自分は弱い人間なのだと・・・・
この数ヶ月の間、気持ちの中でかなりの葛藤があった。
人ってのは、弱音を吐きだすと本当に切りが無い。
我が侭という感情もしかり。
“人は究極の状態に追い込まれた時に本性を現す”
それが例えば精神的だったり肉体的だったり、
時と場合によるのかもしれないけど、
そういう時こそやはり器の大小が物を言うのかもしれない。
でも、結局は・・・・
その器の大小というものは“どれだけ人を信じられる?”
っていうものなのかもしれないと思ったよね。
永遠の愛とか、無償の愛・・・・
人々はそれを欲しているけども、
果たして自分はそれを与えているのだろうか?
その対象が何であろうかは人それぞれの範疇なのだけど・・・・。
口で言うのは簡単。
ただ、それを表現したり実行する事のほうが百倍難しい事を理解した上で話すなら別だけどね。
これはあくまでも自論なんだけれども、
人を信じずに生きて行くほうが辛い。
騙すならば騙してくれて結構。
しかし、あえて騙すならば上手に騙せ。
そこらへん、自分では腹括ってるつもり。
自己弁護や自己保身の為の安っぽい言い訳とか、
騙しから入ってくるような人は、はっきり言って好きではない。
人は誰しも“弱さ”とか“不安”という爆弾を抱えながら生きていると思うんだよね。
これは人間に平等に与えられた“課題”なのだと自分では位置付けて
上手く爆弾の信管に触れないようにしながら生きて行こうと思ってる。
爆発させるのをただ抑え付けたり怖がったりするんじゃなくて、
上手に信管を抜き取る方法を考えながら実行に移す・・・・
自分の弱さと真正面からぶつかったら、俺は勝てる自信無いしさ・・・・w
ある意味、自分自身でマインドコントロールしてる節があるのかもね。
ブログのタイトルにある「パラノイア」ってのは
簡単に言うと妄想と現実の区別が付かない精神病という意味。
ただ、これを前向きな捉え方で解釈して「妄想も突き詰めれば現実になるゼ」
という皮肉とか反骨心を込めてネーミングしてるんだよね。
ま、そんなの知ったとこで1円にもならないんだろうけどさ(笑)
そしてあちこちで喧嘩の始まりよ(笑)
自分は安っぽい無意味な喧嘩は買わない。
男に産まれたならば、喧嘩“するべき舞台”はいくらでもある・・・
そう、他人を痛め付けたり、威勢を張るのが本当の喧嘩じゃない事くらい・・・・・・
守るべき人やものの為に喧嘩すんだよね。
ね。
早いもんでさ。
もう春だよ。
中野通りの桜並木を今年も君と。

