2010年1月号撮影現場の大将軍―張進戦(ジャン・ジンジャン張進戰) | レスリー・チャン(張國榮・張国栄・Leslie Cheung)スマイル

2010年1月号撮影現場の大将軍―張進戦(ジャン・ジンジャン張進戰)

■台湾光華雑誌2010年1月022ページ サイト / 既刊号 / 芸術と文化 / 映画 より

撮影現場の大将軍―張進戦(ジャン・ジンジャン/Zhang Jin-Zhan/張進戰)についての紹介記事なので、

最後のほうにほんの少しだけレスリー・チャン(張國榮)のことが書いてあるだけです。


前記事参照
2012年1月21日蘋果日報より張進戦/レスリー・チャン(張國榮)/陶經
http://ameblo.jp/lcing/entry-11142272005.html




■台湾光華雑誌 2010年1月022ページ [1/6]
■ 撮影現場の大将軍――張進戦  文・滕淑芬 圖・張進戦提供
56歳の張進戦は中国・香港・台湾の映画監督が頼りとする「大場面執行監督」だ。スケールの大きい戦闘シーンなどの撮影には決して欠かすことのできない存在である。 (i)

大作が目白押しの華語映画界には撮影に不可欠な人材が存在する。中国・香港・台湾の大監督も、その人のスケジュールに合わせないと撮影を始められないと言う。その人は2003年の『英雄(HERO)』以降、「大場面執行監督」という肩書を持ち、『満城尽帯黄金甲(王妃の紋章)』『投名状(ウォーロード/男たちの誓い)』『色・戒(ラスト、コーション)』『赤壁(レッドクリフ)』などの大型作品のエンディングロールにはその名が記されている。「張進戦――大場面執行監督」とはどのような人物なのだろう。

ジョン・ウー監督の『レッドクリフ』の撮影規模は華語映画史上最大のものだった。兵士のエキストラはのべ20万人に達し、8ヶ月をかけて三国志の八卦陣、草船借箭、長阪の戦い、火焼連環船といった名場面を再現した。いずれも迫力ある画面だが、撮影現場は「災難」である。難度の高い戦闘シーンの成否は、すべて張進戦の肩にかかっているのだ。

体格のよい張進戦は56歳、北京広播学院の出身だ。偉ぶったところはないが頑固で、穏やかだが威厳があり、義侠心を感じさせる。初めて会った人の多くは「あの大場面を彼が撮ったのか」と疑問に思う。この北方出身の大男と、緻密な作業は似つかわしくないからだ。
http://www.taiwan-panorama.com/jp/show_issue.php?id=201019901022j.txt &cur_page=1&table=5&h1=6Iq46KGT44Go5paH5YyW&h2=5pig55S7&search=&height=&type=&scope=&order=&keyword=&lstPage=&num=&year=2010&month=01
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■ 撮影現場の大将軍――張進戦  文・滕淑芬 圖・張進戦提供
エキストラの動きに少しのずれも生じないように、時には自動小銃を空に撃って号令の代りにする。 (張進戦提供)

馬も言うことを聞く
諸葛孔明が八卦の陣を敷くと、兵士たちは重い甲冑をつけて円形に並ぶ。撮影は真夏、現場の気温は40度に達した。エキストラ1000人の中には熱中症になる人もいた。本番前、張進戦は全員に気合を入れる。「ウー監督の要求は厳しい。ぼんやりしている者がいたら、責任を取ってもらう!」言葉は厳しいが、彼は何とかしてエキストラが暑さをしのげるようにしたいと思っていた。

兵士は盾を首の高さで持つので、カメラには首から下は映らないことがわかった。そこで彼は、全員ズボンを脱いでよいことにした。これで少しは涼しくなるはずだ。

突然の雨に見舞われることもある。準備ができたかと思ったら、3キロ先まで雨雲が来ているという電話が入り、撤退することになる。張進戦は馬とエキストラを安全なところに避難させ、晴れたら今度は全員の衣装を乾かさなければならない。

午前4時、東呉の兵士が船から跳び下りるシーンを撮る。ここでは一人でも跳び下りるのが遅れると大変なことになる。全員の衣装が濡れてしまった後では撮り直しができないからだ。

不思議なことに、数百頭の馬も彼の言うことを聞くという。

張進戦によると、馬を転倒させるには技術がいる。馬の脚に針金をつけておき、定位置に来た時に、騎手がそれを引っ張って転ばせる。だが、馬は頭がいいので、多くても2回までしかできず、3回目には馬は自分で止まってしまい、馬を換えなければならなくなる。

馬は撮影の3ヶ月前から調教師による訓練を受ける。数百頭の馬は「位置につけ」と言われただけで、足踏みを始める。次の命令は「突進」だと分かっているからだ。

インターネットで『レッドクリフ』の撮影現場のフィルムを見ると、黄砂が舞う大地で張進戦が拡声器や無線を使って指揮を執る姿が見られる。エキストラや馬を総動員し、激しい戦闘の場面を作っていく。確かに普通の人にできる技ではない。
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■ 撮影現場の大将軍――張進戦  文・滕淑芬 圖・張進戦提供
撮影現場の大将軍
映画業界には不文律がある。一度ある監督の下で働いたら、そのスタッフと見なされ、他の監督の仕事を受けるのは難しいのである。だが、張進戦には多くの名監督が仕事を依頼してくる。「それは自分が優秀だからではなく、この仕事が重要だからですよ」と張進戦は言う。

では、彼はどのようにしてこのスキルを培ったのだろう。

1969年、16歳だった張進戦は、数千名の若者と一緒に北京から4日間列車に揺られて昆明へ行き、小型バスに乗り換えて西双版納(シーサンパンナ)まで行き、雲南兵団に入隊した。ここで彼は、陳凱歌や鍾阿城などの文芸青年と知り合い、後に一緒に働くことになる。

雲南省新劇団が兵団に俳優募集に来た時に、彼はたまたま合格した。この「歴史的な誤解」によって彼は演劇や脚本など芸術文化の基礎を築くこととなる。さらに二度にわたって軍事記者としてベトナム戦争の前線へ赴き、大型新劇『軍魂』を創作、これがテレビドラマ化されて大賞を受賞した。

初めて自分の作品のドラマを撮影した時、張進戦は人民解放軍の5000人を動員し、4つの山の上から一斉に突撃するシーンを撮った。マイクを握り、最初の号令をかけたが、どんなに叫んでも誰も動かない。号令が聞こえなかったのである。

副師長がやってきて「張監督、後ろに下がってください。私が号令をかけますから」と言う。果たして、今度は一度の号令で動いた。その号令には気迫と権威が漲り、非常に正確だった。「数千人の前で号令をかけるには自信が必要です。誰もが思わず背筋を伸ばし、しんと静まり返るような号令です。戦を知り尽くし、兵士を愛する将軍のような」と言う。

1990年、陳凱歌は『辺走辺唱(人生は琴の弦のように)』で数百人が歌を聞く場面と村民闘争シーンを張進戦に依頼し、彼は見事にやってのけた。
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■ 撮影現場の大将軍――張進戦 文・滕淑芬 圖・張進戦提供
自動小銃を手に出撃
張進戦は軍服こそ着ていないものの、エキストラを支援する人民解放軍も彼を恐れる。いつも実弾を込めた自動小銃を肩にかけて指揮を執るからだ。

張進戦によると、殴り合いの迫真の演技も、実はカメラの角度によって殴り合っているように見えるに過ぎない。だが、時には力が入りすぎて本当の喧嘩になってしまうこともある。また、拡声器で号令をかけても、声が風に流されてしまい、全員の動作がそろわないことがある。そういう時はマイクを持たず、自動小銃を空に向けて撃つのである。

『辺走辺唱』の後、張進戦は陳凱歌の執行助監督となり、4作品を作った。

『英雄(HERO)』では、主演の3人と大勢のエキストラとが一斉に戦う場面が多く、覇気の漲る武術指導の程小東と張進戦の初顔合わせとなった。

主演のジェット・リーとトニー・レオン、マギー・チャンが大殿で戦う場面では、周囲で800人の兵士も戦う。張進戦は、一度リハーサルを求めた。彼が号令をかけると現場は静まり返り、次の瞬間、800人によって指示通りの見事な戦闘シーンが展開された。これを見た程小東は感心し、後に張芸謀に「こういう人材は大金を積んでも確保するべきだ」と建言した。こうして「大場面執行監督」張進戦の名がエンディングロールに登場するようになったのである。
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■ 撮影現場の大将軍――張進戦 文・滕淑芬 圖・張進戦提供
河北と上海を毎日往復
有名俳優が複数の作品を掛け持ち、撮影現場を行き来することはあるが、張進戦にも同じような経験がある。

2006年11月、張進戦が河北で『投名状』を撮影している時、李安(アン・リー)は上海で『色戒』を撮っており、群衆が行き交う街頭の場面に張進戦が必要だった。双方のスタッフが話し合い、張進戦は両地を行き来することになる。

張進戦は毎朝5時に起きて河北の『投名状』の現場で午後5時まで働き、車を3時間走らせて北京の首都空港から上海行きの最終便に乗る。『色戒』のスタッフの迎えの車に乗って撮影所に着くのは午前3時だ。慌ただしく麺をかき込んでそのまま午後5時まで撮影し、最終便で北京へ戻ると深夜1時である。こうして1週間、睡眠は移動中だけだった。

アン・リーは『グリーン・デスティニー』の時に張進戦に依頼したかったのだが、張進戦は『荊軻刺秦王(始皇帝暗殺)』の撮影中でスケジュールが合わず、『色戒』で初めての協同作業となった。

張進戦によると、アン・リーは街頭を行き交うエキストラにも細かい要求をする。単に歩くのでなく、それぞれ身分や役割を明確にするのである。

「一人ひとり、身分や暮らしぶりによって歩く姿や表情も異なるのです」と張進戦は言う。休日のショッピングなのか、見舞いに向う途中なのか、背広を着ているのは社長なのか、番頭なのか、などである。

ぶらぶらしているだけなのか、急いでいるかで表情も違ってくる。「もし全員が同じ表情で同じ速度で歩いていたら、不自然に感じ、映像の質にも影響します」と言う。
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■ 撮影現場の大将軍――張進戦  文・滕淑芬 圖・張進戦提供
国境のない華語映画
エキストラの調達力と現場での実行力を高く買い、外国の監督も中国で撮影する時には張進戦を第一助監督に指名する。こうしてクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』、ベストセラー小説を映画化した『君のためなら千回でも』、オーストラリアの『マオズ・ラスト・ダンサー』など西洋映画10作品の制作にも携わった。

華語映画の趨勢について、張進戦はこう話す。以前、香港映画は利益を追求するあまり粗製乱造に陥って衰退していったが、1992年に張国栄(レスリー・チャン)が大陸で『さらば、わが愛/覇王別姫』に主演した時に、チャンは大陸映画界が芸術性を追求する姿に衝撃を受けた。だが『投名状』以降、香港映画も芸術的な格調の高さを追求するようになったと張進戦は感じている。

「逆に、現在の中国のムードは非常に浮ついていて、娯楽性にこそ市場があると考えるようになりました。スポーツで攻守が交替したような感じです」と言う。だが映画に国境はない。華語映画の大きな趨勢には変化はなく、世界の一角を占めるのだから、技術人材の活躍の場は非常に大きいと張進戦は考えている。
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