東北大学大学院教授、石田秀輝先生は1978年に伊奈製陶株式会社(現在のINAX)に入社され、同社の研究機関で技術開発、製品開発を行った。2004年より東北大学大学院教授となり、専門は地質、鉱物学を軸とした材料科学である。

 今回は石田先生自身も、まだ答えを持っていない現在の地球環境と人間との関わりはどうあるべきなのかについて、お話を伺うことができた。

地球では大気中の温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化について、世界中で多くの将来予測研究が行われている。今のままの環境状態では2030年ぐらいにはCO2濃度が上昇し、気温上昇は限界値とされる2℃を超え、制御できない気象崩壊に突入する。現在の地球環境問題の抱えている大きな問題には「二つの制約」がある。

一つは人間が生きていく上で、必ず地球の自然から資源やエネルギーを採らなければならないということである。地球自体で修復能力を持っていたが現在は修復できる能力を超えてしまっている。しかし、再生可能な部分にも関わらず、人間はそれをやめることができない。

二つ目は地球にあった再生することができない金属や化石エネルギーを急速に使ってしまい、枯渇する時が迫っているという制約である。人間は本来、ゆっくりと時間を掛けて使うエネルギーを一気に使ってしまっている。その結果、地球温暖化が起こってしまった。

二つの制約を和らげるための切り口に、石田先生は人間の欲の構造を変える暮らしやテクノロジーをつくっていかなければいけないと仰った。テクノロジーは人間が安全安心に幸せに暮すためにつくられる。

しかし、これを裏返すと人の欲を満足させるためにテクノロジーをつくることになる。人間だけは際限のない欲を持っている。だから、テクノロジーは際限なくつくることができるのである。この二つの関係がよくなるような土台が、どこの国でも政策などでつくられてきたのである。

この土台は地球の資源やエネルギーで成り立っているので、無限ではなく有限である。有限であるということは今までのシステムの延長ではないということである。そのため、新しい人間の欲とテクノロジーとの関係が必要なのである。

 考えてみると、江戸時代や縄文時代に戻れれば環境問題は起こらない。なぜ、戻れないかというと、人間の生活価値の不可逆性という欲をもっているからである。人間は一度得た快適性や利便性を容易に放棄できない。例えば、普段使っている携帯電話も簡単に手放すことができないという事などである。

生活価値の不可逆性を肯定しながら、ものづくりをすることで新しい暮らし方ができてくる。そのものづくりの考え方として必要とされるのが、日本人などの稲作漁猟民だけが持っている価値観である「粋」であった。

「粋」という概念の一番素晴らしいところは敗者をつくらないところである。例えば、お金持ちになっても日本人は山や森を買わず、勝者になろうとしない。そのような、謙虚さが、テクノロジーやコミニュニティに存在できたら人間の欲の形態はわかるのである。

こうした「粋」の文化の中で育てるべきテクノロジーがネイチャー・テクノロジーである。例えば汚れにくい表面を持つカタツムリの殻を材料の表面エネルギーをコントロールして、カタツムリの殻と同じように汚れが付きにくい材料を作り上げることなどである。この技術を使ったタイルがINAXから商品化されている。

自然の本質を見極め、それを一番シンプルに、一番エネルギーがかからないようにデザインし直して、我々の生活に受け入れられるような、価値観が創造できるのがネイチャー・テクノロジーである。

私はネイチャー・テクノロジーの話を聞いて疑問に思った事が一つあった。自然のままにテクノロジーを造るときに、人間にとってはとても良い技術になるもので、その一方、環境への負荷が上がるものが造られることがあるのかという疑問であった。

その回答は自然をそのまま、マネをすると環境への負荷は上がる。しかし、まったく同じものを造るのではなく、一つ一つのメカニズムを知り、その部分だけをまったく負荷のかからないようにメカニズムだけを新しく、リ・デザインすれば良いということであった。

例えば、カタツムリの殻の汚れないメカニズムが表面のエネルギーの問題であることがわかれば、カタツムリの殻の汚れに関する本質を見極めたことになる。メカニズムをリ・デザインすれば、余計なエネルギーをかけなくても新しい表面を造ることができるということであった。

これからのものづくりはいかに、物の本質を見極め、人間の欲からなる生活価値の不可逆性を肯定しながら、エネルギーを使わずに造るかということが必要なのだと感じた。

これからのものをつくるうえでの、ものの価値観はどれだけ、人間を我慢させず地球にもやさしいものがつくれるかにあるのではないかと思った。


江戸川大学社会学部経営社会学科3年 田原 幸訓