「証明」
この言葉を聞いて、どのような印象を持つだろうか?
動かぬ証拠を集めて、何らかの事実が真である事を認めさせる行為。
数学の特定命題・自然科学における特定法則を、定理・公理を用いて体系として定立させ真正性を確保する行為。
或いは、ペット等で血統性を保証するもの、なんてものも含まれるかも知れない。
何れにせよ、論理的ステップを踏み、特定の事実が紛れなき真である事を理性において保証し、社会的コンセンサスという意味で広く世に流通させる行為と定義する事ができるだろうか?
この定義に立つ場合、「証明自体」にはさして印象はなく、寧ろ「何を証明するのか」の方が印象においては遙かに重要と思われる。
「国家権力の不正を暴くために、必ずやこの冤罪を晴らし無実を証明してみせる!」
と言うのと、
「クラスの憧れのマドンナのリコーダ(縦笛)を、放課後隠れて吹いた犯人を特定して、その重大犯罪の手口を証明してみせる!」
と言うのでは随分印象が異なるのではなかろうか?(爆)
余談であるが、私は通勤電車の中では、必ず片手で本・片手で吊革を持ちつつ、周囲との空間的適正ポジションを確保する事で痴漢冤罪防止に努めている。
最も、最近は「視心触真揉み」なるものに流行の兆しが見られるので、両手を塞げばそれで無実を証明できるとも限らないのだが…(*''艸3`):;*。 プッ(爆)
まぁ、決してやましい事があるわけではないが、この手の要らぬトラブルに巻き込まれぬ為の自己防衛は惜しむべきではなかろう。
つか、実際のところはこういう人間に限って不運なトラブルに巻き込まれるというか、もしかしたら進化心理学における「悪のライセンス」のような無意識の反動的欲求が働きやすいのかもしれないけど(;・∀・)
これは正しき事を常日頃からやっていれば、その「貯金」を持ってたまには悪い事やっても神様は見逃してくれるんじゃね?、的な一見何とも理不尽で身勝手な理屈と捉えられるが、進化に利するための生物学的適応・発展の過程でインプリンティングされた機能であると言われれば納得できる一面も確かにあるのではないか。
具体的に一例挙げてみよう。
我が社(という表現は嫌いなんだけどw)では、労働組合より不定期に募金やらカンパの依頼が回覧される。
金額にすればたかが100~500円程度であり、募金者の署名と金額記入を強いられる事もあり、大抵の人はそれが当たり前のものとして素直に応じる。
対して私はと言うと、「ユニセフ会員」である事実を利用して、一頻り募金要項を斜め読みして趣旨が伝わってこなかったり、これ使途不明金にならね?的な疑問が僅かでもあれば「ここで募金するくらいなら、その金額をユニセフに回した方がマシ」という言い訳をして、平然と募金を拒否するようにしている。
まぁ、言ってみればあれだ。殺人衝動を抑えきれない凶人とのやり取りで…
「その力、ボクシングに注いでみる気はないかい?」
「俺に殺人ライセンスをくれるって言うのか?ふ…あんたもとんだ凶人だぜ!?」
的なシチュエーションをトレースした気分で、
「ふ…ユニセフよ。俺に悪のライセンスを手交してくれるのかい?」とニヒルな笑みを浮かべるのと状況は同じだろう。
…(ヾノ・∀・`)オナジジャネー(爆)
つか、殺人とか連呼すると何かの検閲にひっかかって募金を求めないといけない立場にならないだろうかとか、震える子猫のような小心的愛玩動物感を胸に抱きながら、若干ギャグ路線に走ってみたが如何だろうw
言っている事は禄でもないが、この「悪のライセンス」身に覚えははないだろうか?
ちなみに「ユニセフ会員」になった動機を聞かれると…
実は「酔っぱらった勢いで殆ど記憶にないままに会員になっていて、その後解約するのも面倒なんで放置している」という事になる(爆)
素直に白状すれば、禄でもなさは更に増すというか、イノセンスな募金が途端にダーティ・マネーに見てくると言うものだろう?(๑•̀ㅂ•́)و✧<意味不明w
まぁ、放っておけば「シャンパーニュ」に変わる文字通りの「泡銭」、ムキになって否定する事は控えるが、どうであろう?
動機なんてものはここでいう「証明」の対象にはなり得ないのではないか?
実際、「酔った勢い」と言う事実をひた隠しにして、私の祖父がスポーツ新聞の勧誘を断りきれずに何部も購読してしまい、家族から糾弾された際に口から出た言葉…
「お…おら、目の不自由な子供たちのためを思って!!」
を拝借すれば、表面的には美麗なエピソードを取り繕う事ができるというものだ(爆)
ちなみにこの結末は、「おらの金をどう使おうと勝手だろう!」の所謂逆ギレを持って1ヶ月後の解約で落ち着いた。
果たして目の不自由な子供の生活がどれだけ改善されたのか疑問は尽きない(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!!(笑)
つまりはまぁ、ここでいう「動機」なんぞ、せいぜい「立場の違いを反映したもの」程度の意味しかないのであろう。
動機を根拠付ける材料を集め立証に向けた行動を取る事もできるが、それは世間の平均値としての共感と、それに基づく過半数的判断を引き出すくらいの意味しかなく、「証明」とは程遠い状態である。
例え吊革を引っ張りながら本を読み、両手が塞がっていたとしても、その本が「アウトドアにおける野営的夜営の基本(帯文句:Vシネの帝王ことフル・フロンタル(正面・丸見え!マルちゃん・正麺!)伍長絶賛www)」というパッと見ジャンルの判断に迷うタイトルで、股間にはしっかりテントが張られていれば、事実に即して痴漢を証明したい「被害者」と、「視心何とか揉み」の未行使を訴え潔白を証明したい「ヴイ・シネマんたる帝王」と、同時に二つの立場が生じる…そういう事だw
…って、二つの立場を説明するのに、股間のテント云々の件と古風呂伍長の登場、ホントに必要だったのかよっ!?( '-' )ノ)`-' )ペチン❤(笑)
まぁ、あんまり痴漢に拘って危険な性癖があると検閲にひっかかって、震えるハムスターよろしくケージに入れられるのも不本意なので、この辺に興味がある人は、全ての男性が見るべき傑作と云わしめた「それでもボクはやってない」でも視聴して下さいm(_~_)m(笑)
【参考】それでもボクはやってない(Yahoo!映画より)
この言葉を聞いて、どのような印象を持つだろうか?
動かぬ証拠を集めて、何らかの事実が真である事を認めさせる行為。
数学の特定命題・自然科学における特定法則を、定理・公理を用いて体系として定立させ真正性を確保する行為。
或いは、ペット等で血統性を保証するもの、なんてものも含まれるかも知れない。
何れにせよ、論理的ステップを踏み、特定の事実が紛れなき真である事を理性において保証し、社会的コンセンサスという意味で広く世に流通させる行為と定義する事ができるだろうか?
この定義に立つ場合、「証明自体」にはさして印象はなく、寧ろ「何を証明するのか」の方が印象においては遙かに重要と思われる。
「国家権力の不正を暴くために、必ずやこの冤罪を晴らし無実を証明してみせる!」
と言うのと、
「クラスの憧れのマドンナのリコーダ(縦笛)を、放課後隠れて吹いた犯人を特定して、その重大犯罪の手口を証明してみせる!」
と言うのでは随分印象が異なるのではなかろうか?(爆)
余談であるが、私は通勤電車の中では、必ず片手で本・片手で吊革を持ちつつ、周囲との空間的適正ポジションを確保する事で痴漢冤罪防止に努めている。
最も、最近は「視心触真揉み」なるものに流行の兆しが見られるので、両手を塞げばそれで無実を証明できるとも限らないのだが…(*''艸3`):;*。 プッ(爆)
まぁ、決してやましい事があるわけではないが、この手の要らぬトラブルに巻き込まれぬ為の自己防衛は惜しむべきではなかろう。
つか、実際のところはこういう人間に限って不運なトラブルに巻き込まれるというか、もしかしたら進化心理学における「悪のライセンス」のような無意識の反動的欲求が働きやすいのかもしれないけど(;・∀・)
これは正しき事を常日頃からやっていれば、その「貯金」を持ってたまには悪い事やっても神様は見逃してくれるんじゃね?、的な一見何とも理不尽で身勝手な理屈と捉えられるが、進化に利するための生物学的適応・発展の過程でインプリンティングされた機能であると言われれば納得できる一面も確かにあるのではないか。
具体的に一例挙げてみよう。
我が社(という表現は嫌いなんだけどw)では、労働組合より不定期に募金やらカンパの依頼が回覧される。
金額にすればたかが100~500円程度であり、募金者の署名と金額記入を強いられる事もあり、大抵の人はそれが当たり前のものとして素直に応じる。
対して私はと言うと、「ユニセフ会員」である事実を利用して、一頻り募金要項を斜め読みして趣旨が伝わってこなかったり、これ使途不明金にならね?的な疑問が僅かでもあれば「ここで募金するくらいなら、その金額をユニセフに回した方がマシ」という言い訳をして、平然と募金を拒否するようにしている。
まぁ、言ってみればあれだ。殺人衝動を抑えきれない凶人とのやり取りで…
「その力、ボクシングに注いでみる気はないかい?」
「俺に殺人ライセンスをくれるって言うのか?ふ…あんたもとんだ凶人だぜ!?」
的なシチュエーションをトレースした気分で、
「ふ…ユニセフよ。俺に悪のライセンスを手交してくれるのかい?」とニヒルな笑みを浮かべるのと状況は同じだろう。
…(ヾノ・∀・`)オナジジャネー(爆)
つか、殺人とか連呼すると何かの検閲にひっかかって募金を求めないといけない立場にならないだろうかとか、震える子猫のような小心的愛玩動物感を胸に抱きながら、若干ギャグ路線に走ってみたが如何だろうw
言っている事は禄でもないが、この「悪のライセンス」身に覚えははないだろうか?
ちなみに「ユニセフ会員」になった動機を聞かれると…
実は「酔っぱらった勢いで殆ど記憶にないままに会員になっていて、その後解約するのも面倒なんで放置している」という事になる(爆)
素直に白状すれば、禄でもなさは更に増すというか、イノセンスな募金が途端にダーティ・マネーに見てくると言うものだろう?(๑•̀ㅂ•́)و✧<意味不明w
まぁ、放っておけば「シャンパーニュ」に変わる文字通りの「泡銭」、ムキになって否定する事は控えるが、どうであろう?
動機なんてものはここでいう「証明」の対象にはなり得ないのではないか?
実際、「酔った勢い」と言う事実をひた隠しにして、私の祖父がスポーツ新聞の勧誘を断りきれずに何部も購読してしまい、家族から糾弾された際に口から出た言葉…
「お…おら、目の不自由な子供たちのためを思って!!」
を拝借すれば、表面的には美麗なエピソードを取り繕う事ができるというものだ(爆)
ちなみにこの結末は、「おらの金をどう使おうと勝手だろう!」の所謂逆ギレを持って1ヶ月後の解約で落ち着いた。
果たして目の不自由な子供の生活がどれだけ改善されたのか疑問は尽きない(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!!(笑)
つまりはまぁ、ここでいう「動機」なんぞ、せいぜい「立場の違いを反映したもの」程度の意味しかないのであろう。
動機を根拠付ける材料を集め立証に向けた行動を取る事もできるが、それは世間の平均値としての共感と、それに基づく過半数的判断を引き出すくらいの意味しかなく、「証明」とは程遠い状態である。
例え吊革を引っ張りながら本を読み、両手が塞がっていたとしても、その本が「アウトドアにおける野営的夜営の基本(帯文句:Vシネの帝王ことフル・フロンタル(正面・丸見え!マルちゃん・正麺!)伍長絶賛www)」というパッと見ジャンルの判断に迷うタイトルで、股間にはしっかりテントが張られていれば、事実に即して痴漢を証明したい「被害者」と、「視心何とか揉み」の未行使を訴え潔白を証明したい「ヴイ・シネマんたる帝王」と、同時に二つの立場が生じる…そういう事だw
…って、二つの立場を説明するのに、股間のテント云々の件と古風呂伍長の登場、ホントに必要だったのかよっ!?( '-' )ノ)`-' )ペチン❤(笑)
まぁ、あんまり痴漢に拘って危険な性癖があると検閲にひっかかって、震えるハムスターよろしくケージに入れられるのも不本意なので、この辺に興味がある人は、全ての男性が見るべき傑作と云わしめた「それでもボクはやってない」でも視聴して下さいm(_~_)m(笑)
【参考】それでもボクはやってない(Yahoo!映画より)
http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A7%E3%82%82%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84/325423/
つか、「ヴイ・シネマんたる帝王」って、こっちの世界での昇格…早っ!?Σ(´∀`||;)
と、時間差ツッコミがビシッと決まったところで、話を戻して…
「動機」が証明対象になり得ないとすれば、ここで証明すべきはやはり「事象」そのものという事になろう。
そしてそれが善行であったのなら、本人の意思とは無関係に第三者が自発的に推察する客観的動機も含めて、同時にモデル化されると想定できる。
結果的に、善行である「事象」を繰り返す事で、いつしか習慣としての「動機」に還元されるのならば、客観的にそれを「善意」と呼ぶ事に何の異論もないだろう。
ボクはそれを「善のライセンス」と呼びたいと思う。
…と程よく綺麗に纏めて、汚れた動機に満ちたダーティ募金のマネーロンダリングが完了したところで、そろそろ本題に当たるシリアスへのターニングポイントとしようか?(爆)
って、また「前振り長いよっ!?」とか非難の声が届く前に、ここらで一つ問いを投げかけてみたいと思う。
「この世界において、最も崇高な証明とは何であろうか?」
今更説明不要だとは思うが、ここから綴られる私見は、メインコンテンツである「新年会で交わされた会話」へと誘導する目的を秘めた極めて恣意的な独断的見解である( '-' )ノ)`-' )ペチン❤ (爆)
一旦読み進める手を休め、是非自分自身にとっての答えを導き出してもらいたい。
漸くシリアスパートへの転換を果たしたところだ。まだまだ先は長い(*''艸3`):;*。 プッ(核爆)
…では先を続けよう。
真実の愛の証明、生きる目的の証明、世界そのものの存在理由の証明なんてものもあるかもしれない。
崇高さが心的イメージに大いに左右される事を前提にすれば、その回答が一つに纏まらないのも当然であろう。
然し確実に複数の人が支持するであろう回答という事であれば、その中の一つに「神の証明」が含まれるのは想像に難くない。
実際に神が存在するかは分からない。
ただ、現実には理性だけでは証明できない到達不可能な超越性の領域が存在する事は間違いない。
そして、神学が神の存在を前提として議論を進めるように、人が全うな生の成就を望む時に美徳的範疇として広義の神の存在を必要とするのもまた事実と言えよう。
然し、ある者は言う。
「神とは弱者の心が生み出したルサンチマンである」と。
またある者は言う。
「その本質は直感と絶対依存の感情であり、神は人々の心の内に降臨する」と。
意識の存在を問う時、心と精神の作用を別物として扱う立場がある。
明確な定義を求められても正直分からないが、漠然と精神の方がより根源的なものである印象だろうか?
似た話しとして、日本語では「霊魂」と言う一つの概念として捉えているものが、世界に目を転じれば「霊」と「魂」を別物と捉える文化は決して少なくない。
心(ゼーレ)と精神(ガイスト)も同じような文化的認識差異であろうか?
何れにせよ、皮膚感覚として理解できるとは言い難い。
それでも人間の内面活動…少なくともその中の重要な一部が、人の身体を媒介として成り立っていると解釈するのは強ち間違いではないだろう。
身体は感覚的ヒュレーの起点となる入力装置であると同時に、自由意志に基づく運動的出力装置でもあり、外界との物体的性質と世界に対する意識の絶対的零基点である事を考えると、身体の在り様を媒介項と捉えるのは自然な気がする。
そして物質としての身体を媒介項として全面に出した場合、身体自体に加え心・自我…私という全てが「この世界において」という前提条件から逃れられない事を意味する。
この意味で、世界とは存在に先立つ…或いは同時に成立する自明的先見世界と、人の心の中で展開される内面世界との二重構造と見なす事ができる。そう言えはしまいか?
これを踏まえた上で先ほどの心と精神の話を改めて思い返すと、或いはこんな考え方もあるかもしれない。
先見世界との境界的制約そのものであるという意味において「身体」を基底として世界と共同的に自らを規定付ける働きと、規定付けられた構造を起点に世界そのものに対する指向性を発揮する内的自己を基底とする働き。
この二重構造の関係性にある両者を区別するための便宜上の呼び分けなのだと。
この世界と自己の二重構造的関係を一旦真と見做して先ほどの「神の証明」を再び見てみよう。
神が各人の心に降臨すると考えると、一つの解を導き出せる。
即ち、人の心が消えてなくなれば同時に神も消えてなくなるが、神が世界から消えても人は決して消えないと。
人の知覚に対する意味付けが内的閉塞活動…内面世界においてのみ為される自己完結的な活動の結果であれば、全ての事象に対して同じ結論が当てはまるだろう。
この事実を持って人の心から「崇高」という概念が消えて無くなる事はない。
だが「崇高な証明」とは、如何様にも意味付けが可能な身勝手で独り善がりな行為に成り下がる。
では、崇高と言う“情報の意味付け”を超えた次元での、意識超越的とも言える真の意味で共通の意味付け・共通の価値観を求める事は不可能なのであろうか?
ボクは思う。
では、同じ心を持って、今ボクの目の前で微笑む「キミという存在」はどうなのであろうと。
ボクが愛する「キミという存在」もまた、自我の類比として”意味付け”された観念としての他我…
ボクの内面世界においてのみ存在可能な、“ボクにとって” の理想と言う名の幻影に過ぎないのであろうかと。
世界と身体…ここには意識による措定的指向の可能性制約としての働きがあると同時に、意識による措定に先立って機能する存在理解に向けた働きがあると思える。
この世界を、今ありありと存在する“世界としての世界”と認識しているのは、人という身体…五感という入力装置による物質性とそれを前提…制約とした意識による意味措定の結果であると言えるからだ。
恐らく、意識が世界を志向するのは、意識自体による働きでなければ、世界そのものによる干渉でもないのだろう。
これを認めてしまえば、ボクもキミも瞬間的に形而上的独断世界に吹き飛ばされ、この試みは失敗に終わる。
では、世界と身体を先見的且つ根源的な相互干渉…両者が揃って初めて両者が成立するような浸透的関係と位置付けるとどうなるであろうか?
意識による積極的な意味付け…即ち自己自身による「自己の対象化」の誘導とその応答が同時生起する世界観をそこに見つける事ができる。
これにより主観とは、根源的所与性において顕在化する事を前提としつつ、顕在化前には与えられないというある種独自の客観的性格を帯びた与件を持つ事になる。
それは同時に「キミ」という他者体験が、主観的内面世界を超克し、複数の主観的性格を内包する普遍的客観世界を樹立する可能性を示唆させる。
然し、「キミ」という存在を自我統合との類比で捉える限り、「内面世界でのみ生きるキミ」という形を脱する事は決してできない。
意識を超え、他我の概念を超え、自身と同じ一つの“主観性”として意識の働きに先行して超越論的に同時共在する可能性を示す事はやはり不可能なのか?
これを踏まえて、改めて問おう。
「この世界において、最も崇高な証明とは何であろうか?」
ボクは迷わず答える。
「キミが確かに存在したという確かな事実を、証明し続ける事である」と。
そしてボク達は、対等な超越的主観の立場として先見的世界を通して同時共在するための可能性を既に手にしている。
ここで、これまでにボクたちが過ごしてきた時間…
とりわけ「新春お見合い大作戦!」の一コマを思い出して欲しい。


「ヴィ・シネマんたる帝王」こと「美来斗利偉・拉麺男(ビクトリー・ラーメンマン)」!?!?Σ(´∀`||;)
そして…
「美しすぎるオルサガプレーヤ」こと「ステンドグラスの美貌 ユキ(仮名w)」!?!?
…って、更にちょっと盛った!?Σ(-`Д´-ノ;)ノ?!
って、チミたち、肥溜めで繋がってたのね?(; ・`д・´)…ゴクリ…(`・д´・ ;)
∧_∧ パーン
( ・∀・)
⊂彡☆))Д´) <…つか、ビチ・グソンタルって、確かワシの団じゃねぇーかっ!?
縮れ麺散らかして何やらかしとんねんっ!?!?(爆)
そして、ステンドグラスの美貌って、何かフラジャイルな響きとモザイク的なニュアンスが秀逸だな?(*''艸3`):;*。 プッ(核爆)
【関連】[9Tの新年会2017] 外伝 ~新春お見合い大作戦~
http://ameblo.jp/layer-zer0/entry-12236205765.html
--- ここから ------------------------------------
※現役JDチャッピーとは編集環境が違うっぽいので、アメブロ仕様というよりもアップローダ制約な気がするから切分けとして他の手段試してみれば?的な事を言ってみるも、自分自身オールインワンなソフトを探し直す気力がなかったり(´-ω-`;)ゞ
…つか、一応はざっくり探したんだけど、変なインストーラ使うパターンだったりオークション用とか目的特化型ばっかりで、我慢して今の環境使い続けた方が寧ろ早いという結論に…orz
※どーでもいいですが、知らんうちにブログエディタがVerUpしててハッシュタグ候補が自動表示される仕様になっていたので、何となくで最初に表示される筆頭候補を呆けた顔のままポチっとしてます( ゚д゚)ポカーンw
【関連】past midnight|オルサガ新年会・2016
http://ameblo.jp/sentaro3/entry-12240786235.html
…ちょ、お、おま、ワシのメールの前半部分だけ都合よく引用してるんじゃねーよっ!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
「~何かそれだけでもないなって思い始めて」から続く後半部分が結論だ!?(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!!(爆)
まぁ、禄でもない結論には違いないから、ここで改めて引用する気もないけど…
つか、新年会なのに何で「2016」なんだよっ!?!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(笑)

【ここまで】
阿乱と真理亜のラブコメ 第3話
今、僕は小洒落たジャケットを纏っている。勿論学校の制服ではない。
普段はラフというのもおこがましい、だらしのない格好をしているだけに、馬子にも衣装という軽いツッコミを期待するのも困難を極める程だ。
道中知人に出会わぬ事を願い胸で十字を切る。いや、家は神道だったか?
正直どうでもよいが、もう1つの僥倖には本気で神に感謝したいと思いつつ、真理亜と共に家を出た。
事の発端はこうだ。
両親が海外出張に行く前に、その間の食事は全て用意しておくと告げられた。
「レンジでチンしてから食べてね」の書置きも10日分用意すると。
どこぞの忘却探偵じゃあるまいしそんな代物は不要だと、しつこく交渉した結果、10日分の食費を渡される事に。
驚くべきはその額、諭吉さんがこんな大兄弟であると始めて知った瞬間だ。
我が家の経済事情に疑問も浮かんだが、恐らく海外で豪遊する負い目なのだろうと、大人の事情を察し、それ以上は尋ねない。
そしてこの大金を上手にやりくりし、10日目の今夜、真理亜をフレンチに誘った。
記念日でもない日に、普段であれば背伸びしても届かないような晩餐。しっかりものの妹が断る事も覚悟していたが、予想外にも怪訝な表情1つ見せず諒承してくれた。
皺1つないシャツにネクタイまで締めているのも、真理亜が用意してくれたものだ。
ドレスコード?意味も分からず言われるがままに身に纏う。慣れない服に手こずる僕に、彼女が手を差し伸べる。
くすぐったい様な感覚が、妙に心地良い。
道中、緊張で不自然な無言が多くなったが、店を目の当たりにすると、緊張はピークを迎える。
有名店ともなると外装にも一層の拘りがあるものだ。何語か分からない店の看板に、妙に威厳を感じる。
世界遺産認定員はきっとこんな気持ちなのだろうと、スケールの小さい事を胸に呟きながら、堂々としている真理亜に感心した。こんな店につれて来てくれる誰かがいるのだろうか。
邪推する気持ちを無理矢理抑え、見よう見まねのエスコートで店内に。
メインイベントであるべき食事は、正直、何を口にしたのか余り覚えていない。
マグレカナールにフォアグラと、凡そ庶民には無関係であろう逸品に、気の利いた一言でも添えられれば良かったのだが、緊張と浮ついた気持ちが、僕に咀嚼を忘れさせた。折角の食事を、エネルギー摂取のみの行為に変えさせたようだ。
はっきりと覚えているのは、丁寧に磨かれたカトラリー。
その満月のような鏡面に映った、真理亜の横顔に見とれてしまった永遠の一瞬だけだ。
帰り道、街は赤と緑の電飾に溢れている。どこもクリスマスムードだ。
毎年変わるイルミネーションの群れ。2度と訪れないこの瞬間の風景を、瞳に刻もうと思わさずにはいられない。そして改めて思う。
記念日だから特別な行為が必要?そうじゃない。
真理亜と一緒なら、毎日を記念日にする事もできる。きっと。
我ながら気障な台詞に照れ笑いを浮かべ、隣を歩く存在に全神経を集中した。
今この瞬間を忘れないように...
【編集後記という名の著者解説】
今回は最初に、前回の第2話を、マリアしゃんに伝えた結果から話すとしよう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというやつだ(違)
(中略)
話を戻そう。
前回の第2話を受けて、ドキドキハートを要請したところ、
「最後の商品紹介が広告みたいなので、ノーハート」
…という心無い回答が帰ってきた。きゃほい(›´ω`‹ )
エロい…エロいぞ!裸エプロンのインパクト並みにエロ過ぎるぞ!?
これに「若妻」というステータスが加われば、サードインパクトの発生もほぼ確定的だろう!?Σ(´∀`||;)(謎2)
再び話を戻そう。
そして思い出してもらいたい。
本企画は、ラノベ風恋文の形を借り、楽天SSで購入した商品を紹介する企画である。
つまりは、広告NGは企画自体の全面否定を意味する。
エロい…エロ過ぎるぞ…もう「若妻」通り越して、「幼な妻」だよ、奥さん!?Σ(-`Д´-ノ;)ノ?!(爆)
幼な妻の発達前の身体の曲線に、ジャストフィットするエプロンはないかもしれないけど、僕なら君の心の如何なる紆余曲線にも、ジャストフィット&ソフトタッチ&ランアンドガンできるぜっ!?!?(謎3)
いい加減にしてくれ。三度話を戻そう。
そこで私は考えた。そうこれ以上ないという程に真剣に考えた。
徹夜で「はふん。はふん!」と煩悶し、十分な睡眠を取った後、ものの数秒で方程式の解を導き出した!
広告形式を廃止し、代わりに文章の中に幾つかのキーワードを散りばめる。そして、読者自身に購入物を当ててもらうというクイズ形式だ!
理性は神からの贈り物。これは人類の心の空白を補完する、素数に次ぐ大発見に違いない!?
すげー!俺すげーよ!?俺天才だよ!?٩(ˊᗜˋ*)و (謎4)
これ以上の脱線は認めない。許さない。カルビーかっぱ行かせん(謎5)
そして当初の予定では、本作品は全3話構成の予定であった。
当然だ。
如何に楽天SSと言えど、水や炭酸水を紹介されたところで、ウォーター女子とか、伏流水女子とか、マイナスイオン女子とかが相手でない限り、萌え上がらないだろう?(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!! (謎6)
紹介できる購入物が無尽蔵にある訳でもなく、この時点で既に、当初予定の最終話の執筆を終えていた。
そこに、急遽のクイズ企画への方針転換により、挿入話的に執筆したのが、この"新"第3話だ。
最終話公開目前に余儀なくされた方向転換。
ここに記すは、恋に溺れ、愛に盲目し、答えなき自由に怯え、ただただ足掻き続けた、一人の愚者の恋愛の奇跡(Q.E.D)
-----------------
ちなみに、第3話の購入品は、カトラリー!
CONRAN SHOPに実物を見にいき、一目で惚れ込み、テーブルセッティングを想像しながら、買う機会を窺い続けた一品。
この美しさ・実用性には、流石の我が家人も感嘆の言葉しか出なかった!
そして既に、別のシリーズ・カラバリを購入する許可も下りている(笑)
Cutipol Moon Mirror
#ちなみに、カトラリーの他、フォアグラブロック/ マグレカナールも購入している。
#要するに、何かしらそれらしいものを答えれば正解するボーナス問題だ。
##これもまた、僕の愛の形www
【ここから】

フリーターの金子徹平(加瀬亮)は、通勤ラッシュの電車で女子中学生から「痴漢したでしょ」と訴えられてしまう。まったく身に覚えのない金子は、話せば分かってもらえると思い、大人しく駅の事務室に行った。しかし、「ボクはやってない!」という訴えもむなしく、そのまま警察に連行されてしまう。その日から、留置所暮らしを余儀なくされた金子の無実を訴える戦いが始まった。
裁判制度の問題点を浮き彫りにし、現代の日本における“裁判”の現実を突きつける社会作。
つか、「ヴイ・シネマんたる帝王」って、こっちの世界での昇格…早っ!?Σ(´∀`||;)
と、時間差ツッコミがビシッと決まったところで、話を戻して…
「動機」が証明対象になり得ないとすれば、ここで証明すべきはやはり「事象」そのものという事になろう。
そしてそれが善行であったのなら、本人の意思とは無関係に第三者が自発的に推察する客観的動機も含めて、同時にモデル化されると想定できる。
結果的に、善行である「事象」を繰り返す事で、いつしか習慣としての「動機」に還元されるのならば、客観的にそれを「善意」と呼ぶ事に何の異論もないだろう。
ボクはそれを「善のライセンス」と呼びたいと思う。
…と程よく綺麗に纏めて、汚れた動機に満ちたダーティ募金のマネーロンダリングが完了したところで、そろそろ本題に当たるシリアスへのターニングポイントとしようか?(爆)
って、また「前振り長いよっ!?」とか非難の声が届く前に、ここらで一つ問いを投げかけてみたいと思う。
「この世界において、最も崇高な証明とは何であろうか?」
今更説明不要だとは思うが、ここから綴られる私見は、メインコンテンツである「新年会で交わされた会話」へと誘導する目的を秘めた極めて恣意的な独断的見解である( '-' )ノ)`-' )ペチン❤ (爆)
一旦読み進める手を休め、是非自分自身にとっての答えを導き出してもらいたい。
漸くシリアスパートへの転換を果たしたところだ。まだまだ先は長い(*''艸3`):;*。 プッ(核爆)
…では先を続けよう。
真実の愛の証明、生きる目的の証明、世界そのものの存在理由の証明なんてものもあるかもしれない。
崇高さが心的イメージに大いに左右される事を前提にすれば、その回答が一つに纏まらないのも当然であろう。
然し確実に複数の人が支持するであろう回答という事であれば、その中の一つに「神の証明」が含まれるのは想像に難くない。
実際に神が存在するかは分からない。
ただ、現実には理性だけでは証明できない到達不可能な超越性の領域が存在する事は間違いない。
そして、神学が神の存在を前提として議論を進めるように、人が全うな生の成就を望む時に美徳的範疇として広義の神の存在を必要とするのもまた事実と言えよう。
然し、ある者は言う。
「神とは弱者の心が生み出したルサンチマンである」と。
またある者は言う。
「その本質は直感と絶対依存の感情であり、神は人々の心の内に降臨する」と。
意識の存在を問う時、心と精神の作用を別物として扱う立場がある。
明確な定義を求められても正直分からないが、漠然と精神の方がより根源的なものである印象だろうか?
似た話しとして、日本語では「霊魂」と言う一つの概念として捉えているものが、世界に目を転じれば「霊」と「魂」を別物と捉える文化は決して少なくない。
心(ゼーレ)と精神(ガイスト)も同じような文化的認識差異であろうか?
何れにせよ、皮膚感覚として理解できるとは言い難い。
それでも人間の内面活動…少なくともその中の重要な一部が、人の身体を媒介として成り立っていると解釈するのは強ち間違いではないだろう。
身体は感覚的ヒュレーの起点となる入力装置であると同時に、自由意志に基づく運動的出力装置でもあり、外界との物体的性質と世界に対する意識の絶対的零基点である事を考えると、身体の在り様を媒介項と捉えるのは自然な気がする。
そして物質としての身体を媒介項として全面に出した場合、身体自体に加え心・自我…私という全てが「この世界において」という前提条件から逃れられない事を意味する。
この意味で、世界とは存在に先立つ…或いは同時に成立する自明的先見世界と、人の心の中で展開される内面世界との二重構造と見なす事ができる。そう言えはしまいか?
これを踏まえた上で先ほどの心と精神の話を改めて思い返すと、或いはこんな考え方もあるかもしれない。
先見世界との境界的制約そのものであるという意味において「身体」を基底として世界と共同的に自らを規定付ける働きと、規定付けられた構造を起点に世界そのものに対する指向性を発揮する内的自己を基底とする働き。
この二重構造の関係性にある両者を区別するための便宜上の呼び分けなのだと。
この世界と自己の二重構造的関係を一旦真と見做して先ほどの「神の証明」を再び見てみよう。
神が各人の心に降臨すると考えると、一つの解を導き出せる。
即ち、人の心が消えてなくなれば同時に神も消えてなくなるが、神が世界から消えても人は決して消えないと。
人の知覚に対する意味付けが内的閉塞活動…内面世界においてのみ為される自己完結的な活動の結果であれば、全ての事象に対して同じ結論が当てはまるだろう。
この事実を持って人の心から「崇高」という概念が消えて無くなる事はない。
だが「崇高な証明」とは、如何様にも意味付けが可能な身勝手で独り善がりな行為に成り下がる。
では、崇高と言う“情報の意味付け”を超えた次元での、意識超越的とも言える真の意味で共通の意味付け・共通の価値観を求める事は不可能なのであろうか?
ボクは思う。
では、同じ心を持って、今ボクの目の前で微笑む「キミという存在」はどうなのであろうと。
ボクが愛する「キミという存在」もまた、自我の類比として”意味付け”された観念としての他我…
ボクの内面世界においてのみ存在可能な、“ボクにとって” の理想と言う名の幻影に過ぎないのであろうかと。
世界と身体…ここには意識による措定的指向の可能性制約としての働きがあると同時に、意識による措定に先立って機能する存在理解に向けた働きがあると思える。
この世界を、今ありありと存在する“世界としての世界”と認識しているのは、人という身体…五感という入力装置による物質性とそれを前提…制約とした意識による意味措定の結果であると言えるからだ。
恐らく、意識が世界を志向するのは、意識自体による働きでなければ、世界そのものによる干渉でもないのだろう。
これを認めてしまえば、ボクもキミも瞬間的に形而上的独断世界に吹き飛ばされ、この試みは失敗に終わる。
では、世界と身体を先見的且つ根源的な相互干渉…両者が揃って初めて両者が成立するような浸透的関係と位置付けるとどうなるであろうか?
意識による積極的な意味付け…即ち自己自身による「自己の対象化」の誘導とその応答が同時生起する世界観をそこに見つける事ができる。
これにより主観とは、根源的所与性において顕在化する事を前提としつつ、顕在化前には与えられないというある種独自の客観的性格を帯びた与件を持つ事になる。
それは同時に「キミ」という他者体験が、主観的内面世界を超克し、複数の主観的性格を内包する普遍的客観世界を樹立する可能性を示唆させる。
然し、「キミ」という存在を自我統合との類比で捉える限り、「内面世界でのみ生きるキミ」という形を脱する事は決してできない。
意識を超え、他我の概念を超え、自身と同じ一つの“主観性”として意識の働きに先行して超越論的に同時共在する可能性を示す事はやはり不可能なのか?
これを踏まえて、改めて問おう。
「この世界において、最も崇高な証明とは何であろうか?」
ボクは迷わず答える。
「キミが確かに存在したという確かな事実を、証明し続ける事である」と。
そしてボク達は、対等な超越的主観の立場として先見的世界を通して同時共在するための可能性を既に手にしている。
ここで、これまでにボクたちが過ごしてきた時間…
とりわけ「新春お見合い大作戦!」の一コマを思い出して欲しい。

古風呂伍長のラーメンを「アリアドネの糸」という名の引き立て役と見做して、世界線を越えて繋がる絆w
「何度生まれ変わっても貴方以外目に入らないの!私…来世も貴方と一緒になりたい!!(翻訳w)」
と願う心の叫び!(σ・∀・)σゲッツ!!❤(爆)
世界と身体が相互に「自己対象化」を促すように、同じ世界に投げ入れられ、同じ世界の制約を受けて、同じ論理構造を持って成立するキミとボクとの間にも、意識に先立つ先見的働きとして同様の「自己対象化」への誘導が行われていると仮定するならば。
同じ先見的世界より生起し、同じ五感を持ち、同じ指向様態を持つからこそ、意識の自我統一の類比を超えた存在感を放ち、同じ心を宿すものとして共存できる。
果たしてこの見解が正しいかなんて分からない。
でも、神の本質が直感と依存感情であるのならば、これもまた“心による一つの選択”と捉えても、誰にも咎められるものではないだろう。
この瞬間に、「キミという存在」はボクの内的世界のみで存在する観念から、同じ先見的世界の上で共に生きる実在に変わる。
そして、ボクは聞く。
「私を離さないで…私を忘れないで…」
その存在自体が、ボクという世界に向けて放つ心の叫びを。
∧_∧ パーン
( ・∀・)
⊂彡☆))Д´) <…って、何を高尚にっ!?
お見合いイベって単なる悪ふざけの産物じゃね~かっ!?(爆)
そう、これは決して高尚な考察などではない。話は至ってシンプルだ。
人の意識からキミの存在が消えようとも、キミは確かにこの世界に存在する。
そして、キミの存在がこの世界から消えようとも、ボクの心に宿ったキミという存在は消えない。
ボクは、この世界で、確かにキミを選んだから。
ここに残すのは、心・身体…その存在の全てを持って仲間を認め続けた「存在証明」の記録である。
「存在証明」とは、今この瞬間に存在する事を証明するのみの一面的行為ではない。
そこには「確かにここに存在していた」という喪失に対する抵抗としての不在証明も含まれる。
一口に喪失と言っても、その意味するところは多岐に渡るだろう。
例え先見的世界に根を張る実在が失われたとしても、そのミラーである自身の内面世界の観念的実在は永遠不滅だ。
この意味において、世界の二重構造はある種のバックアップ機構を備えているとも言える。
では、このバックアップ…誰に対して、何に対して利点をもたらすか、考えてみてもらいたい。

世界と身体が相互に「自己対象化」を促すように、同じ世界に投げ入れられ、同じ世界の制約を受けて、同じ論理構造を持って成立するキミとボクとの間にも、意識に先立つ先見的働きとして同様の「自己対象化」への誘導が行われていると仮定するならば。
同じ先見的世界より生起し、同じ五感を持ち、同じ指向様態を持つからこそ、意識の自我統一の類比を超えた存在感を放ち、同じ心を宿すものとして共存できる。
果たしてこの見解が正しいかなんて分からない。
でも、神の本質が直感と依存感情であるのならば、これもまた“心による一つの選択”と捉えても、誰にも咎められるものではないだろう。
この瞬間に、「キミという存在」はボクの内的世界のみで存在する観念から、同じ先見的世界の上で共に生きる実在に変わる。
そして、ボクは聞く。
「私を離さないで…私を忘れないで…」
その存在自体が、ボクという世界に向けて放つ心の叫びを。
∧_∧ パーン
( ・∀・)
⊂彡☆))Д´) <…って、何を高尚にっ!?
お見合いイベって単なる悪ふざけの産物じゃね~かっ!?(爆)
そう、これは決して高尚な考察などではない。話は至ってシンプルだ。
人の意識からキミの存在が消えようとも、キミは確かにこの世界に存在する。
そして、キミの存在がこの世界から消えようとも、ボクの心に宿ったキミという存在は消えない。
ボクは、この世界で、確かにキミを選んだから。
ここに残すのは、心・身体…その存在の全てを持って仲間を認め続けた「存在証明」の記録である。
「存在証明」とは、今この瞬間に存在する事を証明するのみの一面的行為ではない。
そこには「確かにここに存在していた」という喪失に対する抵抗としての不在証明も含まれる。
一口に喪失と言っても、その意味するところは多岐に渡るだろう。
例え先見的世界に根を張る実在が失われたとしても、そのミラーである自身の内面世界の観念的実在は永遠不滅だ。
この意味において、世界の二重構造はある種のバックアップ機構を備えているとも言える。
では、このバックアップ…誰に対して、何に対して利点をもたらすか、考えてみてもらいたい。

…うわっ!何この喪失感!?Σ(-`Д´-ノ;)ノ?!
つか、やっさん!
ワシ、捨てられてないもんねー!?!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(笑)
ここから一旦一番下まで下がって、上に向けて読み進めて下さい。
そう例えるのならば、アリアドネの糸という名の熱々ラーメンを、スープに絡ませながら下から上に躍らせるようにw
貴女と私はこの世界において、互いに共にある事を望んだ結果、今こうして手を取り合う事ができるのです。
さあ、同じ世界で出逢えた奇跡を喜び、熱々のフラメンコを踊りましょう!
貴方と私が織り成す情熱と言う名のたぎるスープ。舞い上がる情愛がもたらす一時の夢。
さあ!この上昇気流に乗って、次の世界へ!(๑・ิω・ิ๑)yー~❤
「ふ…私を差し置いて、ラーメンなどとは片腹痛いわっ!?!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン」
…そ、その肥えは…!?(; ・`д・´)
↑悪意ある誤変換w

つか、やっさん!
ワシ、捨てられてないもんねー!?!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(笑)
ここから一旦一番下まで下がって、上に向けて読み進めて下さい。
そう例えるのならば、アリアドネの糸という名の熱々ラーメンを、スープに絡ませながら下から上に躍らせるようにw
貴女と私はこの世界において、互いに共にある事を望んだ結果、今こうして手を取り合う事ができるのです。
さあ、同じ世界で出逢えた奇跡を喜び、熱々のフラメンコを踊りましょう!
貴方と私が織り成す情熱と言う名のたぎるスープ。舞い上がる情愛がもたらす一時の夢。
さあ!この上昇気流に乗って、次の世界へ!(๑・ิω・ิ๑)yー~❤
「ふ…私を差し置いて、ラーメンなどとは片腹痛いわっ!?!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン」
…そ、その肥えは…!?(; ・`д・´)
↑悪意ある誤変換w


「ヴィ・シネマんたる帝王」こと「美来斗利偉・拉麺男(ビクトリー・ラーメンマン)」!?!?Σ(´∀`||;)
そして…
「美しすぎるオルサガプレーヤ」こと「ステンドグラスの美貌 ユキ(仮名w)」!?!?
…って、更にちょっと盛った!?Σ(-`Д´-ノ;)ノ?!
って、チミたち、肥溜めで繋がってたのね?(; ・`д・´)…ゴクリ…(`・д´・ ;)
∧_∧ パーン
( ・∀・)
⊂彡☆))Д´) <…つか、ビチ・グソンタルって、確かワシの団じゃねぇーかっ!?
縮れ麺散らかして何やらかしとんねんっ!?!?(爆)
そして、ステンドグラスの美貌って、何かフラジャイルな響きとモザイク的なニュアンスが秀逸だな?(*''艸3`):;*。 プッ(核爆)
【関連】[9Tの新年会2017] 外伝 ~新春お見合い大作戦~
http://ameblo.jp/layer-zer0/entry-12236205765.html
--- ここから ------------------------------------
※現役JDチャッピーとは編集環境が違うっぽいので、アメブロ仕様というよりもアップローダ制約な気がするから切分けとして他の手段試してみれば?的な事を言ってみるも、自分自身オールインワンなソフトを探し直す気力がなかったり(´-ω-`;)ゞ
…つか、一応はざっくり探したんだけど、変なインストーラ使うパターンだったりオークション用とか目的特化型ばっかりで、我慢して今の環境使い続けた方が寧ろ早いという結論に…orz
※どーでもいいですが、知らんうちにブログエディタがVerUpしててハッシュタグ候補が自動表示される仕様になっていたので、何となくで最初に表示される筆頭候補を呆けた顔のままポチっとしてます( ゚д゚)ポカーンw
【関連】past midnight|オルサガ新年会・2016
http://ameblo.jp/sentaro3/entry-12240786235.html
…ちょ、お、おま、ワシのメールの前半部分だけ都合よく引用してるんじゃねーよっ!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
「~何かそれだけでもないなって思い始めて」から続く後半部分が結論だ!?(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!!(爆)
まぁ、禄でもない結論には違いないから、ここで改めて引用する気もないけど…
つか、新年会なのに何で「2016」なんだよっ!?!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(笑)

【ここまで】
阿乱と真理亜のラブコメ 第3話
今、僕は小洒落たジャケットを纏っている。勿論学校の制服ではない。
普段はラフというのもおこがましい、だらしのない格好をしているだけに、馬子にも衣装という軽いツッコミを期待するのも困難を極める程だ。
道中知人に出会わぬ事を願い胸で十字を切る。いや、家は神道だったか?
正直どうでもよいが、もう1つの僥倖には本気で神に感謝したいと思いつつ、真理亜と共に家を出た。
事の発端はこうだ。
両親が海外出張に行く前に、その間の食事は全て用意しておくと告げられた。
「レンジでチンしてから食べてね」の書置きも10日分用意すると。
どこぞの忘却探偵じゃあるまいしそんな代物は不要だと、しつこく交渉した結果、10日分の食費を渡される事に。
驚くべきはその額、諭吉さんがこんな大兄弟であると始めて知った瞬間だ。
我が家の経済事情に疑問も浮かんだが、恐らく海外で豪遊する負い目なのだろうと、大人の事情を察し、それ以上は尋ねない。
そしてこの大金を上手にやりくりし、10日目の今夜、真理亜をフレンチに誘った。
記念日でもない日に、普段であれば背伸びしても届かないような晩餐。しっかりものの妹が断る事も覚悟していたが、予想外にも怪訝な表情1つ見せず諒承してくれた。
皺1つないシャツにネクタイまで締めているのも、真理亜が用意してくれたものだ。
ドレスコード?意味も分からず言われるがままに身に纏う。慣れない服に手こずる僕に、彼女が手を差し伸べる。
くすぐったい様な感覚が、妙に心地良い。
道中、緊張で不自然な無言が多くなったが、店を目の当たりにすると、緊張はピークを迎える。
有名店ともなると外装にも一層の拘りがあるものだ。何語か分からない店の看板に、妙に威厳を感じる。
世界遺産認定員はきっとこんな気持ちなのだろうと、スケールの小さい事を胸に呟きながら、堂々としている真理亜に感心した。こんな店につれて来てくれる誰かがいるのだろうか。
邪推する気持ちを無理矢理抑え、見よう見まねのエスコートで店内に。
メインイベントであるべき食事は、正直、何を口にしたのか余り覚えていない。
マグレカナールにフォアグラと、凡そ庶民には無関係であろう逸品に、気の利いた一言でも添えられれば良かったのだが、緊張と浮ついた気持ちが、僕に咀嚼を忘れさせた。折角の食事を、エネルギー摂取のみの行為に変えさせたようだ。
はっきりと覚えているのは、丁寧に磨かれたカトラリー。
その満月のような鏡面に映った、真理亜の横顔に見とれてしまった永遠の一瞬だけだ。
帰り道、街は赤と緑の電飾に溢れている。どこもクリスマスムードだ。
毎年変わるイルミネーションの群れ。2度と訪れないこの瞬間の風景を、瞳に刻もうと思わさずにはいられない。そして改めて思う。
記念日だから特別な行為が必要?そうじゃない。
真理亜と一緒なら、毎日を記念日にする事もできる。きっと。
我ながら気障な台詞に照れ笑いを浮かべ、隣を歩く存在に全神経を集中した。
今この瞬間を忘れないように...
【編集後記という名の著者解説】
今回は最初に、前回の第2話を、マリアしゃんに伝えた結果から話すとしよう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというやつだ(違)
(中略)
話を戻そう。
前回の第2話を受けて、ドキドキハートを要請したところ、
「最後の商品紹介が広告みたいなので、ノーハート」
…という心無い回答が帰ってきた。きゃほい(›´ω`‹ )
エロい…エロいぞ!裸エプロンのインパクト並みにエロ過ぎるぞ!?
これに「若妻」というステータスが加われば、サードインパクトの発生もほぼ確定的だろう!?Σ(´∀`||;)(謎2)
再び話を戻そう。
そして思い出してもらいたい。
本企画は、ラノベ風恋文の形を借り、楽天SSで購入した商品を紹介する企画である。
つまりは、広告NGは企画自体の全面否定を意味する。
エロい…エロ過ぎるぞ…もう「若妻」通り越して、「幼な妻」だよ、奥さん!?Σ(-`Д´-ノ;)ノ?!(爆)
幼な妻の発達前の身体の曲線に、ジャストフィットするエプロンはないかもしれないけど、僕なら君の心の如何なる紆余曲線にも、ジャストフィット&ソフトタッチ&ランアンドガンできるぜっ!?!?(謎3)
いい加減にしてくれ。三度話を戻そう。
そこで私は考えた。そうこれ以上ないという程に真剣に考えた。
徹夜で「はふん。はふん!」と煩悶し、十分な睡眠を取った後、ものの数秒で方程式の解を導き出した!
広告形式を廃止し、代わりに文章の中に幾つかのキーワードを散りばめる。そして、読者自身に購入物を当ててもらうというクイズ形式だ!
理性は神からの贈り物。これは人類の心の空白を補完する、素数に次ぐ大発見に違いない!?
すげー!俺すげーよ!?俺天才だよ!?٩(ˊᗜˋ*)و (謎4)
これ以上の脱線は認めない。許さない。カルビーかっぱ行かせん(謎5)
そして当初の予定では、本作品は全3話構成の予定であった。
当然だ。
如何に楽天SSと言えど、水や炭酸水を紹介されたところで、ウォーター女子とか、伏流水女子とか、マイナスイオン女子とかが相手でない限り、萌え上がらないだろう?(ノシ`・ω・)ノシ バンバン!! (謎6)
紹介できる購入物が無尽蔵にある訳でもなく、この時点で既に、当初予定の最終話の執筆を終えていた。
そこに、急遽のクイズ企画への方針転換により、挿入話的に執筆したのが、この"新"第3話だ。
最終話公開目前に余儀なくされた方向転換。
ここに記すは、恋に溺れ、愛に盲目し、答えなき自由に怯え、ただただ足掻き続けた、一人の愚者の恋愛の奇跡(Q.E.D)
-----------------
ちなみに、第3話の購入品は、カトラリー!
CONRAN SHOPに実物を見にいき、一目で惚れ込み、テーブルセッティングを想像しながら、買う機会を窺い続けた一品。
この美しさ・実用性には、流石の我が家人も感嘆の言葉しか出なかった!
そして既に、別のシリーズ・カラバリを購入する許可も下りている(笑)
Cutipol Moon Mirror
#ちなみに、カトラリーの他、フォアグラブロック/ マグレカナールも購入している。
#要するに、何かしらそれらしいものを答えれば正解するボーナス問題だ。
##これもまた、僕の愛の形www
【ここから】

※補足
お雑煮(餅なし)@鍋ごと&フォアグラのパイ包み&ウォッカの豪華絢爛ディナーの図w
これに「マリアージュ フレール」のフレーバーティでもあれば、至宝のエリクシールの誕生でしょ?(*´∀`)
って、ウォッカとの相性へのトドメの一撃になるよっ!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(爆)
まぁ、マリア(聖母)、フレール(同胞)、スピリッツ(魂)の語感には、それなりのマリアージュ感なくもないけどね?(*''艸3`):;*。 プッ
それよか諸君!気付いたかい?
ここで使われているカトラリーだ!٩(ˊᗜˋ*)و
お雑煮(餅なし)@鍋ごと&フォアグラのパイ包み&ウォッカの豪華絢爛ディナーの図w
これに「マリアージュ フレール」のフレーバーティでもあれば、至宝のエリクシールの誕生でしょ?(*´∀`)
って、ウォッカとの相性へのトドメの一撃になるよっ!?( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン(爆)
まぁ、マリア(聖母)、フレール(同胞)、スピリッツ(魂)の語感には、それなりのマリアージュ感なくもないけどね?(*''艸3`):;*。 プッ
それよか諸君!気付いたかい?
ここで使われているカトラリーだ!٩(ˊᗜˋ*)و
もしやこれは知る人ぞ知るあの伝説的神話が賦与された幻の…!?(; ・`д・´)…ゴクリ…(`・д´・ ;)<知らんわw
この辺から板で交わされる会話のボリュームが一気に少なくなるので、水増し問題ナッシング!と言うか平準化できて寧ろナイス!ってなノリで、カテゴリ違いに臆す事なくこのカトラリーに纏わる物語を転載します(爆)
ここからはまた上から下に文章の流れが逆転します。
沸きたてのお湯をティーポットに落とし、茶葉をジャンピングさせるように、心も上下に躍らせながら読んで下さい。
この1杯はボクのために、この1杯はキミのために、そしてこの1杯は未来のために!(*゚⚙͠ ∀ ⚙͠)ノ❣
…(ヾノ・∀・`)ナイナイwww

この辺から板で交わされる会話のボリュームが一気に少なくなるので、水増し問題ナッシング!と言うか平準化できて寧ろナイス!ってなノリで、カテゴリ違いに臆す事なくこのカトラリーに纏わる物語を転載します(爆)
ここからはまた上から下に文章の流れが逆転します。
沸きたてのお湯をティーポットに落とし、茶葉をジャンピングさせるように、心も上下に躍らせながら読んで下さい。
この1杯はボクのために、この1杯はキミのために、そしてこの1杯は未来のために!(*゚⚙͠ ∀ ⚙͠)ノ❣
…(ヾノ・∀・`)ナイナイwww

