江戸川大学社会学部ライフデザイン学科2年 伊藤華緒里

 

 寺が多い

 日暮里から上野まで散策したのだが、「本行寺」「経王寺」「延命院」などのお寺を目にした。名前を記録したのがこの3寺のみだったのだが、実際のお寺の数は地図を調べたが、30近くあった。大して散策していない中で、これほどまでの寺の多さにはとても驚いた。

 町にこれほど寺があるのはおかしいと感じる人もいるであろうが、これは決しておかしなことではない。昔の住民たちが次世代の人に寺を受け継いでもらいたいと願い、それが現代まで受け続けられているのである。よって、寺は人々の強いまちへの愛着心の塊なのである。

 

 生活観あふれる路地

あちらこちらに路地があった。路地のいい所は、車が通行禁止のため、人が安心して歩行出来るところ。また、生活感があふれているということである。しかし、狭い路地の中に店をだしているところもあった。明らかに雰囲気も暗かったため、このような状況の中、果たして客を引き寄せることが出来るのかと感じた。

 とは言っても、このような路地が残っている町は、年々少なくなっているのではないか。路地を大事にして、さらに路地を生かせれば、また違った日暮里の魅力が生まれると思う。

 

 話しかける商店街

私の商店街のイメージは店と店との間隔が狭く、お店の人々たちが活気に溢れ、また周囲の店同士の交流も深く、人情味溢れているというものだ。

私の地元にも商店街はあるのだが、私が想像する商店街とはほど遠く、イメージとは正反対のものだ。また、商店街の中にスーパーがあるため、「ここは商店街」という印象を訪れる人々に感じさせない。

それに比べ、“谷中ぎんざ”は、私のイメージする商店街にとても近いものだ。活気に溢れ、ご近所同士もとても仲がよさそうであった。また、お店の人もとても親切で、私たち客に対して何のためらいもなく優しく話しかけてくれた。

 

 こだわりの自営業の集積

 「佃煮屋さん」「せんべい屋さん」「おまんじゅう屋さん」などの様々な自営業のお店を目にした。店の前が客で賑わっている店もあれば、そうでない店もあり実に様々であった。

 これらの店を目にしたのが日暮里駅から谷中ぎんざに向かうまでの道だったので、商店街にお客様を取られてしまうのではと感じた。その通り、孤立した自営業の店がある道と商店街とでは、正反対と言っていいほど人通りの多さに違いがあった。個性あるこだわりの単品商品の自営業が集積することは、商店街の魅力のひとつであり、このことが忘れられている気がしてならない。こだわりの集積が集客装置として機能することを発見したことが、今回の大きな成果だった。

 

 緑の中で生まれて死んでいける幸せ

 日暮里はとても緑が多いと感じた。駅を降りたらすぐ、“谷中霊園”がある。ここは明治時代に作られ、先祖代々の墓で埋め尽くされている。お墓を作ることにより、祖先を大事にしようとする。また、死者と共に生きていき、死者の夢を受け継ぐという考えがあった。

そんな“谷中霊園”だが、墓の頭上には、桜の木のアーケードが繰り広げられている。春には花見をする人々も多々いるそうだ。亡くなってからも、美しい場所でゆっくりしてもらいたいとの思いが伝わってきた。まちで人は生まれ、町で人は亡くなり、その後もずっと子孫の幸せを見守っている。当たり前のことに様だが、精神が継続している地域が少ないだけに、うらやましいと感じた。

 

 

 美しい遠景が“落ち着いたまち”の条件

 研修に行くまでの私の中での日暮里のイメージは、「ごちゃごちゃしていそう」というものであった。電車の乗り換え地点として利用することが多かった駅なので、このような想像をすることしか出来なかった。

 町を実際に歩いて思ったことは、東京であるにも関わらず落ち着いている雰囲気を漂わせているということ。上記のキーワードにも記したが、緑が多く、寺が多数あるため、人の心を落ち着かせる魅力を持っていると感じた。そして時の流れが、都会とは違いおだやかに流れているように思えた。都会は、人が時間に追われているように慌ただしく、そして急ぎ足で歩く。しかし、日暮里の場合はどこかおだやかでのんびりとした雰囲気だ。

 また、“谷中ぎんざ”は、多くの人々で賑わっていた。お店の人、お客、両方がコミュニケーションを交わし、その時を楽しんでいるようであった。

そんな下町の雰囲気を漂わせる“日暮里”だが、駅前にはビルが建設されており、“谷中霊園”の桜の木のアーケードの奥にそびえ立つ、その高層ビルにとても違和感を覚えた。別世界のものが侵入してきたかのように見えた。建設してしまった後につべこべ言ってもどうしようもないことだが、高さを抑えたりすることは出来なかったのだろうか。せっかくの風景が台無しである。背景は、落ち着きに大事な要素である。人はパソコンや店などの建造物ばかり見て、遠景を見ることが少なくなった。江戸時代の浮世絵の魅力は、美しい遠景を眺めることで、心が落ち着き安心したのではないか。

鈴木先生が話していたのだが、倉敷市では“背景条例”というものがある。これは、背景を守るために建設物の高さを制限する条例だ。この素晴らしい条例が倉敷だけでなく日暮里にも伝われば、豊かな風景を壊されることもないのではないかと思う。