今回は五十嵐威暢(デザイナー・建築家)さんをゲストに迎え、「引越しは人をつくり、国をも変える」というテーマでお話を聞いた。五十嵐さんは今年63歳までに、50回以上の引越しをした。 

 五十嵐さんは多摩美術大学を卒業後、ロサンゼルスの大学院に入学した。英語でのコミュニケーションは、冷や汗をかくほど大変だった。そこでは寮に入ったのだが、初めてアメリカの黒人と出会い、初めは恐いイメージがあったものの、その人が親切で清潔でとても気を使ってくれる人だったのでそのイメージが変わった。また、先生に食事に連れて行かれた先が戦前の日本が残ったままの、日本街の質素な日本食料理屋で、かなりショックを受けた。ロサンゼルスでは、このような自分のイメージを崩される出来事が毎日続いた。

 その後、デンマークのコペンハーゲンの学校に入学したのだが、当時は東洋人が珍しく大歓迎され、テレビ記者に囲まれるほどだった。しかし、その記者に日本といえば習字なので習字を書いてくれと頼まれ適当に書いたのだが、そこで自分は日本人なのに習字がかけないことに気づいた。またデンマークには、美術や彫刻を3ヶ月で学べる寮付きの公立の学校があった。そこには冬の仕事がない人が多く学びに来ていて、社会教育のようになっていた。壊れた椅子を直し、古い家具をデザインし直し新しくするのなど、生活に役立てている。そこで五十嵐さんは、そのようなデンマークの人々の暮らし方が綺麗で驚いたと言っていた。

 卒業後は、パリの友達の家に滞在したり、ニューヨークの友達の家で一週間を過ごしたりした。ニューヨークの都市のエネルギーはすごいらしい。

 そしてロスに戻り、普通は二年かかる修士課程を一年半で終えたのだが、大学紛争のおかげで講師にはなることができず、アルバイトを始めた。友人が紹介してくれた代理店のデザインの仕事は、初めは当時の初任給と同じ2、3万円の給料を貰うほど仕事があったのだが、途中から仕事がなくなってしまった。そのため、知り合いの空いている部屋を借りて経験を積んだ。

 それからはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授を務め、多摩美術大学のデザイン学科長も務めた。ロサンゼルスで部屋を探す際には、子供が居るという理由で入れてもらえず苦労をしたこともあった。しかしようやく他の先生や生徒から情報を得て、リビングから夕日が沈む絵のような住宅を探し出した。そこに引っ越した日に、キッチンに隣の人からの手紙が置いてあって感激したそうだ。家具が無いことを知った管理人が、ガレッジにあった家具をくれたりもした。そこは近所のコミュニティもとても良かった。

 その後また日本に戻ったが一年間は仕事が無かった。しかし、前にも同じようなことがあったので、不安にはならなかったらしい。

 また五十嵐さんは、みんながもっと引越しをすると過疎などは起きないと言っていた。日本の不動産は、売買が難しいし騙される事がある。引越しをする人が少ない一つの理由だ。アメリカやカナダの不動産はすぐに買うことができる。それは、エリア別にシロアリがいるかどうかから土地の地盤まで検査する調査官がいるから可能なことである。姉歯建築のような事件が起こらない、騙されない仕組みになっている。

他にも、田舎の人がもっと空いている家や土地を貸したり売るようにしてほしいと言っていた。そうすることで有効な土地利用ができる。日本人は、特に田舎の人は土地に縛られている。

五十嵐さんの話を聴いていると、こんなに自由な生き方もあるのだと思った。お金が無くてもなんとか生活することができたのは、五十嵐さんの人脈のおかげだと感じた。たくさん引越しをしてたくさんの人と出会う内に人間性が豊かになり、そのおかげで友人がたくさんできたのだと思った。さらに、それが外国人だからすごい。国境や人種は関係無い。共に苦労したからこその友情だという印象を受けた。友人の家を巡りながらヨーロッパやアメリカで生活したことがかっこいいし、身軽な人だと思った。土地に縛られない生き方をしていると、柔軟な考え方ができる人になる。それに、様々なことを経験するので少々のことでは不安にならなくなる。また、ロサンゼルスでの寮で出会った日本人の学生が、今のサントリーの社長だということに驚いた。寝食を共にした学生時代の友達と、違った世界ではあるがお互いにトップに登りつめる事ができ、誇りだと思う。そんな貴重な出会いがあったのも、広い世界で生きてきたからである。

 日本では、「家は一生の買い物」という言葉があるように、一度家を買ったら一生そこで暮らすのが一般的だ。しかし、人生の各場面によって住む場所を変えると、土地によりやりたいことが制限されることが無くなると思う。また、学校通い、会社勤め、子育てなどと住む場所を変えることで色々な土地に人が住むことになるし、町に特色も出る。

しかし、地域の人が頻繁に入れ替わることでコミュニケーションが不足したり、近所付き合いがうまくいかなくなることも考えられる。それは、家や町の設計が排他的になってしまった場合に起こるので、コミュニケーションがとれる町づくりが大切だ。

 今回の研究会では、新しい地域の活性化の方法や生き方を学んだと思う。今までは、ずっとその町に住み続けて町を活性化させるという考え方だった。しかし五十嵐さんは、不便があると簡単に引越しをする。自分に合った町、またはさらにもっといい町を探せるのだ。今まで自分が住んでいた家を他の人に受け渡し、さらに良い環境を求めることで、人を集めようとそれぞれの町が良くなろうとする。引越しをすることで、自分自身も町も成長できると思った。

江戸川大学ライフデザイン学科2年 駄賃場 桃子