――併し元来、言葉を語り認識を持つのは事物に就いて語り事物に就いて認識することに他ならない。(客観的な)存在に就いて語ったり認識したりするのである。だからそういう言葉なり認識なりが則るべき範疇も、実は観念から独立に存在する事物そのものの性質と無関係であっては、言表や認識の形式でさえあり得る筈がないのである。だから範疇は、もはや単に主観乃至観念にぞくするものであってはならず、寧ろ夫よりも先に、存在[#「存在」に傍点]の、事物[#「事物」に傍点]の、有っている諸性質に結び付いているものでなければならなくなる。
そこでヘーゲルは、範疇をば現実性[#「現実性」に傍点](Wirklichkeit)が夫々の階段に於て有つ諸形式と考える。観念ではなくて現実そのものの有っている諸形態が、ヘーゲルの諸範疇なのである。ヘーゲルのかの弁証法によれば、この現実乃至存在は、単純なものからより複雑なものへ、要素的なものからより高次のものへ、展開し発展し展化して行くのであるが、実在のこの 運動に際して実在が遍歴する処の諸段階が、夫々の範疇をなすのである。――従ってこういう範疇の組織体系に他ならないヘーゲルの哲学体系は実在乃至存在の運動の具体的な巨大な法則、を云い表わすものに外ならない。
