四六時中・・・・
仕事のことばっかり考えてる・・・・
仕事の虫。
なんだか知らんけども・・・・
昔から思い立ったら即動かないといられないタチだから
「この性格に身体がただ振り回されてるだけなのか?」
なんて思い始めてる。
今になって思うのは、
タイムカードを切ったら
“はい、さよなら~”
出来る会社員だった時のほうがプライベートは充実してたように思う。
やる時とやらない時メリハリが付いてたっていう感じかな?
でも、そんな生き方にサヨナラを告げたくなった時の心境を今になってよく思い返す。
ありきたりの仕事を“こなし”て、そこそこやればそこそこの生活は出来る。
続々と押し寄せて来る仕事を“こなし”ている日々が続くと
どうも仕事に対するモチベーションが下降の一途を辿るようになってくる。
愛妻弁当を片手で突付きながら競馬新聞を広げる上司を前に
表面ではヨイショしつつも、腹の中では全く尊敬は出来なかったような気がする。
そこに自分の近い未来を重ね合わせ、
深い溜め息を漏らしていた頃。
生活という現実を背負い、牙と爪を削ぎ落とされたライオンが
飼い猫のように社内で自分の居場所を求めてウロウロしている光景。
そして社内での陰口大会が始まると、とまらねぇんだこれが・・・・(笑)
野良猫が縄張り争いの喧嘩してるのと何ら変わらないじゃないのよ・・・・
人が集まる所ってどこでも大なり小なりのイザコザとか揉め事って付き物のような気がする。
ただ、どうせ揉めるなら前向きな揉め方をしたほうが絶対に得だと思うし、
お互いの損得勘定の方向性が一致した時の揉め事ならば自分は大歓迎。
率先して揉め事に首突っ込んでみたくなるかもしれない。
例えば、「この会社の利益を上げるには・・・・」
ってな事で揉めるならば、それは物凄く有意義な揉め事だよね。
しかし、足の引っ張り合いとか、既得権益をめぐっての揉め事ってのは
見てて汚らしいとしか思えない。
なりふり構わずお互いの欲望が剥き出しになっちゃって、
まぁー汚らしいったらありゃしないですよ。
今の自民党と民主党みたいな・・・・・・(笑)
猿山の【餌付け】された猿。
あそこのお猿さん達を見てると、どうも不憫、不埒に思えて仕方が無い。
体毛は剥げ、争いの傷跡が体中に生々しく残り・・・
片目がえぐれ、指や耳が噛みちぎられたお猿さん達。
なぜそんな状況になるかと言えば、
“与えていただく”という認識の無いお猿さん達に無闇に餌をばら撒くからいけないと思う。
人間の浅はかな考えで良かれと思ってやっている、愚かな行動の一つかもしれない。
これを人間界に例えるなら、
司法、警察制度の無い渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に、
万札をヘリコプターからばら撒くのと一緒かもしれない。
想像するだけでも恐ろしい事になりそうだし・・・・・。
本来、野生の日本猿というものはとても穏やかな動物だそうだ。
山で木の実や若芽を【自分で獲って】食べ、群れ単位でのんびり平和に暮らすのが本来の姿。
猿山の猿と野生の猿。
どちらの猿が幸せだろうか?
こんな愚問かとも思われないかも?な事に気付いたのは
ちょうど20代の後半ぐらいだったかな・・・・・。
もし、自分に選択権があったとしたら、
おいらは間違い無く後者を選ぶ。
もちろん何処に木の実がなり、何処に餌となり得る食べ物があるのか分からない。
だから今は右往左往、七転八倒してる、相応の時期なのかもしれない。
ま、それはそれで自分の決めた道なので、文句は全く無いけどね。
あれこれと仕事が忙しいけど、何だか清々とした気分でいられるかな。
徳川家康眠る日光東照宮にある“三猿”(見ざる、言わざる、聞かざる)

これを、猿がやってるところが非常に意味深で面白い。
要するに、猿でも出来るってことが言いたいのかな?
表立って見える世界と、その裏にある精神世界。
美輪明弘とか江原さんの世界じゃないけど、
おいらは人の本来あるべき行動をしている人が好きだ。
また、自分も常にそうありたいと思ってもいるし・・・。
そういう人をどうしても自分から求めて行ってしまう・・・・。
猿山の猿と野生の猿。
この話は前に友人と飲んだ時に共通の見解として出てきた内容。
彼とは何年かぶりに会ってもすんなりとお互いの心が同調ってかシンクロするんだよね。
やっぱり自分の世界っていうかフィールドをしっかり持ってる人って
妙に肩に力入ってギスギス、ガツガツしてないし、
筋がしっかり通ってて余裕があるって言うのかな?すごく良いオーラが出てる。
そんな彼が三猿の扇子をプレゼントしてくれました。
いやいや、また一杯食わされましたですわ。(笑)
モフモフ預かりニャンコ↓

仕事のことばっかり考えてる・・・・
仕事の虫。
なんだか知らんけども・・・・
昔から思い立ったら即動かないといられないタチだから
「この性格に身体がただ振り回されてるだけなのか?」
なんて思い始めてる。
今になって思うのは、
タイムカードを切ったら
“はい、さよなら~”
出来る会社員だった時のほうがプライベートは充実してたように思う。
やる時とやらない時メリハリが付いてたっていう感じかな?
でも、そんな生き方にサヨナラを告げたくなった時の心境を今になってよく思い返す。
ありきたりの仕事を“こなし”て、そこそこやればそこそこの生活は出来る。
続々と押し寄せて来る仕事を“こなし”ている日々が続くと
どうも仕事に対するモチベーションが下降の一途を辿るようになってくる。
愛妻弁当を片手で突付きながら競馬新聞を広げる上司を前に
表面ではヨイショしつつも、腹の中では全く尊敬は出来なかったような気がする。
そこに自分の近い未来を重ね合わせ、
深い溜め息を漏らしていた頃。
生活という現実を背負い、牙と爪を削ぎ落とされたライオンが
飼い猫のように社内で自分の居場所を求めてウロウロしている光景。
そして社内での陰口大会が始まると、とまらねぇんだこれが・・・・(笑)
野良猫が縄張り争いの喧嘩してるのと何ら変わらないじゃないのよ・・・・
人が集まる所ってどこでも大なり小なりのイザコザとか揉め事って付き物のような気がする。
ただ、どうせ揉めるなら前向きな揉め方をしたほうが絶対に得だと思うし、
お互いの損得勘定の方向性が一致した時の揉め事ならば自分は大歓迎。
率先して揉め事に首突っ込んでみたくなるかもしれない。
例えば、「この会社の利益を上げるには・・・・」
ってな事で揉めるならば、それは物凄く有意義な揉め事だよね。
しかし、足の引っ張り合いとか、既得権益をめぐっての揉め事ってのは
見てて汚らしいとしか思えない。
なりふり構わずお互いの欲望が剥き出しになっちゃって、
まぁー汚らしいったらありゃしないですよ。
今の自民党と民主党みたいな・・・・・・(笑)
猿山の【餌付け】された猿。
あそこのお猿さん達を見てると、どうも不憫、不埒に思えて仕方が無い。
体毛は剥げ、争いの傷跡が体中に生々しく残り・・・
片目がえぐれ、指や耳が噛みちぎられたお猿さん達。
なぜそんな状況になるかと言えば、
“与えていただく”という認識の無いお猿さん達に無闇に餌をばら撒くからいけないと思う。
人間の浅はかな考えで良かれと思ってやっている、愚かな行動の一つかもしれない。
これを人間界に例えるなら、
司法、警察制度の無い渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に、
万札をヘリコプターからばら撒くのと一緒かもしれない。
想像するだけでも恐ろしい事になりそうだし・・・・・。
本来、野生の日本猿というものはとても穏やかな動物だそうだ。
山で木の実や若芽を【自分で獲って】食べ、群れ単位でのんびり平和に暮らすのが本来の姿。
猿山の猿と野生の猿。
どちらの猿が幸せだろうか?
こんな愚問かとも思われないかも?な事に気付いたのは
ちょうど20代の後半ぐらいだったかな・・・・・。
もし、自分に選択権があったとしたら、
おいらは間違い無く後者を選ぶ。
もちろん何処に木の実がなり、何処に餌となり得る食べ物があるのか分からない。
だから今は右往左往、七転八倒してる、相応の時期なのかもしれない。
ま、それはそれで自分の決めた道なので、文句は全く無いけどね。
あれこれと仕事が忙しいけど、何だか清々とした気分でいられるかな。
徳川家康眠る日光東照宮にある“三猿”(見ざる、言わざる、聞かざる)

これを、猿がやってるところが非常に意味深で面白い。
要するに、猿でも出来るってことが言いたいのかな?
表立って見える世界と、その裏にある精神世界。
美輪明弘とか江原さんの世界じゃないけど、
おいらは人の本来あるべき行動をしている人が好きだ。
また、自分も常にそうありたいと思ってもいるし・・・。
そういう人をどうしても自分から求めて行ってしまう・・・・。
猿山の猿と野生の猿。
この話は前に友人と飲んだ時に共通の見解として出てきた内容。
彼とは何年かぶりに会ってもすんなりとお互いの心が同調ってかシンクロするんだよね。
やっぱり自分の世界っていうかフィールドをしっかり持ってる人って
妙に肩に力入ってギスギス、ガツガツしてないし、
筋がしっかり通ってて余裕があるって言うのかな?すごく良いオーラが出てる。
そんな彼が三猿の扇子をプレゼントしてくれました。
いやいや、また一杯食わされましたですわ。(笑)
モフモフ預かりニャンコ↓
