信頼とは双方が互いに同等の信頼関係を結ぶ事で成り立つ。
片方だけであれば迷惑な押し付け程度の脆い関係にしかならないであろう。
しかしその事に気付く術は無い。
単向の信頼が盲目的にさせ,不透明なものにさせるのかもしれない。
加えて絶対条件として
相手の真意を読み取れる事も挙げる事が出来るであろう。
これらの条件を満たす事は非常に難しい事であろう。
そして維持する事は更に難しく,現実には言葉の比ではないだろう。
# この定義を持ってすると信頼とは
# 酷く不安定で危険な関係になる。
【22歳 3月5日のキミへ】
これは「信頼」と「信頼関係」の混同による意識的な弊害かもしれないね?
「恋愛観」と「結婚観」の混同が時に男女間に悲劇を招くのと同じように。
信頼も愛情も、共に無形の超越的概念って言えるよね。
神を信仰するという事は、人の及ばない超越な力・絶対的権威を志向する事とは違うんじゃないかと思う。
きっと、神の有り様を思索し超越性に参与する事で、個の利害を超えた観念・視点を獲得する行為じゃないのかな?
そうであれば、信頼も愛情も神も、全ては求める事に非ず。
少なくとも精神的にそういう姿勢を持つ事ができれば、外部に向けるこれらの信仰に対する臆病な態度も、多少は払拭できるのかもしれないね。
#宗教が人類全体の方向性を指向するものだとすれば、このアプローチは信頼・愛情にも適用できる筈だ。
片方だけであれば迷惑な押し付け程度の脆い関係にしかならないであろう。
しかしその事に気付く術は無い。
単向の信頼が盲目的にさせ,不透明なものにさせるのかもしれない。
加えて絶対条件として
相手の真意を読み取れる事も挙げる事が出来るであろう。
これらの条件を満たす事は非常に難しい事であろう。
そして維持する事は更に難しく,現実には言葉の比ではないだろう。
# この定義を持ってすると信頼とは
# 酷く不安定で危険な関係になる。
【22歳 3月5日のキミへ】
これは「信頼」と「信頼関係」の混同による意識的な弊害かもしれないね?
「恋愛観」と「結婚観」の混同が時に男女間に悲劇を招くのと同じように。
信頼も愛情も、共に無形の超越的概念って言えるよね。
神を信仰するという事は、人の及ばない超越な力・絶対的権威を志向する事とは違うんじゃないかと思う。
きっと、神の有り様を思索し超越性に参与する事で、個の利害を超えた観念・視点を獲得する行為じゃないのかな?
そうであれば、信頼も愛情も神も、全ては求める事に非ず。
少なくとも精神的にそういう姿勢を持つ事ができれば、外部に向けるこれらの信仰に対する臆病な態度も、多少は払拭できるのかもしれないね。
#宗教が人類全体の方向性を指向するものだとすれば、このアプローチは信頼・愛情にも適用できる筈だ。