日本人は、クリスチャンでない限り、



イエス様より、神さまのほうが

どちらかといえば、近く感じると思う。




私もそうだった。

伝道に出る前までは。




でも、伝道に出て、




自分の弱さを痛いほど知り、

自分ではぬぐい切れない罪を知り、



(「知り・・」というのは、

自分の弱さ・罪が、見えてしまうのである。

伝道前には見えなかったものが、

主に仕え、人に仕えていくうちに見えてくる。

そして、それが、強さ・信仰に変えられる)




救い主・購い主 イエスキリストが


どれだけ私個人に必要不可欠な存在であるか、

どれだけ私に近い存在なのか(自分がふさわしければ)



わかったような気がするひらめき電球







第2ニーファイでは、


キリストについて、よく出てくる。


同じ言葉の繰り返しもある。





ⅡNe25/26、28、29



「わたしたちはキリストのことを話し、

キリストのことを喜び、キリストのことを説教し、

キリストのことを預言し、

また、どこに罪の赦しを求めればよいかを、わ

たしたちの子孫に知らせるために、

自分たちの預言したことを書き記すのである。


正しい道とは、キリストを信じること、

キリストを否定しないことである。

キリストを否定すれば、預言者と律法も否定することになる。


正しい道とはキリストを信じること。

キリストを否定しないことである。


あなたがたはキリストの前にひれ伏し、

あなたがたの勢力と思いと力を尽くし、

全身全霊を込めてキリストを拝さなければならない。」





イエス様は、


わたしたちと神様(天父)を繋いでくださる御方。


この御名前を、大事にしようブーケ2