こころのおにぎり。 -30ページ目

こころのおにぎり。

心の通訳
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新しい鎧

 

どんな事があっても一生懸命。

転勤族の三人姉妹の

長女として育った私は、

変化の多い子供時代を過ごした。

成人までに7回の引越しを繰り返し、

幼稚園を2つ、小学校を3つ、

中学校を2つ通った。

私が高校になると同時に

父が単身赴任となった。

 

住む家はすべて社宅。

工場に併設されていた事の

多かった社宅には、

多くに家族が暮らしていた。

地方に住んでいたときは、

親が父と同じ工場に勤めている家庭が

クラスの1/3はいたと記憶している。

そんな環境に最短で1年、

長くて4年のペースで

兵庫県から岐阜県までの間を

転々としていた。

 

転勤が決まる度、

両親の子供達への配慮は抜群だった。

「今度の社宅は山社宅と言う名前で、

   山の上の方にあるから気をつけて

   歩かないと坂から転げちゃうぞ」

そんな父の話に、

今度はどんなところに住むんだろうと、

妹達とワクワクしていたのを覚えている。

 

転校する度についてまわること。

それは言葉の壁。

地方であればあるほど方言がきつい。

そして違うイントネーションで話すだけで、

どれだけ目立ち、そして浮いてしまうか。

少なくとも私の場合、

それは必ずといってよい程いじめにつながった。

 

結果私が度重なる父の転勤によって

身につけた能力は、

二日でクラス全員の名前を覚え、

一週間で方言をマスターする

というものだった。

 

もう1つ加えるならば、

今までいた学校と新しい学校の

勉強の進度が違っていても、

習っていないところもなんとなく

理解出来るようになっていたこと。

それは大人になってから、

連続ドラマで見逃した回があったり、

一回のドラマの中で見る事が

できない場面があっても、

なんとなく話を理解出来るという事に

繋がったように思う。

かっこ良く言えば、

全ての材料が揃っていなくても、

いくつかの点をつなげていくことにより、

全体像が見えてくる力が

ついたのではないかと自負している。

その結果かどうかはわからないが、

何があっても最後は上手くいくと

思っていた。

 

小学二年生の頃の記憶がある。

当時通っていた歯医者の先生は

怖いことで有名だった。

治療中、

あまりの痛さと先生の怖さに

頭の中で叫んでいたのは、

「この辛い体験も10年経ったら

    笑い話のネタになる」だった。

10年もまだ生きてない子供が

なぜそんな事を思ったのかは、

今でも不思議だ。

でもそれ以降、

辛い事に出くわす度に

そう思って生きてきた。

 

「何があっても

    私は幸せにしかならない」

根拠のない自信に満ち溢れる大人へと

成長していったように思う。

 

幸せだと思っていた私の生活が

崩れ落ちた後、知り得た事がある。

それは四柱推命で見て頂いた時に

教えていただいた。

小中学校の頃に3回、

とても辛い思いをしているというもの。

それは転校の回数と重なる。

 

実際には引越しや転校という事実は

心にも大きく作用すると教わった。

人によって感じ方は様々だとは思うが、

何もないことはあり得ないらしい。

転校の度に両親の大きな愛によって、

なんともないように思い込んでいた

私を発見した。

 

転勤の内示が出てから

実際には引越すまでの期間は

かなり短かったと記憶している。

母が一週間で引越しの準備をしていた、

と言っていたのを聞いたことがある。

三人の子供を抱えながらの転勤生活は

どれだけ大変だったか、

想像するだけでも目が回りそうだ。

そんな生活の中で私が出来る事といえば、

いい子でいる事だったのだと思う。

と言っても、

まだ幼かった妹達の世話を

しないといけなかったなどという記憶は

ほとんどない。

結構好きな事を沢山していたと思う。

どれだけ両親の愛に

恵まれていたのだろうと、改めて思う。

だからこそ、

さらにいい子でないと

いけなかったのだろう。

 

同じ出来事に出くわしても、

辛いと思うのもへっちゃらだと思うのも、

その時どきによって違うだろうし、

もちろん人によっても違うのだと思う。

私はその中で、

絶えずへっちゃらを選び続けて

いたのかもしれない。

そしてその度に少しずつ新しい鎧を

身に付けていったのだろう。

 

それが私の生きる道となり、

自ら生きづらさを演出していくことに

なったのではないか。

自業自得とはいえ、

幼かった私が必死に生きた

その生き様なのだろう。

問題はそれを解消せず、

同じ生き方を続けてきたこと。

だからこそ生活が破綻するほどまでに

病んでしまったのではないか。

きっとそのぐらいのことがなければ、

脱ぐことができないほどに、

がっちりと鎧の紐を締めていたのだろう。

 

一年前からいい子でいる人生を

卒業しようと思っていた。

自由に生きる。

それを始めようと思っていた。

 

でも、今までだって愛され

自由に生きてきたと思っていた私には、

それが難しかった。

親の愛を否定することに

なるのではないかとの恐れもあった。

人の「心」を学んだ。

子供というもには、

家族が上手く機能するために

自分の役を自ら引き受けるらしい。

それが虐待を受けることであろうと

なんであろうと、自らの命をかけて。

 

やっといい子の鎧を脱ぐ事が出来た。

時間はかかったけれど、

それだけ私も一生懸命だったという事か。

人を恨んではいけない、

感情をぶつけることはよくない。

その枠から出たからといって

傍若無人な私が出てくるとは思わない。

もっと笑って泣いて、

自由に感じて生きる私になるのではないかと、

ほくそ笑んでいる。

 

 

 

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