「人は何故,人を殺してはいけないのでしょう ??」
「人は何故,命を粗末にしてはいけないというのでしょう ??」
 
 
生物界としての秩序,全く関係がないであろう。
寧ろ自然界の事を考えるのであれば人は少ない方が好ましい。
 
人間としての理性,これも全く関係がない。
それ以前に理性などと言うものが本当に存在するのであろうか。
 
 
どちらも人の生命活動を維持したいと願う欲求を保護し,正当化する為に
人が人に課する最も根源的な社会規範となっている。
理性を形作る最小構成単位が欲求であり,
源泉は極めて野性的なエゴである。
 
そんな人の持つエゴイズムを最も色濃く反映している
最も巨大なものが社会であろう。
 
 
# この理論で言えば自らの生命活動の維持を望まない人間が
# 他人を殺める行為は当人の中では自然なメソッドとなる。
# そして全ての罪を裁くのは極刑以外に無くなる。
# 最もこの中では罪という概念はナンセンスではあるが。
 
 
 
【22歳 3月14日のキミへ】
仮に自分の子供が自らの死を決意したとして、キミはどんな言葉を投げかける?
ボクは未だに、説得力を持つと確信を持てるだけの言葉を持ち合わせていない。
 
そして、自分自身が死の選択に追い込まれたと仮定して、その時自身を説得するに足る思想すら未だに見つけられずにいる。
 
いつか、ボク自身が語った言葉だ。
 
「それがキミが考え抜いた末の結論であれば、ボクは否定しない。
だからその時は、最後にボクと乾杯しよう。」
 
その結果、思い留まる事があれば、それは何よりの成功例なのかもしれない。
では、自分が逆の立場に立った時、同じように思い留まるだけの何かがあるだろうか?
 
それが、自身の内に見出すべきものなのか、或いは第三者に求めるべきものなのか、それさえボクは答えを出せずにいる。
 
 
#可能性があるとすれば、やはり世界を変えるしかないだろうか?
#無論世界そのものは変わらない。だが、世界観や価値観であれば変える事も可能であろう。
#幸いな事に、自分自身でも第三者でも、時に簡単に価値観の変容をもたらす事が可能だ。