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ラルトRH6ホンダ/1981 



田宮から『ホンダF-2競技用スペシャル』の名前でRCカーが発売されてたのを覚えている方はオッサンですね(^_^;)

サイドポンツーンの跳ね上げ具合から~中嶋悟さんナイジェル・マンセルさんの乗った1980型を取材したかと。 


ラルト創設オーナーのロン・トーラナックは・創設時のブラバムのデザイナーとして活躍。1966/1967のF1チャンピオンを始め~1966年にホンダと組んでのF2チャンピオン他~多くの勝利をブラバムにもたらします。ブラバム創設オーナーのジャック・ブラバムが引退して郷里のオーストラリアに隠居後~ブラバムを引き継ぎますが~F1からF3までカバーする会社を持て余し~バーニー・エクレストンにブラバムを譲渡します。暫くの間~フリーのデザイナーを勤めたあと~1975に『ラルト』で市販レーシングカーの商売を開始。第一弾『RT1』は~F-3のグリッドを埋め尽くし、下積み時代のケケ・ロズベルグ等が~ノンタイトル戦でのF1優勝を始め~確かな結果を示します。

『ウィングカー』の時代となり~RT1の戦闘力(商品価値)が無くなるのと入れ替わりに~1979年・基本設計を同じくする『F-2のRT2』『F3のRT3』『formula-Atlantic/pacificのRT4』と、適時差別化をして発売。マイナーチェンジを繰り返し~ウィングカーが禁止される80年代半ばまで勝ち続けます。

1979発売のRT2(田宮からラジコンカーが発売)はトールマンに委ねられ好結果を出しますが~再スタートの解釈を巡る失格騒ぎで~チャンピオンをとりそこねます。

トールマンは~RT2の独自改修型TG280(後のF1デザイナー。ロリー・バーン作)で1980年のF2チャンピオンを獲得。1981からF1に進級します。

本家ラルトRT2は~ホンダV6エンジン搭載のRH6に進化。後のF1チャンピオン・若き日のナイジェル・マンセルが駆りデビュー。マンセルがロータスF1に抜粋された1981はマイク・サックウェル。ジェフ・リースに委ねられ~開幕戦でサックウェルが幸先好く勝つも~第3戦で左足を複雑骨折して戦線離脱。同戦から参戦のブリジストンを履いたリースがタイトルを獲得します。全日本F2でもマーチ812ホンダの中嶋悟がチャンピオンを獲得。以降はF1復帰へと動いていきました。


ノーズ上面にプラペーパーを重ね貼り。兄弟車のラルトRT4(多分、カウルの抜き型は同じ)も参考にして・ふっくらしたラインにしました。


ボディカウル後端~ドライブアクスルを越えてリアタイヤ一杯まで延長。


モノコック燃料タンクを2.5㎜継ぎ足し。エンジンハンガーはカット。

モノコックフロント~カウルに合致するまで幅増し。

前タイヤは田宮のトムス84C.後タイヤはモデラーズのF3000-ローラT87/50。



ハンドメイドのもの

 

 

 

 

 

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