一線を越えた先 | Side by Side -- Love Always

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ジェジュン溺愛+ユノ敬愛+チャンミン偏愛の管理人による、彼らを愛でるブログです。



これは私見であり、一個人が自分の思考や気持ちを書いている記事です。

(ただ自分の想いをつづっているだけなので、私見というよりは単なる気持ちのメモ書きのような形になっております)

これを読んだ方に何ら同意を求めるものではありません。

違う考えの方を批判・非難する意図もございません。

自分と異なる考えを不快に感じられる方、人の考えを見るのが好きではない方は閲覧をご遠慮くださいますようお願い申し上げます。



この記事の中では、一切の固有名詞を使っておりません。

私は、もうこれ以上、自分の愛してやまない人の名前をこうした苦しい私見の中に置きたくありません。

大変勝手ではありますが、もしコメントをくださるおつもりの方がいらっしゃいましたら、固有名詞を使用しない形でお願い致します。

固有名詞入りのコメントは公開致しません。


アンチコメントは相手にせずに削除します。


また、私の気持ちは全てここに書いてある通りですので、頂戴したコメントにたいして個別のお返事は致しません。

あしからずご了承願います。








「無邪気」と「無神経」の違いはどこだろう?


ここのところ何日か、そんなことを考えていました。

「無邪気」も「無神経」も、思慮に欠けるという点では同じです。

しかし、「無邪気」は、あどけなく素直で悪気がなく可愛らしいという肯定的な意味を多く含み、一方の「無神経」は、感覚が鈍く他人の気持ちを考えないという悪い意味でよく使われます。

子供の無邪気さを除く、大人にたいして使用する時の、この「無邪気」と「無神経」の違いは何なのか?




かつて、五人が楽しげに活動していたころ、私は彼を無邪気な人だと思っていました。

彼の突飛な行動や発言に笑い、この人はとても愉快な楽しい人だと考えていました。

今にして思えば、そういう彼の無邪気な行為は、おそらく、彼の自分の周囲の状況や気持ちに配慮しない、自分しか見えない、自分の気持ちしかわからないという特性からきていたのだと思います。

しっかりしたマネージメントがついていて、待遇に関する不満以外は何の問題もなく活動できていた時なら、それでも良かったのかも知れません。



しかし今、私は彼を無神経だと感じています。

分裂後も、二人と三人、両方のファンとして彼を見てきて、つくづくそう感じました。

物事を深く考えず、何でも自分の、或いは自分の家族の望むとおりにやる、自分達一家のことが最優先で他の人のことなどいちいち考えない。

人が自分に好意をよせて自分を気にかけてくれても、それは当然。

自分と自分の一家が良ければそれでいい。

彼はそういう人なのだと。



そう考えれば、殆どの彼の言動の説明がつきます。

バッジも、ホテルにまつわる有印私文書偽造+告訴&検察の捜査で所属グループの名を悪いニュースによって広めファンに心配をかけても平気な(謝罪がないことから判断)こと、コンサートでの発言や選曲。

その他もろもろ、これら全て、彼にとっては当然なのです。

彼はそういう人なのですから。




彼の存在を通して、私は「無邪気」と「無神経」の違いについて、一つの結論を出しました。

大人の無邪気と無神経の違いは、愛や思いやりの有無なのではないかと。

その時々、とっさに周囲の状況や気持ちを斟酌することができなくても、心の中に多くの愛があれば、おそらく、その言動は少し違ってくるのではないでしょうか。




たとえば、選曲。

歌手である彼がファンからの要望に応えようと、無邪気に、ただ歌いたいという素直な気持ちであの曲を選んだのだとしても、心の中に愛があれば、もうすぐ兵役につくヒョンのために、応援やねぎらいの言葉がついてきたのではないか、ただ普通に軽く歌うのではなく、もっと何か、違う表現があったのではないか。

常に自分の気持ちを率直に、”無邪気に”発言したり表現できる彼なのですから、もし心の中にそうした想いがあれば、それをあの場で語ることはできたはずではないか。

けれど、彼はそうしなかった。

それはつまり、この曲は彼にとって、他のメンバーの曲のうちの一曲だということ以外の意味はなかったと推察できるのではないか。

私はそんな風に感じました。

この曲がヒョンとファンにとってどういう意味を持つ曲なのか、そんなこと、彼には知る由もないのでしょう。

自分にしか興味がない人ならば、ヒョンのこと、ヒョンの曲のことを、そこまで調べて見聞きして覚えていなくて当然。

彼にとっては、そこまで考えが及ぶ方が異常なのです。





少し前に、彼が「僕の歌」発言をした時、私は怒りと疑問を感じ、それをそのままツイートしました。

その時に、何人もの人と話をして、ふと、自分の中の隠れた気持ちに気づきました。

私がここまで怒りを感じたのは、まだ5人を、彼を含む5人を想う気持ちがあったからなのだと。

彼の到底納得も理解もできない言動に呆れや怒りを感じつつも、今まで、私にとって彼は紛れもなく自分が愛した5人のうちの1人でした。

しかし、もうそれは終わりにします。



私の中で、あまりにも”無神経”な彼は最後の一線を越えました。



私にとって、現在の彼はもう何の意味もない。

だから今後は、彼の言動について、私が何かを語ることはありません。

彼が何をしても、私は何の注目もしない。

何かを目にすることはあるかも知れないけれど、見ても無視します。




私の愛してやまないアーティストが、彼と同じグループを続け、彼の一家が牛耳る事務所をエージェントに使用し続けているという現実があります。

私には賛成しかねる選択ですが、最愛の人がそうするには、おそらく、それなりの理由があるのでしょう。

これから兵役に行く最愛の人の帰りを待つファンは沢山います。

しかし中には、何らかのやむを得ない理由で、或いは、たんに興味を失ったり他に興味を移して、去っていくファンもいるでしょう。

芸能人として生き残っていくためには、一般人には到底推し量ることのできない様々な苦労があるのだと思います。

現在の有様からして、最愛の人はおそらく、そうした事情をすべて考慮して、今の選択をしているのではないかと考えざるをえません。

ならば、それが私にとってどんなに不服な選択でも、ただの一ファンの私にできることは只一つ、自分の出来る範囲でそれについていくことだけ。




そのために、自分がどうしても理解することも許すこともできないものは、不存在として扱うのです。




私は常々、分裂後、片方側だけを応援していたオンリーファンの人達が5人時代のうちの3人や2人を全く存在しなかったように扱うのを不思議に思っていました。

なぜそんなことをするのか、理解できずにいました。

しかし今は少し理解できるような気がします。

これからは、私の心の中の5人に、彼は存在しません。

私にとって、今現在の彼と5人の時の彼は別人であり、一切何らリンクしない。




彼について、今まで様々な意見をのべてきましたが、これからは一切やめます。

存在しないものについて語ることは、無意味であり、時間の無駄だからです。

そして、そうすれば、自分の中に平和が訪れるという利点もあります。





好き嫌いの一線を越えた先にあるのは、存在そのものを否定し、完全に抹消すること。

これが私の結論です。