江戸川大学 社会学部二年 林 卓弥

はじめに

7月9日に長野県小布施町で和菓子屋を経営している市村次夫さんにお話をうかがった。

江戸時代のこと

・お金を借りる時は酒造、工場を担保にしていた。

・日本では利子は元金を超えないようになっている。つまり倍以上にはならない。

・寺子屋では生徒によって教科書が違っていた。また、先生が生徒ら全体に話しをするの         

 は一番最初のあいさつだけだった。

・罰則は廊下に立って茶碗の水をこぼさないようにしながら消えるまで線香をもっているというものだった。現代では水の入ったバケツを持って廊下に立っているというのがあるが(実際には聞いたことがないが)かすかに痕跡は残っている。

小布施のまちづくり

 小布施は歴史のある古い建物の残る町だったので、それを活かし、とにかく古いものは再利用し、町にとって大事なものは保存した。建物を建っているまま引っ張って移動(曳きや)し、土台のくさった納屋は基礎をコンクリートで補修し、移動させた。

歴史的価値のある建造物はもちろんだが、価値のないと言われているものの方が小布施の方には大事なのだそうだ。ただそこにあった、というだけのものこそ景観として残すのは意味があるのだ。

建物と建物に囲まれた外部空間の補修にも力をいれた。

二階から外を見た時に景観がくずれないようにも気を配った。建物の高さを高くしすぎてしまうと、山が隠れてしまい、景観がくずれてしまうのだ。

行政の理想

行政の一番の理想は民間から文句のでない政策だ。文句のでない政策といえば前例があり、近隣の地域や全国どこでもやっていることである。しかし、それでは全然おもしろくない。すばらしいこととは、そもそもみんなに苦労や迷惑をかけてしまうものなのだ。

日本ではみんなと同じということにこだわる傾向があるが、それは外から見たら不自然で気持ちの悪いものである。

 独自の考え、独自の問題というのをもっと大事にするべきではないだろうか。たとえ人と違うということでいじめられてしまうことがあっても、今の日本には必要ではないだろうか。

並木道

 現代では村と村の間は同じ木が等間隔でずらりと並んでいる。寺、神社もそうである。だが、明治時代の写真を見てみると、そのようなことはなかった。それぞれが好きな木を植えているのだ。

 規則的に同じ木を植えることのなにがいけないのかというと、それは町並みではなく、道路になってしまうからである。また、このように昔の写真が役に立つことも多いそうだ。

 狭い道から広い道へ、広い道から狭い道へと道にリズム感をつけるのが重要である。さらに、芝生は風の動きが見えないが竹や笹は風にゆられるのがわかる。このような工夫もされているようだ。

 

北斎館

 晩年の北斎が4年間過ごしたという小布施は、北斎の肉筆画を多く所有しており、国内2位の収蔵量である。昭和51年に北斎館が開館した。

 ただ飾るだけではおもしろくないので、美術館ではなく、北斎館として開館した。

感想

 今回は歴史という視点から、まちづくりのお話を聞かせていただいた。どの土地にも歴史はあるのだから、それをまちづくりに活かすことができるかもしれない。また、自分の町の歴史についても興味をもつきっかけになった。

 みんなと同じだからと安心するのではなく、独自の考えを貫いていくのが大事だという部分に共感した。本当にその通りだと思う。