週に1回ペースで

 

レッスンを受けていた。

 

 

 

 

でも、

 

 

正直、

 

 

もう、レッスンを聞くのはやめよう

 

 

 

と、

 

 

何度も、心に思った。

 

 

 

 

 

信じられないのに、

 

聞き続けたら、宣教師に悪いだろう、

 

 

信じられないのに、

 

聞き続けたら、時間の無駄だろう、

 

 

 

と思った。

 

 

 

 

それでも、

 

 

なぜか、断れない私がいた。

 

 

 

 

それは、

 

 

(レッスンを聞いてる)ふとした瞬間、

 

これって、いい言葉だな、、

と思うようなことを、宣教師が言うことがあって。。

 

 

 

 

 

相変わらず、私は宣教師が好きで、

 

相変わらず、神様の存在を信じられないでいる私。

 

 

 

 

 

えーーい、

 

こうなったら、最後まで聞いちゃえあせる

 

 

 

 

 

 

そんな福音のレッスンが、

 

 

 

1回目過ぎ、

 

2回目過ぎ、

 

3回目過ぎ、

 

4回目あたりだったと思う。

 

 

 

 

 

姉妹宣教師は、、

 

 

「神殿」のことについて、話をしてくれた。

 

 

 

 

この教会の、神殿

当時は、東京神殿の写真を見せてくれた

 

 

 

そして、

 

 

「家族は、(この世で死んでも)

永遠に、一緒に、住むことができます。

 

その儀式を、この神殿で行うことができます。」

 

 

 

私は、

 

 

この言葉を聞いて

東京神殿の写真を見るやいなや

 

 

 

胸が、心が、(胸の奥の中心部が…何の感情も伴っていないのに)

 

ガーっと熱く、熱くなった。

 

 

 

 

なんでだろう?

 

なんなのだろう?この感覚は。、

 

なんともいえない、

 

不思議な霊的な感覚だった。

 

 

 

 

(この感覚は、改宗後、

聖霊によるものであること、

みたまを感じていたことであったとわかる)

 

 

 

 

今、この記事を書きながらでも、

 

涙が浮かんでしまう。

 

 

 

あんな、私に、

 

主は、みたまを注いでくださっていた。

 

私を気にかけ、導こうとされていた。

 

 

 

 

 

当時の話に戻るが、

 

 

 

 

だからといって、

 

 

私はまだ、

 

神さまを信じるまでには至らず、

 

改宗するためのバプテスマも受けたいとは

 

 

 

思っていなかったチューリップ黄