アルマ34章では、

 

「祈り」について有名な聖句があるひらめき電球

 

 

 

「いつでもどこでも、このような態度で祈ればいいんだ」って、

新会員のとき、本当に助けとなった聖句であるビックリマーク


 

 

でも、この聖句は、
新会員向けだけの聖句ではない、ということが、

最近わかった。

 

 

 

 

・アルマ34章18-27

 

 

「まことに、神に憐れみを

叫び求めなさい。

なぜなら、神は人を救う力を備えておられるからである。

 

まことに、へりくだって、

神に祈り続けなさい。

 

牧場にいるときには、まことに、

すべての家畜の群れについて神に

叫び求めなさい。

 

家にいるときには、まことに、

あなたがたの家のすべての者について、

朝も昼も晩も神に叫び求めなさい。

 

まことに、敵の力を防ぐことができるように、

神に叫び求めなさい。

 

まことに、あらゆる義の敵である悪魔を

防ぐことができるように、

神に叫び求めなさい。

 

あなたがたの畑の収穫が豊かであるように、

作物について神に叫び求めなさい。

 

あなたがたの牧場の家畜が増えるように、

家畜の群れについて叫び求めなさい。

 

しかし、これだけではない。

あなたがたは、自分の部屋でも、

人目に触れない場所でも、荒れ野でも、

あなたがたの心を注ぎださなければならない。

 

また、声にだして主に叫び求めないときでも、

あなたがたの幸いと、あなたがたの周りの人々への

幸いを気遣う気持ちを心に満たし、

それが絶えず主への祈りになるようにしなさい。」

 

 

 

よくよく読んでみると、

 

ここまで毎日、丁寧に祈ってない自分に気づく。。

 

 

 

 

そして、

 

 

 

28節~

 

 

「・・・これですべてであると思ってはならない。

これらのことをすべて行っても、

もし乏しい人や着る物のない人を追い払ったり、

病気の人や苦しんでいる人を見舞わなかったり、

自分には持ち物がありながら、

それを必要としている人々に分け与えなかったりするばらば、

・・・・見よ、あなたがたの祈りはむなしく、

何の役にも立たない。

あなたがたは信仰を否定する偽善者と同じである。

 

したがって、もし愛を示すことを覚えていなければ、

あなたがたは精錬する者たちが

(価値のないものとして)捨てて、

人が足で踏みつけるかすのようなものである。」

 

 

 

 

どのような熱心な祈りであっても、

 

 

人にをもたなければ、

人にを示さなければ、

人に親切にしなければ

人に奉仕しなければ、

 

苦しんでる人や病気の人を見舞わなければ、

 

 

その祈りはむなしいものである、と。。汗

 

 

 

 

「行いが伴わない信仰は死んでいる」

 

という聖句を思い出す。

 

 

 

そして、最後39節

 

 

「祈りに心を配ることを、あなたがたに勧める。」

 

 

 

「心を配る」キラキラ

 

 

 

心を配る人でありたいチューリップオレンジ