私は、改宗したての25年ほど前、


まだ生まれたてのひよ子で、

霊的に、とても弱々しかった汗




もともと、神さまはいないと思っていたので、

が持てるようになるまで、時間がかかったのだ。



そのような私を天父は知っていたかのごとく、

預言者を通して、素晴らしい聖句を残してくださった。




・アルマ32章



「信仰とは、物事を完全に知ることではない。

もし、信仰があれば、あなたがたは、

未だ見ていない真実のことを待ち望むのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・しかし見よ、

もしあたなた目を覚まし、

能力を尽くしてわたしの言葉を試し、

ごくわずかな信仰でも働かせようとするならば、

たとえ信じようとする望みを持つだけでもよい。


私の言葉の一部分でも受け入れることができるほどの

信仰になるまで、その望みを育ててゆけ。


さて、御言葉を一つの種にたとえてみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・もし種が芽を出して生長するならば、

それば良い種である。


・・・・・・・・・・・・・・このように、

もし信仰の目をもって実を期待しながら

御言葉を養おうとしなければ、

あなたがたは決して命の木の実を得ることができない。


・・・・・・・・・・・・あなたがたは、

御言葉が自分の中に根付くように、

熱意と信仰と忍耐をもってそれを養うので、

見よ、やがてその実を得るであろう。

その実は、最も価値があり、どんな甘いものよりも甘く、

どんな白いものよりも白く、どんな清いものよりも清い。・・」




信仰や希望の種は、

心を配って種を養い育てるならば、

種は、根付き、生長し、実を結ぶ大きな木になる。




私は、この聖句に非常に助けられたビックリマーク



今読み返しても、これは真実であり、

素晴らしいプロセスだと思うチューリップ赤