ねぇ、孤独って何かな?
 
人によって定義は変わるよね?
独りでいる事に寂しさを感じる事もあれば、大勢に囲まれていながら理由のはっきりしない孤立感を感じて寂しく思う事もある。
 
あ、寂しさとセットにしたのは、基本的に孤独ってネガティヴなイメージがあるでしょ?
それに寂しいという感情との本能的な関連性も認められるかな?って思って。
ねぇ、どう思う?
 
 
… … …
 
な~んか遠回しな表現。
要するにそれって「寂しくても、私の事思ってれば少なくとも孤独じゃない」って事?
 
あ、目逸らした!ビンゴ?
でも、それだと一人になった時に感じる寂しさの原因も私って事になるのかな?
なんかゴメンね、二重の意味で!ふふふ。
 
でも、確かに孤独って、心の所属問題って側面もあるかもね。
無自覚であっても、特定の誰かとの繋がり…恋愛感情や共感・共通価値なんかへの所属だったり、或いはもっと大きな観念…例えば社会とか民族への帰属意識だったり。
孤独と寂しさってのも何となくパッケージにしたくなるけど、そう考えると必ずしもこの2つはセットじゃなくなるね。
 
 
貴方の「心の所属」って発想は面白いけど、一回話戻すね。
 
さっきの例だと、一般的に後者を孤独だって思う方が多いのかな?
社会とか広義の意味も含めて大勢に囲まれてる方。
 
でもさ?前者の例も突き詰めると、属していた集団から阻害された、或いは集団自体が何らかの理由で消滅した…つまりはかつてあったものがなくなり孤独な状態に陥った。
そういう事なんじゃないかなって。
 
ここから導かれるもの…はい、ここ重要!
最初から独りであれば、孤独を感じる事もない。
少なくとも、孤独を寂しいと思う事はない。
 
ねぇ、ところでこれって成り立つと思う?
「この世界が存在してくれて、ありがとう!」
 
 
… … …
 
ツッコミはやっ!!
 
…ってゆ~か、最初言いかけたの、私がこの世界に存在してくれてありがとう的なやつじゃなかった?
ねぇねぇ、そうでしょ?当たり?当たっちゃった?
 
って、ちょっと顔背けないでよ!
貴方の「話し飛び過ぎ」ってツッコミももっともだけど、ちゃんと戻るからさ!
これだけお願いすればムーミンだってこっち向いてくれるよ?ほら、恥ずかしがらないで。ふふふ。
 
 
じゃあ、さっきの「この世界が存在してくれて、ありがとう!」の話ね。
 
この“世界の上で生じた現象”に感謝する事はできても、“この世界自体が存在する事”に対して真の意味で感謝する事なんてできないよね。
だって、この世界が存在しない世界なんて絶対に経験できないし、きっと想像だってできないでしょ?
 
あ、変な日本語。うまく伝わったかな?
 
感謝すべき事象が生じる土台という意味で世界に感謝するって発想は当然浮かぶけど、それとは別個にその事象自体に感謝の念を抱くだけの判断材料や比較指標が独立して存在する訳で、それを前提にする限り、その事象は土台としての世界とは切り離せる。
勿論その判断材料も同じ世界を土台とする訳だけど、それら全てが世界の上で展開される「上位のコンテンツ」であって、コンテンツありきの感謝であれば、それは“世界自体”とは別の話になるでしょ。
 
例えば、そうだなぁ…
美味しいビーフステーキを食べて、「牧草さん、ありがとう!」って感謝する?
それってつまりは食べられてくれてありがとうって意味で、“牧草自体”への感謝ってのとは違わない?
ん?でも、牧草がない世界ってのは想像不可能じゃないから、ありえなくもない…のかな?
う~ん…それじゃあ、エイジングビーフと時間だったらどう?“時間自体”への感謝とかないでしょ?
 
まぁ、とにかく!この世界の現象は、全て定義と対比で解釈できるんだよね。
逆に言えば、対になる対義的なものを体験できないのであれば、それ自体の体験を定義する事も不可能。
その意味で、百歩譲って牧草はありえても、世界自体への感謝ってのは、感激の余り行き過ぎた勘違いってとこかな?
だから、最初から孤独である事は、世界自体への感謝と同じ。
 
それでも孤独を感じるなら、それは後付けで刷り込まれた、人の価値観が生み出したステレオタイプなイメージなんじゃないのかな?
何らかの集団に属し、広義の社会と連帯して一体感を醸成する事が善き事であり、正しき事である。
例えそれが人為的な強制力であっても、善き人間の凡例みたく普遍性を帯びてくると、集団に溶け込めない落伍者は自ずと劣等感を覚え、孤独と呼ばれるものを感じるようになると。
 
 
… … …
 
そうそう、そういう趣旨!鋭いね!
貴方がまともな事言うの久々に聞いた気がするよ。
 
ん?私がまともな事を言わせてないだけだって?
そうかな?…うん、確かにそうだね。貴方ってホント鋭いよ!
 
え?違う違う、バカになんてしてないって。
何らかの力が強制的な価値観を創り出すからこそ、それに対して孤独という“人為現象”が対義的に炙り出される…私が言いたかった事、まさにその通りだったから。
 
意気投合。そして、孤独ではなくなった。
孤独を創るのが人なら、孤独を消し去るのもまた人である。なんちゃって。ふふふ。
 
 
じゃあ、貴方の言葉を引き取らせてもらって…
 
今でこそ社会との関わり方って、一個人としては個の生産の中で自己完結できる。
結果的に全体に対する自分の位置付けさえ意識する必要がなくなった…誰もそんな事を考えなくなった…考える必要さえなくなった。
まぁ、上位の統合機能をシステムが完全透過的に担っているからこそ、可能になったって言えるんだけどね。
 
でも、一昔前は人が一か所に集まって、集団作業で1つの成果を出すスタイルがスタンダードだったから、どうしてもその前提での生産性…強調だとか平準だとか連帯感とか、集団としての最大パフォーマンスを発揮するために必要なファクタを重視した。
つまりは、集団としての労働力を効率的に再生産するための、都合の良い価値観の押し付け。
敢えて表現を変えるなら、洗脳。
 
だから、孤独は寂しい事である、悲しい事である、避けるべきものである。
そんなネガティヴイメージは、全て人の都合で創り出された、偽りの価値観なんじゃないのかなって。
 
じゃあ、ホントの意味での孤独があったとして、それって体感できないのかな?
 
 
… … …
 
そうだよね。
それでも私たちは孤独を感じる。真の孤独はあるって思う。
 
あるとしたら、きっとそれは何らかの本能に根ざしたもっと根源的なもの。
生存本能と「殺人はいけません」って言うのが突き詰めれば同じものであっても、その是非を問う“議論自体”は別のレイヤになるのと同じかな?
 
私が思うにさ、人って最初から独りである筈がないんだよね?
 
だって、男と女の関係性の中でしか、新たな命は育まれないんだから。
そこに愛はなくとも子は宿るってのは、また別のレイヤの議論。
つまりは、社会性獲得の問題以前に、生物的デザインのレベルで落とし込まれた生殖機能の対義として本能的孤独がインプリンティングされている、…って解釈もありだと思わない?
宮沢賢治って知ってる?そうそう、かつて日本と呼ばれた国家の作家ね。彼の言葉を借用すれば「決して独りを祈ってはいけない」って感じかな。
 
で、あればだよ?
異性に対する寂しさとか、独りでいると押しつぶされそうになる感情。
これって、本能的孤独に当たるんじゃないかな?
 
 
… … …
 
え?そう、かな?
「それでもやっぱり人は集団的生物だから、同じように集団的生存本能としての孤独が備わってる可能性もある筈」…か。
 
う~ん…そうだね。そうかもしれない。
うん。貴方ってやっぱ鋭いね!
 
 
確かに本能って言うと、究極的には種の繁栄のための無味乾燥な集団的機能って別の意味を帯びる可能性はあるよね。
でも、孤独を感じる私は、その本能を前提に成立した私であって、この瞬間のリアルな生の中で確かな実感を持った私でしょ。
私という個の生の中で、集団本能的意思として孤独を回避するように仕向けられる事もあるかもしれない。
でも、それをどう充足させるかってのは、紛れもなく私個人の意思って言えそうじゃない?
 
それにその集団だって、結局は個の集合でしょ。
 
例えば、私と貴方が何らかの集団に属しているとするね。生存率を決定的に左右する太古の狩猟社会の部落みたいなものをイメージしてもらうと分かり易いかな?
もし、その集団から貴方だけがいなくなったなら…
私にとって、その集団が集団であった理由は消滅して緩やかな結合は崩壊する。
そしてきっと、私は孤独へと滑落する。
 
だから、私ね?絶対に貴方を追うと思うよ?
集団の中の一個人としてではなく、今この瞬間の純粋な個である私として、貴方が存在するという「枠組み」の中で生きるために。
例え生存の観点からどんなに不利になろうと、集団的本能に逆らう事になってもね。
 
 
… … …
 
あれ?こういう時も顔背けるんだね?
ほら、もじもじしないでこっち向いて。ムーミンだってできるんだから。
 
え?嘘?
私も顔赤い!?
 
ってゆ~かさ!さっきの私のセリフ、なんかかっこいい響きじゃなかった?
私、すごい!私、天才!私、ノーベル・ロマンチック賞!
…て、照れ隠しなんかじゃないよ。貴方の真似!
 
 
… … …
 
スノークのお嬢さん、こっち向いて?
貴方、中々できるわね。ふふふ。
 
 
ねぇ?やっぱり私たちってさ、孤独に抗う心が願った寂しさの本能を背負った存在なのかな?
愛しき温もりを繋げるために。
 
私ね、貴方がいなくなる事の恐怖、知ってるよ?
きっといなくなったら、寂しさの余り、溶けて無くなっちゃうって思う。
だからこれは、死に至る孤独なの。
 
 
ねぇ、私の恐怖がなくなるまで、私が孤独を忘れられるまで…
 
 
 
 
 
この手、握っててくれる?
 
 
 
【関連】一人きりの緩衝
 
この文章を書いたのが、2016年5月6日。
#まぁ、今回の投稿に際して、集団的本能の件は大幅加筆したけど。後、ムーミンの件も(笑)
 
当カテゴリの文章は、骨組みだけ殴り書きする事が多くて中々思うような完成度にならないため、いつか校正しようと思いつつ公開の時期を逸する内にお蔵入りになるパターンが大多数;
#つか、公開自体が主目的ではないんで、校正するとか正直めんどry)
 
今回は上記エントリのコメントにレスを付けながら、何となく1年と半年振りに関連として投稿する事にしました;
あ~、そう言えばタイトルも全面変更したなぁ。<どーでもいい(笑)