HONDA CIVIC-CR-X/Gr.S..prototype.
1985WRC最終戦RACにデビューしたオースチン・ローバーのGr.Bラリーカー・MGメトロ6R4。F1のウィリアムズが設計。コスワースから引き抜いた人間にエンジンを開発させるも~他の競争力を見誤り~世界選手権レベルには足りない事が早々に露呈します。
ローバーは1988から導入の新規定Gr.Sに当たり~HONDAに協力を打診。
このハナシにウィリアムズは喚ばれず~ウィリアムズとHONDAが1987限りで離婚する原因の一つとなりました。
Gr.Sは~『ターボ1.2liter。NA2.4liter。300馬力規制』『最小重量1000㎏。安全燃料タンク・クロモリフレーム遵守』『ホモロゲ最小生産数10台(!)』
その他『エアロパーツ規制』が詠われていました。
クロモリパイプの扱いに慣れたHRCが車体製作。当時のHRCの方向性で、必要以上に頑丈に作られています。
初代エビガラNR500・初代上方排気NSR500で苦しんだ経験から
『車載状態でエンジン調整可能。吊り上げ設備がなくとも、後ろから引き出し可能な開放型フレーム』『常識的なダブルウィッシュボーン』『調整が容易な独立リアウィングの設置場所確保の為~シビックではなくCR-X』
当時の最新流行『ダブルダンパー』は『本業がバイク屋』ナノで得意中の得意。当然のように採用されました。
エンジンは朝霞研究所が担当。~確実視された『ターボ締め出し』を見越してV6NA。見た目はレジェンド用C型ソノママながら~中身はF2用RA266横滑りソノモノ!『HONDAのV6はレースチューンに向かない』~として、DFVの縮小再生版を作ったたローバーへの『当て付け』の『近代的NAエンジン』(メンテナンス担当予定のジャッド経由で~ウィリアムズがこの車の存在を知るところとなりました)でした。
この頃に体系的な基板が確立してきたリアディフューザーは~『
アンダーガード』と強弁して設置。サイドエアダムも同様に『アンダーガード』。~『HONDA車のサイドシルはスグ錆びる』のは世界に知れ渡っていましたので~問題視されませんでした(^_^;)))
イギリスに送られた試作1号車は・ローバーのWRC現場を請け負っていたプロドライブに引き渡され~共通のスポンサーである『ロスマンズのデモ車』に偽装。Gr.Sエンジン規定ではデカクて走れない『ポルシェ959』との訣別の意味もありました。
ロスマンズ繋がりで、開発ドライバーはジミー・マクレー。ジミー多忙時に備え・長男のコリンもアシスト採用。
が~クラッシュ全損廃車・・・無惨に潰れたCR-Xの残骸から無傷で這い出してきたコリンに対し~エンジニアのデビット・ラップワースは『クラッシュテスト合格・・・』と嘆息します。
追加の試作2号車が出来た日~トイボネンがツール・ド・コルスで事故死。Gr.Sは陽の目を見ずに葬られ~本計画も自動的に中止となりました。
日本に残された試作車m『阪神高速循環線専用競技車両』に改造~得られたデータは・NSXとbeatの開発に供されました。
みたいな『設定』は如何でしょうか?
私ら『よろしくメカドック』世代にとって『CR-Xはミッドシップ』です。
アメリカ最大手玩具メーカー・マテルのホットホイールでもミッドシップ。
CR-Xがミッドシップなのは『世界共通認知(個人の感想です)』されています
アメリカの老舗自動車誌『car&driver』は『twin・engine』ナンてのを本当に作ってたりします!ソレに比べたら~本作位の『遊び心』は許されマスよね?



