実家の火災は私と家族の人生に極めて大きな影響を与えました。
今、弁護士さんから電話で支払いが確定したとのこと。
ようやくほっとしましたが、
なんとなくまだ信じられない感覚です。
火災から9年です。
ぼやは酸素不足で火が消えているのに、
煤が家のすべての部屋に広がりました。
一番遠い部屋の箪笥の中まで全てが煤にまみれました。
救急車が到着した時、5分遅れていたら父は亡くなっていたと言われました。
消防署のベテラン職員も、
「なぜここまで被害が広がったのかわからない。
今まで一度も見たことがない。
そもそも、なぜ亡くならなかったのか奇跡。」
とのこと。
写真は最も遠い部屋、母の他界後に父の世話のために私が使用した部屋です。
足跡は、消防署が付けました。
家中、土足で歩き回り、その後が床に擦りつきました。
珍しいケースとのことで、何人もの若手が見にきて
家の中はゴム底靴の後だらけになりました。
火災については学んだことが沢山あります。
ここに記録することで誰かのお役に立てればと思います。
罹災証明を取得するために消防署に提出する書類は困難極まる内容です。
そして被害リストの提出を求められます。
期限は事故から1週間以内。
事故直後は、
・急死に一生を得た父を救急搬送し、入院の手配。
・退院後の入居先の手配。
東京で快適なステイ先を探すのは大変。
何件も見回ることになりました。
・滞在場所がなくなったので毎日、250キロ以上を運転。
という状態。
当時、子供は6歳、入学したて、田畑は春の忙しい時期。
高齢出産ですから、体力がキツかったです。
真っ黒の家から火災保険の書類を探すのも無理。
そもそも掃除する時間がありません。
母が管理していたので、父は記憶もありませんでした。
消防署のリスト作成では、
被害にあったすべての家財を、購入時の価格含めて目録にすることが求められます。
目録にするまでにはまず、掃除が入ります。
でも、対処するのは私一人。
結果的に、火災保険も出てこないし、提出を諦めました。
それが困難の始まりでした。
続く