江戸川大学ライフデザイン学科 2年 神田太郎

2009718()、東京都小金井市にある江戸東京たてもの園にて「カンバン・ハリガミ展」及び「ホーロー看板展」を見に行った。今回の実習では、ホーロー看板展の提供者であるオオタさんと学芸員の浅川さんと共にたてもの園を回った。

1. 江戸東京たてもの園

江戸東京たてもの園は、東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館である。博物館がある場所は、戦時中天皇陛下が疎開する際に現在の小金井公園に光華殿を移し、1954年の小金井公園開園と共に武蔵野郷土館開館した。1991年の武蔵野郷土館閉館後、1993年に江戸東京たてもの園が開館され、光華殿を含む復元建造物が多々展示されている。2009年現在では江戸時代から昭和初期までの27棟の復元物があり、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされた。

野外展示は区分けされていて、西ゾーン・東ゾーン・中央ゾーンと三種類となっている。西ゾーンは、かやぶき屋根など武蔵野の農家と山の手の住宅が集まる。代表的な建造物としては、田園調布の家(大川邸)、前川國男邸、三井八郎右衛門邸、常盤台写真館などがある。東ゾーンは、看板建築や下町の町並みが再現されている。看板建築とは、建物の正面に工夫が施されているものをいい、正面を銅板で覆い建物自体が看板になっている。さらにこのゾーンには、子宝湯や三省堂といった建物があり「千と千尋の神隠し」の参考になっている。建物の素材は出来る限り元々のものを使い建物内の構造も当時のように作り、建物の中には出来る限り実物を置き、当時の生活風景を再現している。中央ゾーンは、歴史的建造物が並ぶ。旧光華殿(ビジターセンター)をはじめ、高橋是清邸など日本の文化や歴史に関わる建築が展示されている。

2. かんばん・ハリガミ展

看板といわれる物が作られたのは、平安時代に旗を揚げたのが始まりである。

看板とは、布、木、プラスチック、金属(ステンレス)などで主に板状に作られる物のことをいう。チラシやハリガミと呼ばれる物は紙が主流である。

オオタマサオさんは「琺瑯(ホーロー)看板」のコレクターである。ホーロー看板とは、イギリスで生まれたエナメル看板のことをいう。ホーローとは、金属板の表面にガラス質の釉薬(うわぐすり)を塗り、高温で焼き付けたもの。紙や木では雨風ですぐに傷んでしまう。さらにプラスチックや金属とは違い、錆びにくく、耐久性に優れている。大正~昭和にかけて屋外用広告として扱われたものである。

ホーロー看板の中にも種類があり、当時の芸能人などが使われている物を「役者看板」、柱に取り付けるタイプの物は「柱看板」、鉄道などの広告は「沿線看板」といい、さらには貼り師という職業があったくらいだ。

3. まとめ・感想

江戸東京たてもの園の町並みは、実際の建物をバラし、現代の法に合わせ再建築されているため、もの凄くお金がかかっている。野外展示内には露店も出ていてすごく雰囲気がいい場所だと思えた。さらに、お店を営業している人々は200名の6070代のボランティアの人々が無償で提供している。「当時の洗濯物が干してある風景をつくる。」これには、当時暮らしていた人に当時の方法で行ってもらい、当時の情報をもとにただ置くのではなく歴史の再現をする。「都市の歴史文化を表す」という活動によって、展示物でありながら当時の生活風景を表している工夫がとてもいい雰囲気を出しているのだと思った。

看板はただの広告のために作られ、次々に新しいものに変わっていくものだと思っていたが、今回の実習を通して「時代の変化」を痛感した。今私たちが暮らしている世の中では、新しいものが作られ続けている。それによって古いものは壊され、捨てられ、消えていく。しかし、ホーロー看板が作られていた頃は、その循環が少なくとも今よりは遅く、看板1つ1つが長く使われていたのではないだろうか。

オオタさんは話の中で、「看板は時代と共に過ごしてきた。看板を見ることによって時代の変化を見ることが出来る。」といっていた。

私たちが知らない時代を看板は見てきた。実際に看板建築の建物の壁には空爆された時の焼夷弾の痕が残っていた。

昔を知ることや記憶を残すこと。看板の役割は、ただの広告だけではないと私は思った。