦犯は、ヒットラーやムッソリーニのような独裁者ではなく、たまたま戦争当時の責任者であったに過ぎないとし、A級戦犯とB・C級戦犯の間に格段の差はないのだという。彼らが、このようなロジックを展開するのは、A級戦犯に免罪符を与え、最後に日本は欧米諸国によるアジアの植民地化から防衛するために戦ったのだと(大東亜共栄圏)して、日本を正当化するためである。

責任の所在を曖昧化させようとする保守派に対しては、A級戦犯も、B・C級戦犯も断罪されねばならず、さらには彼らを戦争犯罪人=殺人マシーンにすべく追い込んだ国家や、その国家の中で戦力を旋回させ、死をも恐れない多数の殺人マシーンを製造した靖国神社を、それ以上に糾弾せねばならないのである。そうした根底的な反省なしに、真の国際協調はありえないし、信頼に足りる国家形成もできない。

第二に、自然法をイデオロギーとして排し、実定法のみを重視する法実証主義は、カール・シュミットのようにナチズムに絡め取られたように、実定法の欠陥を肯定する危険性が高くなるということである。戦争犯罪を裁く実定法の不備があったとはいえ、人には許されないことがあることは、いつの世にも自明の理である。


結語

私には、靖国神社というものが、日本国憲法の持つ民主主義の理念となじまないものであると思えてならないのである。靖国神社は戦没者追悼の場ではなく、戦死者を美化し、戦争を鼓舞し、ファシズムの死の美学を完成させることを目的としていると思われるのである。靖国神社は、富国強兵を目指す明治政府によって作られ、日本のファシストたちによって維持されてきた国家のイデオロギー装置であり、現憲法の施行後、一宗教法人という扱いになっているとはいえ、ファシストたちによる改憲の策謀が成功した暁には、再び人間の精神活動を圧殺する国の機関として機能し始めるのである。

靖国神社に参拝する人々の多くは、戦没者の死を悼み、平和を祈念していることを、私は十分承知している。だが、真に戦没者の死を悼み、平和を祈念するのならば、靖国神社という戦争遂行のための国の装置と、むしろ対決する必要があるのではないか、と考える。少なくとも靖国神社という装置をつかって、政治家たちが何を目論んでいるか、改憲論と有事法制の動きと絡めて知っておく必要がある。

靖国神社は、戦没者の霊を独占しているだけでなく、日本人が自分で考えるということも奪っているのである。


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以上が、2005年に書いた原稿です。

ところで、この問題を論議する際に、A級戦犯を分祀すればいいという主張を聞きますが、神道では分祀しても、元の場所からA級戦犯の霊が移動していなくなるという訳ではなく、祭神の鎮座地が2箇所になるだけです。

個人的見解ですが、神道の可能性の中心は、アミニズムやシャーマニズムの部分、平田篤胤の研究したエゾテリックな神道霊学や言霊論の部分にある気がします。勿論、篤胤にはファナティックな国家主義者がついており、あれは評価できません。

靖国神社は、他の神社と違って、明治期に入って、富国強兵と結びつき、国家にとって都合のいいだけの宗教として用意された気がします。国家にとって都合のいい宗教とは何でしょうか。私には、靖国神社程度で、宗教として満足しているようでは、日本人はまだまだ宗教の奥深さを堪能できていないな、と思えてなりません。国家にとって都合のいいだけの宗教は、しょぼいです。

(個人的には、靖国神社以外の神社は好きな方です。なにしろ、神社の庭を遊び場にして育ったほどなので。しかし、靖国だけは異質なものがあると思っています。普通の神社で祀ってくれれば、良いのに。)

もうひとつ、分祀に関して疑問があります。靖国の思想と、戦犯の人の思想は、一致しています。しかし、一般の戦没者はどうなんでしょうか。戦争をしようといい、赤紙を発行し、戦地に駆り立てる側と、意思はどうであれ、否が応でも「お国のために殺せ」と云われて、加害者にさせられた人は、同じなのでしょうか。

靖国から外に移動すべきなのは、戦犯ではなく、一般の戦没者であり、一般の戦没者は各人の宗教で弔うべきなのではないでしょうか。現在、キリスト者であろうと、仏教徒であろうと、国家公認の神道ではない神道の人とかも(大本事件などを考えながら書いているのですが)、一般の戦没者は靖国神社に祭られています。これは問題だと思いますが、如何でしょうか。