人は多くの時において何らかの集合に属している。
形あるシステムの場合もあれば
意識下の集団の場合もある。
そして大抵の場合何らかの集合に加わる事を望んでいるようだ。
少なくとも私は周りに幾多もの集団が存在していれば
一人でいる事に多少なりとも孤立感を覚える。
しかし集団に属する事で必ずしも集団意識を持てるものでもないであろう。
集団に入る事で一層孤立する状況も生まれる事がある。
だからこそ人は自分が所属する事の出来る集合を絶えず探している。
その結果個人の属する集合は動的なものとなり不定となる。
これが原始の時代共生の道を生命が選択した事による
遺伝的で原子的な欲求であるならば
集合から逃れる術はないのであろうか。
自己の中に完全で確固たる思考空間を築き上げれば
或いは集合の影響力も弱まるのかもしれない。
【22歳 2月17日のキミへ】
自分自身が境界線を持つからこそ、集団と個、両者の区別が可能だ。
集団もまた明確な境界線を示すのであれば、恐らくは集団に属しながら感じる孤立感・孤独感は存在しないだろう。
そうであれば、集団に属するとは、自己の境界線を頼りに、集団という朧気な属性的枠組みを探り、それに属する別の個のメタ的枠組みとの位置関係を把握する行為に当たるだろうか?
そして、集団の中で生じる孤立とは、既に集団に属していない事にさえ気付けない、或いは気付くための有効な術がない事に起因するのだろうか?
例えるなら、そうだな…こんなのはどうだ?
真っ白な定規に、でかでかと「I Love You」と描く。
本来の目的を超え、昨今のエコ路線に反する、もはや無駄にでかいだけが取り柄の定規だ。
それを愛しき人にプレゼントする。
そして、伝える。
「これが俺の愛の大きさだよ?その定規で測ってみなよ?」
定規で、その定規自体を測ろうとする行為。
それの愚かしさに気付かないのは、実に愚かだ。
…ん?いや、待てよ?
も、もしや…「測りきれないこの気持ち」…という意味…なのか?(; ・`д・´)ゴクリ
形あるシステムの場合もあれば
意識下の集団の場合もある。
そして大抵の場合何らかの集合に加わる事を望んでいるようだ。
少なくとも私は周りに幾多もの集団が存在していれば
一人でいる事に多少なりとも孤立感を覚える。
しかし集団に属する事で必ずしも集団意識を持てるものでもないであろう。
集団に入る事で一層孤立する状況も生まれる事がある。
だからこそ人は自分が所属する事の出来る集合を絶えず探している。
その結果個人の属する集合は動的なものとなり不定となる。
これが原始の時代共生の道を生命が選択した事による
遺伝的で原子的な欲求であるならば
集合から逃れる術はないのであろうか。
自己の中に完全で確固たる思考空間を築き上げれば
或いは集合の影響力も弱まるのかもしれない。
【22歳 2月17日のキミへ】
自分自身が境界線を持つからこそ、集団と個、両者の区別が可能だ。
集団もまた明確な境界線を示すのであれば、恐らくは集団に属しながら感じる孤立感・孤独感は存在しないだろう。
そうであれば、集団に属するとは、自己の境界線を頼りに、集団という朧気な属性的枠組みを探り、それに属する別の個のメタ的枠組みとの位置関係を把握する行為に当たるだろうか?
そして、集団の中で生じる孤立とは、既に集団に属していない事にさえ気付けない、或いは気付くための有効な術がない事に起因するのだろうか?
例えるなら、そうだな…こんなのはどうだ?
真っ白な定規に、でかでかと「I Love You」と描く。
本来の目的を超え、昨今のエコ路線に反する、もはや無駄にでかいだけが取り柄の定規だ。
それを愛しき人にプレゼントする。
そして、伝える。
「これが俺の愛の大きさだよ?その定規で測ってみなよ?」
定規で、その定規自体を測ろうとする行為。
それの愚かしさに気付かないのは、実に愚かだ。
…ん?いや、待てよ?
も、もしや…「測りきれないこの気持ち」…という意味…なのか?(; ・`д・´)ゴクリ