江戸川大学社会学部3年 関 隼人


リ・デザインというのは簡単に言うとデザインのやり直し、ごく身近なもののデザインを一から考え直してみることで、誰にでもよく分かる姿でデザインのリアルティを探ることである。


アートとデザイン

 アートとデザインは両者とも、感覚器官でキャッチできる対象物をあれこれと操作するいわゆる「造形」という方法を用いる。少しだけこのふたつの差異を説明する。

アート 個人が社会に向き合う個人的な意思表明で、その発生の根源はとても個的なもの

デザイン 基本的に個人の自己表出が動機でなく、発端は社会の側である。


リ・デザイン展 

l 坂茂とトイレットペーパー

建築家の坂茂のテーマは「トイレットペーパー」である。坂茂がデザインしたトイレットペーパーは中央の芯が四角い。通常のタイプだと抵抗が少ないため必要以上に紙を供給してしまう。だがトイレットペーパーを四角くすることで抵抗が生じ、省資源の機能を生む。資源を節約しようというメッセージも一緒にそこに発生される。また四角いと重ねても隙間が少なくスペースもとらない。

 これは世界中のトイレットペーパーを四角くする提案ではない。そうではなくて「四角いトイレットペーパー」の発する批評性に着目する。デザインは生活というポジションから見る文明批評、デザインという考え方・感じ方はその発生に遡って批評的なのである。


l 佐藤雅彦と出入国スタンプ

 佐藤雅彦のテーマは「出入国スタンプ」である。佐藤雅彦がデザインしたデザインは出国が左向きで、入国が右向きの旅客機の形になっている。このアイデアは、スタンプを介した事務手続きに、一服のコミュニケーションを盛り込もうという考えである。

 佐藤雅彦のスタンプは、コミュニケーションの種子の存在とそれを芽吹かせる方法を具体的に示唆している。これは電子メディアに捕らわれ、日常のコミュ二ケーション不足の人々の貴重なヒントになっている。


l 隅研吾とゴキブリホイホイ

 隅研吾のテーマは「ゴキブリホイホイ」である。隅研吾はこれを、ロール状の粘着テープにした。半透明の四角い粘着性のトンネルが出来上がる。これは現代的なインテリアによく似合う。ゴキブリは機能美の中で捕獲されていく。

 隅研吾は頭脳派の建築家である。建築という名目で立派すぎる造形を世界に示すことを恥ずかしいと感じ、そういう局面に良質のデリカシーを持ち込むことに対して繊細な頭脳を使っている。そのためモニュメンタルな「ハウス」を否定して流動的な「チューブ」を選択するところが実に隅研吾てきである。


l 面出薫とマッチ

面出薫のテーマは「マッチ」である。面出薫の考えたマッチは、落ちている木の枝に発火剤をつけたもので、要するに、地面に落ちた小枝に、地球に還っていくその前に、もう一仕事してもらおうという発想である。火や木の枝の形はよく見ると美しい。そういう美の存在を、普段の忙しい時間が忘れさせている。自然、火、そして人。それぞれの存在を、印象的に喚起させられるデザインである。


l 津村耕佑とおむつ

 津村耕祐のテーマは「紙おむつ」である。津村耕祐が考えた紙おむつはトランクス型だ。このデザインには、人間の体液を吸収するための「ウエア一式」として提案している。ウエアには、吸水性のレベルが三段階に設定されている。軽い汗を取る程度のシャツやショーツは「プロダクション1」、おむつは一番体液の吸水力の高い「プロダクション3」である。

 明日からおむつを使用しなくてはならない状況になったとしても、この一連のウエアの中からプロダクションレベルが3のトランクスを選べばいいということになる。こういう心理的なケアがデザインで見事に解決できることを、津村耕祐のおむつは照明してくれているのである。


l 深澤直人とティーバック

 深澤直人のテーマは「ティーバッグ」である。深澤直人の考えたティーバッグは、持ち手の部分が、紅茶の飲みごろの色をしているリングになっている。ただしこれはこの色になるまで紅茶を入れろという指標ではない。色の意味を特には規定しないけれども、そこに意味が発生するための用意をしておく。

 もうひとつのデザインはマリオネット型のティーバッグだ。持ち手がマリオネットの形になっていて、バッグは人間の形。リーフが濡れると膨らみ黒い人形になる。それを揺さぶっているとマリオネットを扱っているような不思議な気持ちになる。無意識に仕掛けられたデザインが行為を通してあらわになってくのである。

 人間の行動の無意識の部分を探りながら、そこに寄り添うようにデザインを行うのが深澤流である。これは「アフォーダンス」という新しい認知の理論を連想させる考え方である。アフォーダンスは行為の主体だけでなく、ある現象を成立させている環境を総合的に把握していくことである。

l デザインの概念の本質

私たちの住まう日常は、既にデザインで埋め尽くされているように見える。そういう日常を未知なるものとして、常に新鮮に捉え直していく才能がデザイナーである。

世界は世界全体を合理的な均衝へと導くことのできる価値観やものの感じ方を社会のいたるところで機能させていかないとうまくやっていけないということに気づきつつあるのだ。フェアな経済、資源、環境、そして相互の思想の尊重などあらゆる局面においてしなやかにそれに対処していく感受性が今、求められている。 

デザインという概念は、そんな感受性や合理的に近接した位置にはじめから立っている。そういう意味でデザインという概念の本質がみつめなおされようとしている。