「9月29日」の言葉を持たぬなんてろかんてろ | LAYZis 隼佑オフィシャルブログ「隼宵一刻」Powered by Ameba

「9月29日」の言葉を持たぬなんてろかんてろ

書いてる段階ではまだ迎えてませんが

今年も無事に生きて9月29日が

恐らく迎えられる

迎えられた

多分

気が変わらなければ迎えられているはず


今回は長い一年であり

個人的には激動な

経験したことのない一年でもありました


思えば去年は自分のイベントが終わって

朝帰ってそのまま引越し

劇的な始まり


あれから一年

実に感慨深い


新しい自分が生まれて一年間生きて来れたのが奇跡に近いような

意外と強い人間かも

とか

折れずに

ブレずに

自分も考えも性格も変えることなく生きて来れたのは

良かったかなと思います


好きな様に好きな人生を送るのは難しい事だけど

間違いなく言えるのは難しいけど可能だと云うこと

毎年同じような話をしてるけど

人生は好きに生きなければ意味がない

勿論、家族を養ったり

誰かの為に生きるのは意味があると思う

でも、それがやり甲斐だったり好きじゃ無いのであれば

それすらも意味がないと

ただ生かされてるだけだと本気で思う

「ただ何となく」が本当に嫌い

だからこそドラマ「若者たち」にはぐっとくるモノがあったのかも知れない

理屈じゃねぇんだよ


「お前たちの幸せが俺の幸せだ」と本気で言える人はどれだけいるのだろうか

この言葉はボクの理想に限りなく近い

「生きる」と云うことに意味はない

歌詞にもしてるけど本当に意味がないと思う

意味のないモノに意味を求めるのは無駄でしかない

ただ、その意味のないモノに自ら意味を「見出だしたり」「作り出す」ことが素敵であり

大切なのではないかと


ボクは音楽があるから、バンドがあるから生きられてるんだなと常々思う

他にも好きな事や趣味はあるけど

本質にこれがあるから、より楽しめるし

辛かろうが苦しかろうが耐えられるんだと思います


バンドは家族

家族は誰に何があろうと一生家族

その家族の幸せが俺の幸せだと言える人間になりたい


また一年

生きて誕生日が迎えられると良いな