休みの日の母と話していて、学生時代の頃の話題になり、ふと考えた。

 

 

やはり日本の教育制度はおかしいではないか。

 

 

特に体育でサッカーやソフトボールなど全生徒に強制してさせるのはいかがなものか。

 

 

小学校の時からサッカーをやっていた子、野球をやっていた子、また、休み時間の時に普段からサッカーや野球をやっていた子と、休み時間は図書館に行き、本を読み、学校を探検したり、妄想に耽るのが好きだった子とが、急にそれらのスポーツを授業で強制させられるのだ。

 

 

差が出て当たり前だろう

 

 

普段から好きでやっていた子たちは、難なくこなせることも、後者の子たちにとってはハードルが高い。

 

 

前者の子から見れば、何でこんなこともできないのか、そんな苛立ちも沸き起こるだろう。

 

 

特に私は後者の方だったので、体育の時間が苦痛で仕方がなかった。

 

 

何より辛かったのは前者の子たちからの非難である。

 

 

ルールもよくわかっていないのに、いきなりやらされるわけである。

 

 

ちなみに、私は未だにオフサイドの意味もよくわかっていない。

 

 

私だって、失敗をしたくてしているわけではない。

 

 

しまいには、サッカーでは、私の方にだけはボールがこない(まあ、きても困るだけなのだが)、ソフトボールでは、私の守っている所ばかりにボールがいき、ミスすれば、みんなからの大非難である。

 

 

なぜある学校で定められた、特定の運動が出来なければならないのだろう。

 

 

また、なぜテストの勉強が出来なければならないのだろう。

 

 

このような特定なものでしか人を評価しない、教育制度が子ども達をむなしくさせているのは確かではないだろうか。

 

 

記憶力だけで、うまく順応できる子だけ。

 

 

先生の求める解答を予測して答えられる子だけが、褒められる。

 

 

おまけに多くの大人が、子どもの興味を制限しようとする。

 

 

 

子どもがテレビゲームばかりやっているなら、テレビゲームは禁止。

 

 

アニメばかり見ているなら、アニメを禁止。

 

 

漫画ばかり見ているなら、漫画を禁止。

 

 

多くの大人が、子どもの勉強以外の集中力というものを認めていない。

 

 

自分の興味も制限され、大好きなものは取り上げられ、禁止され、学校では嫌な授業やテストを強制させられる。

 

 

このような想いを小学校から、ひょっとしたら大学までずっと体験しなければならないのだ。

 

 

競争と比較という荒波に揉まれ、そのもどかしさをどうすればいいかわからず、弱い子にぶつけてしまう子もいるだろう。

 

 

いじめのきっかけなんて、今の教育制度が与えているようなものではないだろうか。

 

 

 

今日はそんなことを考えていた。