普通、一般的な本は、
1回読んだら読まないことが多い。
どんなに気に入った本でも、
2-3回読んだら、あとは当分読まないか、
読んだとしても、年に何回も読まないと思う。
でも、聖典は、別。
神さまの書物だから
リアホナも、別。
毎月の家庭訪問メッセージとか、
本とに同じようなメッセージのローテーがあって、
またこのテーマかって思うこともあるが、
その都度、
素直になることが大事だね^^
じゃないと、何かを得られない。
素直に取り組むと、謙遜に取り組むと、
何かを得られる
まして、聖典は、神の御言葉そのものだから、
何度読んだとしても、
(素直で、謙遜で、祈り求める気持ちで読むならば)
みたまを通して、新しい発見をすることができる。
いや、みたまによって、
新しいことを教えてもらえる。
ⅡNe28:27.29.30
「まことに、
《わたしたちは受けているので、もうこれ以上は
必要ない》と言う者は災いである。
《わたしたちは、すでに神の言葉をいただいている。
もうこれで十分だから、これ以上神の言葉は必要ない》
と言う者は、災いである。
見よ、主なる神は言われる。
《わたしはここにも少し、そこにも少しと、
教えに教え、訓戒に訓戒を加えて、
それを人の子らに与えよう。
わたしの訓戒を聴き、わたしの勧めに耳を貸す者は、
知恵を得るので幸いである。
わたしは受け入れる者にさらに多く与え、
{もう十分である}と言う者からは、
彼らが持っているものさえも取り上げる」
次の聖句が、さらに教えてくれる。。
31節
「人に頼る者、
すなわち肉を自分の腕とするものはのろわれる。
すなわち聖霊の力によって与えられる訓戒ではなく、
人の訓戒に耳を傾けるものはのろわれる」
これ、一般の人が読んだら、
へ?って思うんじゃないかな。。
なにも、
人の言う事を聞くなと言ってるわけじゃないんだよね。
正しいこと、
自分に今必要なことを教えてくれる人もいるから。
ただ、
自分の霊への訓戒は、
誰よりも自分をご存知な、全知全能の神さまが
第一である、ということ。
昔、
「聖霊を伴侶とする」という、指導者の言葉が
よく理解できなくて、
ずい分長い年月がかかったような気がするが、
今の私は、昔より、
「聖霊を伴侶とする」という意味が、
「聖霊を伴侶とする」という醍醐味が、
ずっとわかる。
聖霊は、真実だけを教えてくれるから。
遠回りのように思えても、
実は一番の近道を教えてくれる