読了「ハポン~フィリピン日系人の長い戦後」
知らない事は実に多いものです。
フィリピンに暮らす日系人の存在について、僕は知ってるような知らないような曖昧な認識しかありませんでした。
(サイパンやグアムでもそうでした)
フィリピンのリゾートにまつわるブログをやっている僕ですらそうですから、恐らく多くのみなさんは全くノーマークな事象といえるのではないでしょうか?
戦前、多くの日本人が新天地を求めてフィリピンへ渡りました。
そのほとんどが、地方の農家の二男や三男で、単身南の島で一攫千金を目指すべく海を越えていったそうです。
日本人の労働者は持前の勤勉さで道路の施設や当時マニラ麻と呼ばれたアバカの栽培に果敢に取り組み、次第に勢力を持つようになります。
最大のコミュニテイだったダバオの日本人社会は南洋でも最大の繁栄を誇るほど。
単身でフィリピンへ渡った男たちは地元の娘と結婚、中には有力部族の族長の娘を娶り、政治的にもよりフィリピン社会に溶け込んでいく者もいたそうです。
結果多くの日本とフィリピンの血を持つハーフが産まれることになりました。
そして日本は太平洋戦争へ突入。
他の南洋各地の日本人社会と同様、戦禍に巻き込まれていくことに。
日本人は徴用され兵士となる者もいれば、ハーフのまだ年端もいかぬ少年たちは通訳として日本軍の協力者となっていきます。
フィリピン全土を蹂躙した戦争は終結、日本は敗戦国となりました。
数百年続いたスペイン支配、その後のアメリカ支配。
それに比べると日本によるフィリピン統治はわずか3年と短いのですが、フィリピン住民の日本に対する憎悪の感情はあまりにも大きいものでした。
現地に置き去りにされた日系人たちは迫害を恐れ、日本人の血統を隠しながら山野へ彷徨、息を潜めるような暮らしを余儀なくされました。
そのような暮らし故、十分な教育を受ける機会もなくフィリピンの日系人たちはそのほとんどが最貧困層にあると言われています。
“日本人であることを証明するものがない”という理由で、日本国政府からも見捨てられてしまったフィリピン日系人。
日本はかつて国策として多くの移民を送り出してきました。
南米やアメリカ本土、ハワイ・・・
それぞれの地で多大なる努力を重ねた結果、日系人社会は発展し、成功を収めた方も多々いらっしゃると聞きます。
それに比べると、フィリピンの日系人はその出自さえ隠さねばならぬほどの悲惨な暮らしぶり。
この事実をいったい何人の日本人が知っているでしょうか?
そして、戦争を経験したフィリピン日系人は自分の人生を語ることもなく、その命を終えていく・・・
少しでもフィリピンに興味がある方はぜひ読んでもらいたいルポルタージュです。
まずは“知る”ことから始めましょう。
きっとフィリピンで見える光景が違ってくると思います。
