2011年3月11日、私は職場の一階にいた。
少しずつ揺れだした地震は、どんどんと激しさを増し、もう止まることはないんじゃないかというくらい長かった。
岩手のことが瞬時に頭をよぎって、家族のことが心配でたまらなかった。
上司が気を利かせてくれて、職場の電話を使って何度も電話をかけた。
電話がつながった時、本当に嬉しくて・・。
でもNHKの映像を見た瞬間、否応なく現実が付きつけられる。
津波。
大型の漁船が押し流され、道路の方へ落ちて行った。
空港が、浸水していった。
田畑や家や車を呑みこんでいた。
テレビの前で、逃げて、逃げて、と言っていることしかできなかった。
無力さを痛感した。
あの日から1年。
私は8月に幼い頃から慣れ親しんだ岩手の海を見に行ったが、あの光景は一生忘れない。
知っている場所、建物が消え、何もない平地がただ広がっている。
住んでいた人たちの生活のかけらが、そこらへんに引っかかったり、転がったり、波間に漂っている。
陸前高田には、高田松原のあの一本松が周りに遮るものがないせいか遠く離れていてもものすごい存在感を放っていて、その空気がなんとも言えなかった。
お盆の時期だったせいか、多くの人が訪れていて、ただ海を見つめていたのが印象的だった。
そして、前の日記には書かなかったが、ショックが大きくて、写真が取れなかった場所があった。
釜石の、鵜住居。
小さな頃は単に通過することくらいしかなかった場所だが、被害の状況に目を疑った。
見渡す限り、何もない。
ただ、乾いた土ぼこりが舞いあがるだけで、建物の残骸がちらほらとあるだけだった。
この地区の防災センターには、多くの人が避難したけど、ここに避難したせいで命を落とした人が大勢いた。
逃げることができた人のいる一方で、逃げたはずなのに津波に飲まれて亡くなってしまった人たち。
この無念さは、どこにぶつければいいんだろう。
陸前高田市、釜石市鵜住居、大槌町吉里吉里。
私の中で印象を特に強く刻み込んだのはこの3か所だった。
この3か所は平地で、住宅が密集していたことで余計に津波の被害が大きかった。
他にもいっぱいいっぱい被害にあった場所があったけど、岩手の中では特に印象深くて、ショックだった。
原発事故とか、放射線の見えない恐怖もあるけど、直接的に瞬時に多くの人の命を奪った津波。
大きな大きな宇宙から見れば、単に地球っていう惑星の地殻のプレートが動いて、そのせいで海水が波立って、陸地に押し寄せた、みたいな、そんな簡単な事象なのかもしれないけど、それで失ったものはあまりにも大きくて、悲しくて、悔しいこと。
今でもあの日の映像を見ると、涙が出る。
でもそんな感情を、いつまでも持ち続けていたい。
忘れることは、絶対できない。
一刻も早い被災地の復旧、復興と、亡くなった方々へ改めてお悔み申し上げます。