水野馨生里さんは、1981年に岐阜市で生まれた。慶応義塾大学総合政策学部(SFC)を経て広報代理店に一年間、勤務した。その後、故郷である岐阜市にUターンをして、若者のまちづくり団体「G-net」で文化・伝統をテーマに社会的活動を行っている。

 最初にカンボジアにあるNGO団体「クメール伝統織物研究所(IKTT)」の活動についてお話して頂いた。IKTTは1995年にカンボジアの内戦の中で途絶えかけていた伝統の織物の復興を課題にその活動を始めた。水野さんは大学時代から年に1度、カンボジアに訪れてIKTTでフィールドワークを行っていた。そこで織り手への聞き取り調査などを行い、文化や伝統が地元の人の体に根付いている事を知り、文化的なものや伝統的なものに興味を持ち始めた。

 その後、カンボジアのIKTTで学んだ事がきっかけとなり、地元である岐阜に関する活動を始め、大学4年生の時である2004年にNPO法人「G-net TOKYO」を東京在住の岐阜出身の仲間達と設立させた。「G-net TOKYO」の目的は.学生などの人材の育成やI ターンやUターンの促進で「東京にいながら岐阜に対して貢献する」という活動を行っている。あまり、岐阜に誇りを持っていなかった水野さんはこの活動がきっかけとなり、岐阜への想いが強くなっていった。その時に岐阜の伝統である「水うちわ」に出会った。

 「水うちわ」は三種類ある岐阜うちわのうちの一つである。他に「うるし塗りうちわ」と火お越しなどに使われる「渋うちわ」がある。15年程前に、「水うちわ」が1度、途絶えて残りの2種類の「うちわ」だけがうちわを専業で行う住井商店で作られてきた。「G-net TOKYO」の仲間からの繋がりから、水野さんは、そのうちわ専業で商売を行う住井商店に連れて行ってもらうことになった。そこで「水うちわを復活させたい」というお店の人の言葉を聞き、「水うちわ」を復活させるためのプロジェクトが始まった。

 一年目は「G-net」が出版していた「ORGAN」というフリーペーパーとコラボレーションで「ORGAN」と描かれた「水うちわ」を100本程作り、販売したところすぐに完売した。その後も口コミで「水うちわ」の情報が広がり、「もっと作ってほしい」という声が増えた。その時は東京から1ヶ月に1回くらいは岐阜に行っていた。そして、大学を卒業後、東京のPR会社に就職し、「水うちわ」のPRも行いながら仕事をしていた。

 東京で働きながらも心は岐阜に行っていた水野さんは東京で働いていてもやりがいは感じられたが、一方で「水うちわ」と関わっているうちに自分にしかできないことが他にあるのではないかと強く思い始めた。自分にしかできないこととは例えば、職人さんとの関係を維持できる事や地元の人とコミュニケーションができる事であって、自分が岐阜出身で「水うちわ」が好きだからできることはもっと他にもあるのではないかと考え始めた。

 水野さんは「岐阜ってつまらない」と思っていたが、実際は自分が岐阜の面白さに気づいていなかっただけだと感じた。そのような事を考えた末、祖父が亡くなり、自分の自己実現の前に家族の大切さを感じた事もあり、岐阜にUターンすることを決めた。

 岐阜では自分が「水うちわ」というキーワードを持って活動していると、それをきっかけに多くの人と出会うことができ、ネットワークも広がっていった。例えば、「うちわ」の職人育成について学ぶために日本の「うちわ」の9割のシャアを誇る香川県丸亀市を訪れ、職人の研修制度などがあることを学び、更に「うちわ」を通じてネットワークも広がった。

 もし、水野さんが東京やカンボジアなどに行っていなかったら、地元の良さも気づくこともできなかっただろう。外に出てこそわかった、地元の伝統や文化のすばらしさや地元の人との関わりの大切さを感じられたのではないかと思う。自分の中でひとつ、興味を持った事を「キーワード」として持ち、意欲をもって行動することは新たな人との繋がりや発見のきっかけとなる。私自身も「キーワード」を持ち専門性と人的ネットワークを構築していきたいと思った。

江戸川大学経営社会学科3年 田原 幸訓