江戸川大学社会学部ライフデザイン学科2年 駄賃場 桃子


 今回は、相田みつをさんの息子であり相田みつを美術館の館長である相田一人さんのお話を聞いた。美術館は普通のつくりと違っていて、井戸があるなど、歩かないと作品が見ることができないつくりになっていた。また、ところどころに椅子が置いてあった。それは、みつをさんの早朝の散歩コースを再現したものだった。歩きながら休みながら観ることで空間が揉まれる。開館のときと閉館のときの空気が違うらしい。温泉の湯揉み効果と一緒だという。また美術館とは、集客や接遇など接客業だと考えている。経済利益とは無縁の難しい業態である。維持・運営さえできればいいというスタンスでやらなければない。みつをさんは、副収入があると甘えが書に出てしまうといっていた。そのため、生きていたら美術館はつくることができなかったという。

 

相田みつをさんは、若い頃に基礎的な書道をしっかり見につけていた。書こうとすればどんな書体でも書くことができた。また、自分で詩も書いたのでシンガーソングライターのようなものだった。心にぱっと浮かんだ言葉を書いたのではなく、長い時間をかけた。何千枚も何万枚も、生涯をかけて書いた。書くほど求めるものが深くなるので、完璧なものはない。全て自分へのメッセージだった。生涯のテーマは「いのちの根」という言葉だったのではないかという。表のものはたいしたことがなく、大事なものは目に見えない。

 

お話を聞いていて感じたのは、相田みつをさんという人は、すごく自分を貫き通した人だということだ。自分の意思や考え方をしっかり持っていて、周りに流されない、そんな印象を受けた。地元で区画整備の話が上がったときも、少数派だったにも関わらず説得を続けた。命の危険にさらされながらも景観と子供たちの通学路を守った。今、100年先のことを考えてとか、将来を見据えてなどと言われることがたくさんあるが、この人は始めからそのことをわかっていたようだ。役所や賛成派と言い争うときも、声を荒げることがなかったことから、冷静な人柄もわかる。「うまさだけでは感動させられない、技術だけでは感心だけ。」といった言葉からもわかるように、相田みつをさんの書が多くの人を感動させ、癒し勇気づけているのは人柄が表れているからだと感じた。