・1989年4月1日(土)午前の部会
大管長 エズラ・タフト・ベンソン
『高ぶりを心せよ』 ②
私は今からモルモン経のこのメッセージ、
すなわち高慢の罪とは何かについて
明らかにしたいと思います。
皆さんの信仰と祈りによる助けを
心からお願いします。
このメッセージがここしばらくの間、
私の心に重くのしかかっていました。
主は今私にこのメッセージを伝えるように
望んでおられます。
前世の会議において、あの「暁(あかつき)の子」
ルシフェルが投げ落とされたのは、
その高慢さのゆえでした。
(Ⅱニーファイ24:12-15、教義と聖約76:25-27、
モーセ4:3参照)
神がこの世の終わりに火で地を清めるとき、
誇り高ぶる者はわらのように焼かれますが、
柔和な人は地を受け継ぎます。
(Ⅲニーファイ12:5、25:1、教義と聖約29:9、
ジョセフ・スミス1:37、マラキ4:1参照)
主は教義と聖約の中で何度か、
この高ぶりに注意するようにと命じておられます。
その中には、
教会の第二の長老であるオリヴァ・カウドリと、
預言者の妻であるエマ・スミスに対する警告もあります。
(教義と聖約23:1、25:14、38:39参照)
高慢は、はなはだしく誤った解釈をされている罪であり、
多くの人が無意識のうちにこの罪を犯しています。
(モーサヤ3:11、Ⅲニーファイ3:18参照)
聖典の中には、義にかなった高ぶりというようなことを
教えている箇所はひとつもありません。
高慢は常に罪と見なされています。
ですから、世の中でこの言葉が
どのように使われているかは問題ではありません。
私たちが理解しなければならないのは、
神がこの言葉をどのように使われているかです。
そうすれば、聖典の言葉を理解して、
その恩恵にあるかることができるのです。
ほとんどの人は、高慢というと、
「自己中心」、「うぬぼれ」、「自慢」、「尊大」、「傲慢」
などの言葉を思い浮かべます。
確かにこれらはみな、
高慢の罪の中に数えることができますが、
核心となるものが抜けています。
高慢の中心をなるのは「敵対心」、
すなわち神と同胞に対する敵対心です。
敵対心は、「憎悪、敵意、反感」などを意味します。
サタンは、この力によって
私たちを支配しようとします。
(続く)