なんだか、よくわからないが、
なんだか、とても気になる聖句が、
昔からある
読んだらそのままスルーしたいんだけど、
なぜか気になってしまう聖句。
(イザヤ書のとこはスルーしちゃうのに。。)
なんなんでしょう、この感覚
不思議だーー
この現象は、なんなのか、
わかる方がいらっしゃれば、教えてほしいです。
(コメントお待ちしております^^)
その聖句は、
ⅡNe26/30-31
まず、30節。
「人は皆、慈愛すなわち合いを持つようにとの
戒めを与えられた。
慈愛がなかったならば人は何の価値もない。
それゆえ、もし人に慈愛があれば、シオンで働く者を
死なせたりはしないであろう。」
この30節は、大丈夫、わかります。
わかると言っても、
自分がそうできてるかどうかは、
まったく別ですが。。(;^_^A
気になるのは、
簡単にスルーできなくて、この感覚なんだろうって
思うのは次の31節。
「しかし、シオンで働く者は、
シオンのために働くべきである。
もしも金銭のために働くならば、滅びるであろう。」
なんとなく、意味がつかめるかどうかっていう、
なんとも微妙なとこなんです
でも、自分にとって、
すごく重要な聖句なような気がして。。
これだから、
聖典は、
なんども読む価値あるんだね