愛を伝えるのがラブソングで何が悪い | LAYZis Satoruオフィシャルブログ「想音創夢」Powered by Ameba

愛を伝えるのがラブソングで何が悪い



大事な人へのプレゼントが唄で
何が悪いか


よくプレゼントで
彼がオリジナルのラブソング私に歌ってさー、


ヒクわー


的な話がある。


それの何が悪いって
その彼がその行動に出て


彼女がキモいと思った時点で


あ、違うなと
直感で思ってしまったとする。 


それが福山雅治氏であれば
キャー!!!


となっていたに違いない。


おやおや?




果たして


俺かっこいいだろ?
目線でやっているのかが


女子からすると
そこがキモいポイントなのか


本当に彼がカッコよくないから
キモいと感じるのか


唄をプレゼントするという
行動自体がキモいのか


ナルシストぽいのがキモいのか



そうなってくると
唄をプレゼントされる前までに何故


その彼の事を好いて一緒にいたのか、


そこが気になってくる。


そもそも好きではなかったのか。


そこに愛は無かったのか。


と言うよりそこまで気づかなかった
フシアナ的な目が気になってくる。


フシアナなのは目ではなく心か。


サラッと出来るイケメン男子がやれば
別なのか。


どうしたものか。


そうなってくると本来の唄の価値は
何処に逝ってしまう


というか逝ってしまっている。


僕はまだ個人の女性に
やった事がないのだが


本気でやろうと思った時があったら
やるのかもしれない。


やらないかもしれないけど。


だとしたら先に書くべきなのは
両親に向けて書く唄かなぁ。


今日は父の日だ。

2人が元気なうちに書くべきだ。

愛も伝えられる時に伝えるべきか。


友達へは僕はMarryを書いた。


close friendも友達への唄。
まだ未発表だけど。


ただワンマンを前にして
LAYZisの過去の曲を振り返って聴くと


随分とラブソングを書いている。


言うなればほぼラブソングだ。


想音創夢もラブソング。
霞ですらラブソングだと思っている。


LIFEだってラブソング。


死や生がテーマだと
どうしても愛が絡んでくる。


心にダムはあるのかい?


に繋がってくる。


ラブソングをふざけて書いてはいけない。


ラブソングを鼻で笑わない人に届いて欲しい。 

ラブソングが決して
フシアナじゃない皆には
届いて欲しい。



愛を歌った歌でさえ
君に届かないなら…


ラブソングの本質、捉え方



皆に届けばいいな。