Principle Cubed - Everlasting Friendship(完全版)
[Chapter.III] Episode.2 <月光>
 
 
「も~!鞄の中までびしょ濡れ!あ~、モフルンも乾かしてあげなくちゃ…」
 
身体を拭くには少々頼りない小さなタオルを手にぼやくミライ。
無意識に愚痴るような口調になったのは、大事なモフルンまで濡れていたからなのだろう。
 
入学祝いに買ってもらった手提げ鞄に、明らかに不釣り合いなクマのぬいぐるみのキーホルダー。鞄のデザインとミライの年齢、二重の意味で不釣り合いな事を承知の上で、肌身離さず連れ歩くようにしている。
あれから一度も喋る事のないモフルン。
言葉を交わす事ができなくとも、せめて存在だけは身近に感じられるようにしたい。そんなミライの思いが伝わってきそうだ。
 
鞄から取り外して胸に抱えると、髪と一緒にドライヤの風を当てる。高校卒業を機に伸ばし始めた髪は、中々乾かない。
 
「ミライ、ちょっといいかい?入るよ?…濡れた服、ちゃんと着替えた?」
 
ドライヤの音で気付かなかったようだ。ドアの隙間から控えめに覗いた祖母が「一応ノックしたんだけど」と付け加える。
 
「大丈夫だよ!モフルンも風邪ひかないようにちゃんと乾かしてるからね!」
 
「そう、良かった」と笑いながら部屋に入る祖母。
いつも微笑むように目尻を下げている祖母が笑うと、一層深い笑い皺が刻まれる。
この表情を見る度に思う。
きっといっぱいの幸せを探して、いっぱい笑顔になったから、こういう表情ができるんだろうなと。そして、こんな穏やかな笑顔を湛えられるような、素敵な歳の取り方をしてみたいとも。
 
 
「モフルンももう二十歳だものねぇ。大切にしてくれてありがとうね。…知ってるかしら?あなたが初めてモフルンと出逢った日の事。」
「え?…モフルンも二十歳なの?」
 
ミライに抱かれたままのモフルンを見ながら、感慨深げに話す祖母。
 
「モフルンはね、あなたが生まれた日に、お婆ちゃんがプレゼントしたのよ。」
「私が生まれた日に、お婆ちゃんが?」
「お母さんはまだ目も見えないのに早いって言ったんだけど、傍にモフルンを寝かせるとすごく安心したような表情をしたんだよね。その様子がとても愛らしくて。あなた達はそれからずっと一緒なのよ。」
 
確かに物心付いた時には、既にモフルンと一緒にいた。気付いた時には一緒にいるのが当たり前だったから、誰からいつもらったかなんて考えた事もなかった。
長い間、姉妹のように過ごしてきたから魂が宿ったのか。モフルンとリコと三人で過ごした日々を思い返し、ふと疑問に気付く。
 
「ねぇ、お婆ちゃん?モフルンの胸にエメラルドの宝石が付いてたでしょ?あれも最初から付いてたの?」
「あぁ…あれはね、お婆ちゃんの大事な御守りだったのよ。」
「えっ!?お婆ちゃんの?…でも、どうして?」
「お婆ちゃんはもう十分護ってもらったから、今度は生まれたばかりのあなたを護ってもらおうと思って。実際、あなたったらどんなに泣いててもモフルンに触れると泣き止んで笑ったのよ。…きっとこの頃からモフルンはあなたを護ってくれてたんでしょうね。」
 
質問の趣旨を取り違えたような返答。
 
 
 
 
 
『どうして祖母は<マザー・ラパーパ>が封印されたエメラルドを持っていたのか?』
 
 
怪訝な表情が表に出ていた事に気付き、慌てたように緊張を緩めるミライ。
そんな心中を察してなのか、言葉を整理するようにゆっくりと窓際に移動した祖母が、一呼吸置いて口を開く。
 
「相手の事を思いやる純粋な気持ちっていうのはね、きっと凄い力を秘めてるの。誰かの事を強く思って、繰り返し言葉にすれば、きっとそれは届くんじゃないのかな?
お婆ちゃんはね、そうして手を取り合うように結ばれた心…一つになった心が叶える奇跡を魔法と呼ぶ…そう信じてるの。」
 
そう言って振り向いた顔に、優しい笑い皺が刻まれる。
 
「…お婆ちゃん、あの…変な事聞くけど…もしかして、魔法使い…だった?」
「さて、どうでしょうね?…でも、魔法のような絆で結ばれた旧い友達ならいるわよ。」
「…大切な人だったの?」
「そうね…大切な人だった。とっても。」
「その友達とはどうなったの?」
 
一瞬の沈黙。
僅かに目を伏せた表情が、複雑な感情を物語る。
 
「お婆ちゃんの大切な人はね、未来を護る力…心の力を正しく使える子供を育てるって志を抱いて、遠い国に学校を作ったの。
そしていつか、心が繋げ合う絆の輪を持って、二人の世界を一つにしようって。でも、その再会の約束は未だ果たせず、今もずっと続いてるわ。」
 
居住まいを正して、ミライの瞳をまっすぐ見つめる祖母。
穏やかな微笑みを湛えたままの表情が、逆に胸の奥に眠る哀しみの大きさを際立たせた。
 
「…ねぇ、ミライ?あなたはとっても素直で強い心を持っている。
でも、胸の中に隠した気持ちがあるんじゃない?気付かない振りをして目を背ける事もできるけど、きっとそれは消えない棘になっていつまでも残るでしょう。そしていつか、あなた自身の心を傷付ける事になるかもしれない。」
 
突然自分に向けられた言葉に咄嗟に息を飲むミライ。
落ち着くのを待つように一拍の間を置き、微笑んだままの表情で祖母が続ける。
 
「時間はまだ十分あるかもしれない。でも大人と子供で流れる時間は違う。きっと住む世界…生きる世界が違うのね?二十歳…成人っていうのは単なる節目の言葉じゃないの。いつか何処かでって漠然と思っていても、それはきっと叶わない。そうして心が疲れて、いつか自分の中の狭い世界を飛び越える力を失っちゃうの。」
 
祖母の眼差しに、見た事のない真剣な色が宿る。
 
「ミライ、大切な人がいるんでしょ?逢いたいって願う純粋な気持ちを失くしてなければ、きっと奇跡は…魔法は起きる筈よ?」
 
 
まるで全てを知っているかのような言葉に、呆然となるミライ。
 
その視界の片隅に淡い光が舞う。
開け放した窓から漏れた柔らかな銀光。どこか神秘的な光に誘われるよう、ゆっくりと視線を向ける。
 
 
そこには、窓枠いっぱいに輝く十六夜の月が、微笑んで見えた。
 
 
 
to be continued..