近世、室町時代の歌謡集、『閑吟集』にこんな詞がある。
「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
一期とは、人が生まれてから死ぬまでの間のこと、すなわち、人生そのものと言い換えてもいいでしょう。
訳としては、以下『大岡信ことば館』https://kotobakan.jp/makoto/makoto-1256より引用
「なんだなんだ、まじめくさって。人生なんぞ夢まぼろしよ。狂え狂えと」
私はこの詞がとてもロックっぽくって好きです。
当時、この時代は疫病や飢え、医療も科学もない時代で、本当にいつ死ぬかわからない、お先真っ暗の時代でした。
ならば、お先真っ暗ならそれでいい。
その時代の行き詰まりを、お先真っ暗を楽しんでしまおうではないか。
面白くないこの世を面白おかしく渡ろうではないか。
そんな当時の人々の心境が伺えます。
私は目標を立てると、その目標に縛られてしまい、今を楽しめなくなってしまうことがよくあります。
そんな時、この詞を読むと、未来への不安、過去への後悔、そんなくだらない執着をぶち壊し、今、この瞬間を生きる大切さを諭してくれるような気がするのです。
セックス・ピストルズやイギー・ポップのような激しいロックンロールを聞いた時のような、無条件の歓びを感じさせる、とても痛快な詞です。
人間の人生は常に矛盾に溢れています。
現代の医学は進歩しましたが、病人は増え続けています。
いつでもどこでも相手に連絡できる時代になりましたが、返信が遅い、電波が悪いと苛立ちも感じるようになりました。
色んな物が溢れ、豊かになりましたが、日本の幸福度ランキングは一番下から数えた方が早いです。
周りの人からの信頼も厚く、みんなを楽しませていたような人が、不慮の事故で亡くなってしまう。
明日、死ぬかもしれないという現実の中、なぜ生きなければならないのか。
他にも、諸行無常という言葉もあるように、人間の体も思考も状況も、あらゆる物事は常に瞬間瞬間に変化し、安定することがありません。
1秒後の自分と1秒前の自分でも、考えていることは違います。
1時間前に見た花と1時間後に見た花も違います。
食べたらゴミが出るし、服を着たならば、洗わなければなりません。
止まることはありません。
このような現実に直面すればするほどと、矛盾に傷つき、絶望してしまいます。
ならば、矛盾だらけなら矛盾だらけで結構。
矛盾をそのまま受け入れ、この矛盾の中で、面白おかしく生きてやろう。
私たちが人生を問うのではなく、私たちは人生の方から問われているのだ。
このような、逆説的発想を、心理学者ヴィクトール・フランクルは、コペルニクス的転回の発想と述べています。
「どんな時も、人生には意味がある。どんな人のどんな人生であれ、意味がなくなることは決してない。だから私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない」by ヴィクトール・フランクル
「どのような状況になろうとも、人間にはひとつだけ自由が残されている。
それは、どう行動するかだ」by ヴィクトール・フランクル
狂うということは、現実をそのまま受け入れ、面白がる、または、こうじゃなきゃいけないという概念を壊し、面白おかしく生きると言い換えることもできるのではないでしょうか。
セックス・ピストルズのジョン・ライドンが「混沌が俺の哲学だ」と言ったように。
私たちはこの命があるからこそ、生きてるからこそ、挑戦することができる、何度でもやり直すことができるのです。
