川島芳子の生涯が香港映画になる。
川島芳子つながりでの話題ですが、
さすが、香港(笑)もう映画になるそうです。
ドキュメンタリー映画なので娯楽映画ではなくまともな検証映画かな?
もう、香港から松本にロケに来ているとは驚いた!
香港は、仕事が早すぎですわ~(笑
2010年4月の香港国際映画祭に出品するそうです。
中国では、川島芳子は、スパイと言うよりも、
漢奸 かんかん(売国奴)ですからね・・どのように映画で扱われるのでしょうか?
香港国際映画祭に出品するそうなので、
アニタ・ムイ(梅艶芳)とアンディ・ラウ(劉徳華)の映画『川島芳子』も関連作品として映画祭で上映されるかしらね?
川島芳子は、死んでもなおいろんなことで騒がれる本当の伝説の人ですね。。。
川島芳子の同腹の妹は愛新覚羅顕琦(あいしんかくらけんき)さんで
ご自分の本では、なかなかお姉さんのことを厳しく言っています。
肉親から見た装飾のない言葉なので真実味があります。
北京在住の妹に取材と書いてあるから、たぶん、この妹さんに取材なのでは?と思うのですが?
ずっと文化大革命の時に刑務所と強制労働所に送られていた妹さんは、
まだ北京で健在なんですね!
取材受けられるほど、お元気で良かったです。
前記事 09年4/13 テレビ朝日 川島芳子は生きていた!生存説検証番組
http://ameblo.jp/lcing/entry-10240203808.html
●川島芳子に新たな脚光 市民がオリジナル演劇
中国・清朝の王女で、松本にゆかりのある川島芳子の波乱に満ちた人生に注目が集まっている。市民有志が演劇上演を、香港の映画会社がドキュメンタリー映画制作を、それぞれ企画している。
川島は1915年頃、清朝の信頼が厚かった川島浪速(松本藩士・川島良顕の長男)の養女となり、来日。松本高等女学校(現松本蟻ヶ崎高校)に馬で通学したエピソードは有名だ。遺骨は、松本市蟻ヶ崎の正麟寺にある川島家の墓に眠っている。
11月公演予定の劇は、市芸術文化祭の50周年を記念して、実行委員会(松村好雄委員長)が企画。情報提供を市民に呼びかけたところ、約20人から電話や手紙で川島に関する思い出が寄せられ、脚本・演出を担当する女優美咲蘭さん(松本市島立)が松本市、安曇野市在住の6人から聞き取り調査を行った。
川島が通っていた中華料理店(松本市大手)で育った女性は、1937年頃、4、5歳だった時に、川島家のソファで川島に抱っこされて食事をしたという。川島家はいつもビャクダンの香りが漂っていた。家の中では、川島は男装ではなく、チャイナ服を着ていたという。「川島芳子を偲(しの)ぶ会」(松本市)などによると、当時、川島は日中を行き来する生活をしていた。
松本市内で美容院を経営していた母親が川島と親交があったという女性は「美容院に同級生を迎えに来て、静かに読書をして待っていた。世間で言われる派手な印象とは異なり、さみしそうだったと、母はよく口にしていた」というエピソードを、美咲さんに伝えた。
「エピソードは生活のちょっとした断片であっても、鮮やかで生き生きしている。リアリティーを盛り込んだ、松本らしい劇にしたい」と美咲さん。小説や舞台で描かれてきた川島像とは違う視点での脚本作りに励んでいる。
劇の出演者やスタッフは、ほとんど市民で、12日にオーディションを実施して決める。11月15日にまつもと市民芸術館で2公演を予定している。
◆香港の映画会社がロケ◆
香港の映画会社「ニューページコミュニケーションズ」は、川島芳子の軌跡を追うドキュメンタリー映画を撮影している。作品は1時間程度で、2010年春開催予定の香港国際映画祭に出品する。
スタッフら5人は先月から3回、松本市に撮影に訪れた。最後の松本ロケとなった4~7日には、松本蟻ヶ崎高校、正麟寺、松本城、松本市歴史の里内の川島芳子記念室など約10か所を訪れ、関係者のインタビューも行った。
プロデューサーの洪麗京さん(52)は「中国では川島をスパイと見る人が多い。映画では1人の人間、女性として描き、見方は観客に任せたい」と話す。今後、北京在住の川島の妹にも取材する予定という。
(2009年4月8日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20090407-OYT8T01146.htm
●川島芳子の生涯映画に 香港会社、松本で足跡たどるロケ 4月5日(日)
川島芳子の墓がある松本市の正麟寺で、宮沢前住職にインタビューする香港の撮影会社の社員
旧日本軍のスパイとして1948年に北京で処刑されたとされる「東洋のマタ・ハリ」こと川島芳子の生涯を描くドキュメンタリー映画の松本市でのロケが4日、始まった。香港の製作会社のスタッフと通訳の計5人が7日まで同市に滞在。関連資料を展示している「市歴史の里」(松本市島立)内にある「川島芳子記念室」、芳子が通った旧制松本高等女学校を前身とする松本蟻ケ崎高校など市内9カ所で撮影は行われる。
芳子は1907年、清朝の王女に生まれ、大正初期に来日。松本市にも滞在した後、中国に戻り、日中戦争のほか満州国建国にかかわった。
スタッフらは4日は、芳子の墓がある同市蟻ケ崎の正麟寺を訪れ、前住職の宮沢俊弘さん(75)に遺骨が寺に来た時の状況や墓の様子について尋ねた。宮沢前住職は「(遺骨は)小さなつぼに入っていて軽かった」「墓には、芳子と直接縁がない人も訪ねてくる。歴史の渦に巻き込まれた薄幸の王女として、心情に訴えるものがあるのではないか」などと答えていた。
「川島芳子を偲(しの)ぶ会」の穂苅甲子男会長(84)へのインタビューや、蟻ケ崎高校同窓会への取材なども予定している。ロケ地の選定では市観光温泉課ロケ支援担当係が協力した。
映画は2010年4月の香港国際映画祭に出品する。プロデューサーの洪麗京(ほんらいきん)さん(52)は「中国では芳子を『国を売ったスパイ』と言う人が多い。生涯を映画にすることで、見る人それぞれが芳子について考えてほしい」と話していた。
信濃毎日新聞
http://www.shinmai.co.jp/news/20090405/KT090404SJI090011000022.htm