皆さんは、難民申請と聞いてどのようなイメージをお持ちでしょうか。
以前は戦争や思想などで母国で生きるか死ぬかの迫害を受けている外国人が、日本政府に難民申請をしていると思っていました。
もちろんそんな事情の外国人もいるかもしれませんが、日本で難民申請をする99パーセント以上の外国人が日本で働きたい、家族を呼びたい、日本の健康保険で医療を受けたい等の理由で難民申請をしている事情を知って驚きました。
確かに、有識者の言うとおり、迫害を受けている外国人難民が大使館からビザをもらい、航空券を買って命がけで島国の日本に逃げて来るのは考えにくいですね。
私が日本で難民申請する外国人について考える発端は、4〜5年前に暇つぶしに外国人と友達になれるアプリを何個かインソールし、様々な国の外国人とチャットをした事でした。
何百人の外国人とチャット友達になりましたが、アプリ上にはろくな外国人が現れず、投資詐欺、ロマンス詐欺、難民申請中の日本在住外国人がビザ目的で誰でもいいからと結婚相手を探してる人などなど、、、
余談。ロマンス詐欺のチャット相手の職業設定は、医者、アメリカ軍人、船長、油田開発技術者、紛争地域の活動家など。学歴設定はヨーロッパの有名大学卒、よく花束の写真が送られて来ました。
日本で難民申請しているチャット相手は、T国、P国、S国出身が多かったです。
彼らは自身の就労状況やビザについて、後ろめたいのか詳しく話したがりませんでしたが、アプリでは年齢問わず日本人結婚相手を探していて、配偶者ビザに切り替えるチャンスを探っているようでした。
また、難民申請中の多くの外国人は日本語があまり通じず英語も苦手のようで、翻訳アプリでメッセージを送ってくる人もいました。
日本語が堪能なら学校の奨学金も出るでしょうから留学ビザを選べ、難易度の高い難民申請をする必要がありません。
投資詐欺は圧倒的にC国の人が多かったです。
結論アプリで出会ったチャット相手は変な外国人が大半でしたが、その中の一人に日本語はダメ、向上心がなくおっとりしてるけど、性格だけは抜群に良い日本在住の20代後半のS国人がいました。
そのS国人のA君とは何故か波長が合い、英語でのチャットがスムーズに出来たため仲良くなり、早速相談を受けたのです。
ここから、Aの身の上話です。
数年前、Aは家族や親戚から借金をして現地の出稼ぎブローカーに70〜80万円ほど支払い、日本語学校で日本語を学ぶと留学ビザをもらい来日し、出稼ぎにきました。
来日後は、同じ国籍の留学生5人で部屋を借りて日本語も勉強せず、学校も少ししか出席せず、運送会社、ライン工場などアルバイトに明け暮れ、1週間に28時間以内と言う就労制限時間を守らず、ひたすら稼いだお金を実家に送金しました。
この日本語学校は、後ほどV国人の大量失踪を発生させて行政指導が入りました。
さて、日本語学校の卒業間近になり、本人も学校もいい加減なうえ、日本語能力試験に合格せず、手元に学費用のお金がなく、専門学校(優秀ではない外国人の職業訓練学校のようなもの。仕事で使う日本語、日本のマナー、就労ビザに有利な資格を取らせるので、専門学校を卒業すると就労ビザが取りやすくなる)に願書を出さないまま、卒業してしまいました。
卒業後は更にアルバイトに精を出しましたが、このまま放置すると現保有の留学ビザが切れるので不法滞在になります。そうなると見つからないよう暮らすことになります。
不法滞在し、入管や警察に見つかるまで警察の少ない田舎に行きこっそり働くか仲間に相談したら、難民申請すれば3ケ月か6ケ月の特定活動ビザをもらえ、それを何回も更新すれば、日本で働けると言われました。(難民申請中は働けません。不法就労です)
Aの周りにはビザが切れた不法滞在者や難民申請を繰り返しながら働いてる外国人仲間がいて、虚偽申請のハードルが低かったそうです。
日本人と考えが違い、多くのS国人にとっては人を傷付ける事は悪ですが、目に見えて相手を傷付ける訳ではないと言うことで法律を守らない事を悪いと思わず、遵法意識が低いのです。
また、難民申請不許可になるまで3〜5年かかり、東京入管の管轄(関東)在住者は審査期間に時間がかかるため長く日本に滞在できると噂されてたそうです。
Aは東京の入管へ行き、関東在住の友達の住所を借り、母国に帰ると命の危険があると虚偽の難民申請をしたのです。大昔は本当に迫害されていた人もいたため、宗教や民族対立の弁明がよく使われています。
その後、無事3ヶ月難民ビザ(一時的に滞在するための特定活動ビザ)がおりました。
留学ビザがなくなってから、後ろめたい気持ちで難民ビザを更新しながら1年以上もS国人ブローカーが働く工場で働き、仲介料の名目で、ブローカーに時給1000円のうち100円ピンハネされながらフルアルバイトで不法就労しました。
仕事中に警察官の姿を見ると隠れたり、パスポートを常時携帯するなど緊張の生活でした。
Aは不法就労なので、税金は払っておらず健康保険もありません。自分名義では賃貸アパートも借りることができません。
難民申請中は一時的な滞在のため在留カードはなく、パスポートを携帯します。
また在留カードの期限が切れて長期間新しい在留カードを提示しないと、ゆうちょ銀行での取引停止になり、給料は現金支給、送金はブローカー(地下銀行)です。
そんな生活を続けてから1年半ほど経ち、入管から出頭要請の葉書が届き、事情聴取される事になりました。
期限内に難民だと認められる証拠を出さなければなりませんが、Aを含め多くの難民申請者に勝ち目はありません。不法滞在か帰国するしか日本に残る選択肢はありません。
Aは難民申請したことを改めて後悔し、また当時自分と似た状況で不法滞在していたスリランカ人女性が、名古屋入管施設に収容され、食事や水を拒否したため、(ハンストすれば収容施設から出れると勧められ、従ったと言う説があります)身体が衰弱して亡くなった事故があり、怖くなったと相談してきました。
面会に訪れた弁護士がこの女性に何を伝えたかは本人しか分かりません。
聞いた話では、収容施設から出たいためハンストをしたり頻繁に病院に行きたがる事はよくあるそうです。
さて、Aは自ら探してきた専門学校に入学して再度日本語を学び、人生をやり直したいと真剣に言うので、留学ビザを申請して難民申請を取り消す手続きを支援することにしました。
私は人権活動家ではなく、弁護士や行政書士でもありませんが、Aに人生やり直すチャンスをあげようとこの難題に取り組みました。
法律や書類の書き方を勉強し、東京入管の難民課に足を運び、無事にAのビザを特定ビザ(通称難民ビザ)から留学ビザに切り替えることに成功しました。
余談。忙しいなか親切に回答してくださった入管難民課の方、ありがとうございました。
東京入管の難民申請フロアは大混雑で、一見アフリカ、南アジア… 迫害されてるとは思えない身なりの外国人が並んでました。
Aは長年不法に働いていた会社の社長さんから送別会を開いてもらい(嘘みたいな話ですが)、無事に退職して給料や餞別までもらいました。
社長さんから頂いた餞別は学費に使い、社長さんにはとても感謝しているそう。
余談。外国人ブローカーが人材難の会社に就労ビザのない外国人や不法滞在者を有料仲介することで、有事の際に会社が不法就労なのは知らなかったと弁明するためのようです。
そして、4月からは専門学校へ入学するため愛知県から栃木県へ引越しました。
それから引越、賃貸契約、自動車教習所、就職探し、就労ビザへの切り替えなど節目節目でAのお世話してきました。
その後、Aは新しい学校で日本語を含めてたくさん勉強し、飲食店以外には日本語会話が必要なコンビニのアルバイトも挑戦し、新しい経験を積んで卒業しました。
残念ながらAの日本語能力(読み書き)はあまり上達しませんでしたが、日本語会話だけはできるようになりました。
私からも法律や日本のルール(給料と税金システム、生活習慣、ゴミ出し、買い物の仕方、食品保存方法、節約)など教えました。
ビザと在留カードを頂いてからは日本の法律を守り、留学ビザの就労時間を守り、届出、税金等滞納のないよう真面目に暮らし、学校で就職に有利な資格も取り、自治体からの無利子ローンで教習所へ通い難なく運転免許も取り、なんとか就職も決まりました。
就職してからは、会社規約や給料と各種税金、有給休暇のしくみ等を説明し、外国人あるあるの無断欠勤、安易な退職をする事なく仕事を続けられ、今では会社の欠勤もなく会社の上司先輩とも関係良好だそう。
先日、Aは有給休暇を取って就労ビザを更新しましたが、毎回1年有効なビザしか頂けません。就労ビザが1年なのは毎年入管のチェックが必要な外国人だからです。(ちなみにビザ申請手数料は2025年4月から4000円→6000円に値上がりしました。)
過去の難民申請履歴が入管のブラックリストに載っているのがその理由かもしれません。
Aの周辺には入管に届けず引越し転職したり、給料が少ないからとナイトクラブやコンビニで副業アルバイト(不法就労)、無免許で車やバイクを運転する外国人もいます。
そんな法律を守らない外国人でも、入管から3年や5年の就労ビザを頂いてるようです。
Aがどんなに真面目に頑張って生活しても、入管に難民申請をした罪は重く一生背負わなければならないのでしょうね。
いつの日か、Aが3年就労ビザを頂けることを願う限りです。