神さまの王国の奥義は、

 

なぜ世の中の人に

もっとわかりやすい言葉で論議されないのか。。

 

 

 

それは、

 

神さまの王国の奥義は、

限りなく聖いものだからなんですね

 

 

汚れたもの、敵対するものから

守る必要があるんですね。

 

 

本当に本当に、神聖なものだから。

 

 

 

 

でも、

 

 

王国の奥義を求める人で、

その神聖さを守る人には、

 

王国の奥義を、

際限なく知る権利が与えられる。

 

 

 

 

・アルマ9-11

 

 

「神の奥義を知ることは多くに人に許されている。

・・・・・・神の御言葉は、人の子らが

神に寄せる注意力と熱意の度合いに応じて与えられる。

 

したがって、心をかたくなにする者は

わずかな御言葉しか受けないが、

心をかなくなにしない者は、

さらに多くの御言葉を与えられて、

ついに神の奥義が十分に分かるようになるまで、

奥義を知ることが許される。

 

また、心をかたくなにする者は

わずかな御言葉しか与えられず、

ついに神の奥義をまったく知らない有様となる。

 

その後、これらの者は悪魔に捕らえられて、

悪魔の意のままに滅びに引き込まれる。

地獄の鎖とはこのことを意味する。」

 

 

 

でも、

 

心をかたくなにせず、

神の御言葉を多く与えられた人でも、

油断ならない。

 

 

なぜなら、

 

悪魔は、いつでも人を神から引き離そうと、

あの手この手で人の心に入り込んでくるから。

 

 

 

「福音がどういうものか、もうわかっている」

と、無意識のうち満足していると危ない。

 

 

 

 

悪魔に隙をつかれると

心に疑念が引き起こされる。

 

 

そのまま放っておくと

 

どんどん、心が神さまから離れていく。

 

これこそ、「地獄の鎖」なのだ。

 

 

 

 

だから、

 

教会員歴25年になる私も、

リーハイの示現にある鉄の棒(聖典)に、

毎日つかまっている必要がある。

 

 

1日でも手放したら、その分、離れてしまう。

 

 

 

これは、私の体験談。