言いたい放題です~レスリー・チャン(張國榮)と映画「コンフェッション」について
うーん、映画のあらすじや書評を読んでみて、今回見ようと思ってやっぱりやめたのは、
面白くなさそうだったから・・・。何これ?って感じです~。
レスリー・チャン(張國榮)が2003年3月20日にアドミラリティの映画館金鐘UAで見た映画が「コンフェッション」
↓前記事あらすじ
http://ameblo.jp/lcing/entry-10033124586.html
↓前記事週刊書評
http://ameblo.jp/lcing/entry-10033125149.html
>ポストモダンの「危険な精神」を見事に造形
> ポストモダンとは、テレビや映像だけが現実と錯覚され、
>その背後には何もないように感じられる状況を指した語である。
> 人格とは元来、表面と裏面が合体して一体となったものであるのに、
>両者が分離され、個々人が自分の表面と裏面を見失う──
>このこと自体が、今日的人格崩壊の本質なのである。
>バリスは自分の映像化された「表面」を憎悪する。
>テレビの人気者になった自分の成功を、成功と感じられない。
>それどころか、そんな自分をカスだと感じる。
↑なんかこの解説を読んでもういいやって思ったです。
まあ、本当はレスリー・チャン(張國榮)ファンなら見るべきだと思いますけど・・。この映画は、映画祭で賞を受賞しているんですよね。
脚本家「エリン・ブロコビッチ」の力もあってか、ジョージ・クルーニーの初監督作品としては、評価されているようです。
しかしね・・こういう映画を03年3月20日当時、鬱病だったレスリー・チャン(張國榮)に見せるって・・なんというか・・どういう気だったのでしょう?溜息だな・・。
レスリー・チャン(張國榮)本人がこの映画を見たいって言ったから見せました。
が回答なんでしょうけどねぇ。
鬱病の人間が見たいと言えば、何でもホイホイと映画を見ることをOKしちゃうもんなのかねぇ~?
原作の題名「Confessions of a Dangerous Mind」を「コンフェッション/人でも殺したい気分」と日本では翻訳しているが、映画の原題『Confessions of a Dangerous Mind 』を直訳すると「ある危険な精神の告白」
鬱病の人へは、この原作題名からしてまずいと思わないのか?
まずいと思った題名なら鬱病患者に見せる前に内容のチェックくらいしないのか?
アメリカの低俗テレビ番組で高視聴率プロデューサーとして活躍した、チャック・バリスの自伝が原作です。
表は、売れっ子TVプロデューサー、裏はCIA工作員暗殺者として暗躍したというお話。彼はなんと33人の暗殺に関与したと自伝で告白しているのですが・・嘘でしょう。落ち目になった芸能人のあがきと芸能界の裏話的なお話だそうです。結局、人気が落ちて這い上がれずにそのまま引退した人だそうで
「残したものは視聴率と死体」
というコピーがついて公開されています。
自伝なのに、書いた本人がCIA暗殺者だという荒唐無稽な嘘を書いてたら、自伝でも相手にされないわね~。当時は原作にある二面性の面白さよりも、低俗番組のプロデューサーが売れ線をねらって、また大衆に盛り上がりそうな嘘を書いたって捉えられていただけのようです。もう一旗あげようと再起を狙っての話題作りのためには、生い立ち説明のような自伝ではなく、センセーショナルな内容がないと浮上できない!と思って「実は暗殺者だ」という嘘を組みこんで書いたのでしょう。
芸能人チャック・バリス自体が世間から忘れられた今のほうが、フィクションの小説として面白く読めるようになっているようです。
テレビの高視聴率男だった司会者が今は映画がオオコケして、話題作りで取り上げられたいと思って自伝を書いて、その人の自伝からの映画・・。
レスリー・チャン(張國榮)もアイドル時代は、大もり上がりの同じように視聴率男だったでしょうけど、03年当時のレスリー・チャン(張國榮)は、出演した映画は、どれも興行成績がパッとしなくて、この伝記のチャック・バリスのように、一般から見た印象は、落ち目の芸能人だったわけです。日本人ファンは支持していたので、面子は保っていましたけれど、アイドル時代のようなCDや映画のヒットなんかはもうなかったわけです。
お金ではない良い作品に出演をしたいと思って映画に出ても、映画は、珠玉の作品・良い作品ではありますが、レスリー・チャン(張國榮)本人の演技は、映画賞への評価もされないという状況で・・。
この作者のチャック・バリスと同じように「過去の人になりつつある」実情でレスリー・チャン(張國榮)は、いろいろともがいていたのに、同じような状況の芸能人をあつかった内容の、こういう映画を見せてどうなのかしら?
専門家でないのでわかりませんが・・救いようがない隠隠滅滅の映画ではないとしてもですよ、この映画って、レスリーのことのみから考えたら、鬱病が悪くなるだろうと推測はできても、鬱病が良くなるような映画だとは、とっても思えないんですけどねぇ・・?
レスリー・チャン(張國榮)の病気は、精神的なことにかかわる病気だったんだから、回りにいる人が、新作映画で見る映画がどういう内容の映画なのかくらい、さらっとチェックしないんだろうか? 愛情無いよなぁ・・。
特にチャック・バリスの自伝が原作ならば、その本そのももを事前に読めるし、本の解説だけでも、読んでみてもいいわけで・・。どういう映画なのかが、わかるだろうに・・そういうこともしないわけなの?レスリーのことは、回りの人間は、その程度しか気にかけてなかったってことの表れなんだろうけどね・・。
鬱で具合悪い具合悪いが、日常になっているんなら、もう回りの人間もそういう日常鬱で具合悪いレスリーに飽き飽きしてたというか、慢性化してきていて、それが普通の毎日になってたんだろうとは思うけどね。普通の毎日だったから気にしなかったんでしょう。
この映画を見たからレスリー・チャン(張國榮)の病気が悪化して死んだとは思いませんし、そこまで短絡的に何か直結することだったとは思いませんが、この映画をレスリー・チャン(張國榮)に見せて、鬱病の病状が回復するだろうと思うレスリーファンがいるとは思わないんですけどね~。
友人の精神科で働いたことある看護婦さんに「鬱病患者が見たいなら何の内容の映画でも、前向きの意見ということで映画は見せるものなの?」か聞いてみた。
鬱病患者が、何かこうしたいという願いことを聞くのはOKだけど、内容がちょっとまずいような映画なら、その後の患者へのフォローアップができる体制がないならお勧めしないってことを言っていました。
お勧めできないような内容の映画でも、患者の意思としては、見たい映画なので、そこから良い方向に向かう場合もあるけれど、見たくて見た映画でも、そういう映画を見て、反対にダウンの精神の方向に向かう場合もあるわけです。映画を見た後に、もし、悪い方向に向かった時のフロー体制がきちんと出来ていないなら、もう少し違う映画にしたほうがいいんじゃないか?というアドバイスを患者にするのが妥当じゃないか?という話でした。
レスリー・チャン(張國榮)の回りの人間はフォロー体制が出来ていると思っていたんですかね・・?苦笑
病気も毎日過ごしていることだから日常として麻痺してたんだろうけどさぁ。
たぶん、レスリー・チャン(張國榮)がこの映画を見たいと思ったのは、理由としては、俳優から監督の初監督作品がどんなものか?ってことが興味あったのかな?と思います。監督がジョージ・クルーニー、製作総指揮:スティーヴン・ソダーバーグですが、監督のジョージ・クルーニーは、俳優だけど、この作品が初監督作品、おまけに映画賞まで受賞しているわけで。
レスリー・チャン(張國榮)も俳優から監督になりたいと長年言っていましたが(足掛け20年くらいですかね・・?)、ジョージ・クルーニーは、俳優から監督に早々となることが出来た人なわけです。そういう人の初監督作品を、レスリー・チャン(張國榮)も映画館で実際に見て観客の反応とかも知りたかったのだろうし、俳優が監督をするということに対して、どのくらいの技量が必要なのか腕を見たかったのかな・・?と思います。
本当は、ジョージ・クルーニーがプロデューサーで関わっていて監督降板で、仕方なく監督をすることになったようですが。
プロデューサーで関わっていたからか、後輩や友人をゲストで出演してもらっているので、ちょい役でゲスト出演している人も多いようです。レスリーも自分が監督で映画を撮る時は、ゲスト出演してもらいたい人のことも色々と考えていたのでしょうしね・・。どんな風にゲストを出すとかも参考になったのかもしれないし・・。
スティーブン・ソダーバーグは、『セックスと嘘とビデオテープ』『エリン・ブロコビッチ』『オーシャンズ11』の監督だけど、「愛の神エロス・2004年公開」でウォン・カーウァイ監督と一緒の仕事が決まっていたことからも、こっちにも興味があったのかしら?
当時は、03年20日が映画のオープニングだったから、芸能人がちらほら来ているので、レスリー・チャン(張國榮)と唐さんも宣伝用に招待券を貰って無料で行ったのだと思います。
ドケチのレスリーにはタダってことも、とっても重要な要素だったのでしょう(笑
こんなもん見ないで、ディズニーの「ファイティングニモ」でも見せろよ~と思ったっす。
どなたか、映画を見た人いますでしょうか?レスリーの鬱病という観点からの感想で教えてください。
多様な意見を聞いてみたいです。他力本願だな~。
映画を見てない私が言いたい放題ですみません。