※注
当コンテンツは、2016年1月から放送されたTVドラマ『わたしを離さないで』の感想らしきものです(苦笑)
これまでレビューの類は非公開にしてきましたが、原作者カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞を契機に前にこんなん書いたなと思い出したんで、何となく投稿してみました;
#ごく限られた一部にのみレビュー公開してますが、所謂レビューっぽくないという意見が大勢を占めるので、その意味ではブログにこそ相応しいのかもですが(笑)
本来非公開を前提にしている事もありネタバレも含むので、これから作品に触れようと思っている方はご注意を。

 
 
ねぇ、クローン人間の一生ってどう思う?
 
そうそう、貴方も見た?
昨日放送された『わたしを離さないで』って昔の再生医療に関するドキュメンタリ。
SSBS1の教育チャンネルでこういうアーカイヴが放送される事自体珍しいから、何かと思って最後まで見ちゃったけど、結構なインパクトだったよね?
 
 
… … …
 
うん。そうだね。
古い時代のお話とは言え、非合理としか思えない事もたくさんあったよね。
 
臓器提供のためだけに創られた命…長く生きられない事が運命付けされた人間に対して、どうして養護兼教育施設で共同生活を送らせたのか?
繰り返す臓器移植の中で心身共に疲弊していくクローンの介護人が、どうして同じクローンなのか?
そもそもどうして死ぬ瞬間まで、一人の人間として生きる事を許容したのか?
人が生まれながらに持つ究極の自然法…生きる権利さえ剥奪されてるのに。
 
技術の観点から判断すると、きっとこれはコストの問題。
未分化のES細胞を安定的に再生医療に使えるようになってまだ歴史は浅いから、当時の技術水準を考慮すれば、“教育”で反乱の芽を摘んだ「自立したバックアップ」を低コストで運用した方が安上がりだからね。
クローンを安定供給できれば、成長に合わせて年代別の需給曲線を一致させるのもそれほど難しくないし。
 
勿論、倫理の問題はどれだけ時代が変化しようとも置いておけない問題だけど、これは次のアカデメイアの講義カリキュラムにもあるから一旦置いておくね。
 
 
…って、なんかホッとしてない?
 
あー!もしかして、また私が倫理問題の議論をけしかけると思って構えてたんでしょ!?
失礼しちゃうな~。私、貴方の尊厳に対しても、極めてデリケートに倫理を適用してるつもりよ?一応ね。ふふふ。
 
じゃあ話を戻して、技術以外の観点からすると、どんな意義があったんだと思う?
 
 
… … …
 
あ、珍しい。私も同じ事思ってたよ。
きっと、生まれてきて良かったと思える権利…せめて、その可能性だけは奪わないために。
 
でも、生命さえもプラグマティックに目的論で線引きするこの時代の基準で判断すると、逆に、道具である事の義務と中途半端な人倫をパッケージにするのは、この上なく残酷なエゴだって吐き捨てるんでしょうね。
 
 
… … …
 
そういう割り切り方、貴方らしいよね。
 
確かに、今でも短命を余儀なくされる先天性の病はなくなってないし、後天的能力の優劣に直結する遺伝的ハンディキャップの有無が、生まれた家庭の経済力に大きく左右される現実もそんなに変わってない。
 
当人にしてみれば、死の運命が自然の摂理じゃなくって人為的に強制されるって決定的な違いがあるけど、生まれた時点で、生誕の選択肢もなく、いきなりこの世界に博打のように投げ入れられたって意味では似てなくもないしね。
「ホントは生まれてきたくありませんでした」って言っても、残念ながらその権利はなく、生きる義務だけが強制的に押し付けられる。不幸な一生があったとして、その原因の大半は不可抗力だろうから、突き詰めていけば結局ここに行き着くでしょ?
 
何より、命をプラグマティックに捉えているかどうかは、視点の問題でもあるしね。
貴方はこうして私の隣に居てくれるけど、それも、貴方の生を充実させるために私の命を都合のよい道具にしているって見方もできるわけで。
 
…って、はいはい!何も言わなくてもいいよ!
その憤慨で紅潮した顔を見ただけで、心外だってのはよく分かったから。
まぁ、確かめるまでもなく知ってたけどね?貴方の気持ち。なんちって。ふふふ。
 
 
… … …
 
からかってるそっちこそ、この命を玩具に思ってるんじゃないかって?
違う違う!そんな事ある訳ないじゃない!
ちゃんと、この後の話に繋げるための布石なんだから!ホントホント!
 
え~と、何でしたっけ?
思いを確かめるだっけ?ん~…、そうそう、思いついた!
…え?違うよ、単なる言い間違い!思い出した!
 
 
クローンのみんなに、あなたたちは「天使」だって繰り返すシーンあったじゃない?
 
臓器提供する事で、自らの命と引き換えに見ず知らずの第三者の命を救う。それを生きる意味とか価値に“昇華”させる狙いがあったんだろうけど、私はこれを単純な”洗脳”だとは思いたくないの。
例え、クローンを道具として使う側にとっては、事実上の洗脳に違いなかったとしても。
 
かつての支配の歴史を見ると、呪われた運命に対抗するために神様って概念が作られてきたって言えるでしょ?
あれって結局は“処方箋”であって、創世記みたくこの世界のルーツとして都合の良いルールを記述する目的であったり、ユダヤに代表されるように今の生を耐え忍ぶための慰めだったりする。
ニーチェは、そんな神様を死んだ…お前たちが殺したって言ったけど、彼らクローンに与えられたものを神に準ずるものと見た場合、私はそのどちらでもないと思うんだよね。
 
“救い"を与えるなら、少なくとも希望に変わる何かを提示する必要がある訳だけど、それを放棄してるとしか思えないでしょ。「天使」って言えば聞こえはいいけど、要は誰かのために死んで下さいって言ってるのと同じ。
 
だからきっとあれは“救い”なんかじゃなくって、今の生を「所与の生」として受け入れ、その上で…あるかないかに関わらず…一人の人間として、生きる意味や喜びを見つけるためのスタート地点に立たせた、そんな意義があったって考えられない?
 
それを敢えて神と言うなら、それはニーチェを無神論者だと非難した人間…死んだ神様に縋り続けるホントの意味での無神論者には、決して見る事の叶わなかったホンモノの神様なんじゃないのかな?
うまく言えないけど、掴み取れるかどうか、あるかどうかさえ疑わしい永遠に先送りされた希望の光を消す事で、必然的に今という目先の闇に全神経を向けさせる。
 
乱暴なやり方だけど、ニヒリズムを克服して短い命を少しでも後悔なく過ごせるように仰がせた「毒盃」って感じ?
 
 
… … …
 
何、突然?
分かった!さっきの仕返しで、からかってるつもりなんでしょ?
 
「二人でいられる時を強制的に終わらせるなら、例えニーチェの神であろうと許さない」
貴方はかく語りき…上梓したら案外ウケるんじゃない?ふふふ。
 
 
… … …
 
何?もう、しつこいなぁ。
一緒にいたくない…訳ないに決まってるでしょ!当たり前の事何回も聞かないでよね。
 
そんな事より、ねぇ?
若い頃の情熱とか夢にかけるエネルギー、今でも変わらず持ってる?これからも持ち続けられるって、断言できる?
 
私ね、時々思うの。
 
歳を重ねるにつれて、だんだんと生きる事に鈍感になってく。漫然とした生を過ごす内に、生命力に溢れていた命が、いつしか“死への準備”をするような消耗品の生に変わっていくって。
 
キラキラ瞬く光、その煌めきがあるのは消えてなくなるからこそ…
 
すごく残酷な事言うみたいだけど、あの時代のクローンは、強制的にとは言え“消えてなくなる光”を真に理解していたからこそ…理解せざるを得なかったからこそ、死が訪れる最後の瞬間まで青春の炎を灯し続けられたんじゃないかって。
そう思うと、ちょっと羨ましくもなるかな?
 
ねぇ、煙草一本くれない?
ほら?あったじゃない、煙草持った女性のCDジャケット。『Never Let Me Go』って曲をバックに踊るシーン。なんか歌いたくなってきちゃった。
さあさあ、早く私の手、握って!
 
However can I live without your love?
So hold me tight in your arms, but don’t you say a word
and spoil all this moment, cause this is worth more than forever
 
ごほっ!ごほっ!
 
って、何これ!?マズッ!!よくこんなの平気で吸えるね?
綺麗な空気が何より貴重なご時世に、前時代的な嗜好品を宝物みたいにシガレットケースに入れちゃってさ。ホント信じらんない!
 
…でもさ、こんな思い出でも、宝箱に大事にしまっておけばいつか笑える時もくるよね?
いつか、ホンモノの宝物になる日だって来るかもしれないよね?
私、最後のあのセリフ好きなんだ。
 
『私たちは空の宝箱を抱えて生まれてきて、そこに日々を詰め込みながら歩いていく』
 
誰にも奪う事のできない心の宝箱。それをいっぱいにしてくれる大切な人たち。
例え些細なものであっても、例え一時で終わりを告げられる関係であったとしても、その全てが限られた残酷な生を支える力になる。
それってきっと、過酷な運命を背負ったクローンの人たちだけじゃなくって、生い立ちとか境遇とも無関係に、私たち今を生きる人間にとって等しく同じだよね?
 
 
… … …
 
すごい!私の考えてる事、分かっちゃうんだ!
うん。思い出って、一人じゃ作れないもんね。
 
何でもない記憶がキラキラの思い出に変わるのは、いつも一緒に居てくれる人がいるから。
そんな傍らの存在をいつも眩く思うのも、もしかしたら、いつかは消えてなくなるって知ってるからなのかなって…
 
 
ねぇ、もう暫く、このまま歌っててもいいかな?
こんな風に手を握り合うのって、意識してても中々できないでしょ?
 
ね?お願い!
煙草はもう懲りたけど、せめてこの燃える炎が絶えるまで、もう少しだけこのまま…
 
 
 
わたしを離さないで。
 
 

 
人は皆、与えられた所与の条件の中で、自分にとっての幸せを見つけていく。
如何なるハンディキャップも問題ではない。
 
死地へのカウントダウンを聞かされた者が、私を離さないでと言う。
死を目前に控えた恋人を前に、抱かれた者が、私を離さないでと言う。
 
立場は真逆だ。
でも、求めた幸せの方向性は同じ。
 
クローンとして生き長らえた学園長の姿に、幸せを見つける事はできなかった。
では、当然の権利として与えられた生の中に生きる自分たちはどうであろう?
 
始めるから始める
※ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』
 
仮に、人生の価値を論じる事ができるなら、ここでいう「始める」はこの世に生を授かったという事実ではなく、生に内在する死の意味を自覚した時から始まるのかもしれない。
 
 
命の倫理、運命に対する選択、友情の中に芽生えた葛藤・絶望・愛情、そして限られた生の中で求め続けた生きるという意味。
見どころはたくさんあった。
だがそれ以上に、特殊な設定下にありながらも、ここで描かれたものは自分たちの人生が抱える問題と、全く同じであると強く感じた。
これは、濃縮された人生の中、死の最後の瞬間まで命を燃やし続けた若者たちの“青春”の物語だ。
 
総じて、自分の生を見つめ直し、幸福について再考する契機となったヒューマンストーリの傑作。
 
 
■わたしを離さないで(TVドラマ)
 
■わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)