今日は久しぶりに寝起きがすっきりしていた。
そんな事もあってか久しぶりにつまらない考え事をして
今日の日記のネタにでもしようかと思っていたのだが
いざ書こうと思うとすっかり忘れてしまっていた。(^_^;
まぁ,今日に限った事ではなくよくある事なのではあるが。(爆

と,まぁ,こんな事を書いてみたところで全く日記になっていないので
ちょっぴりこんな日常的な記憶の忘却を延長して
日記にでもしてみようか。(^_^;


人の記憶など曖昧以外の何物でもない。
覚えた事も時間が経てば次第に薄れてゆくのは自然な事であるし
別の情報と混在され歪んだ情報として記憶される事も多い。
# 実際何時の間にか間違って記憶している事もあるし
# 記憶に一切残っていない出来事も多い。(核爆

更に驚くべき事に人間と言う奴は(まぁ,人の事は言えないのであるが;,)
自分に不都合な記憶は無意識に(?)
記憶を書き換えたり,無かった事にしてしまう事もあるらしい。
精神的ショックで一時的な記憶喪失に陥ったり
記憶の混乱があるのもその一例であろう。


まぁ,そんなこんなでつまりは人間の記憶の信頼性は
信頼に足る程の精度を持っていないのである。

私という存在の記憶が幾人かの記憶にはあるかも知れない。
しかしそれもいつまで素直な記憶でいられるのかは分からない。
# まぁ,私の知るところである筈も無いのではあるが。(^_^;
人に物を教えたり,道を指し示したり出来るのは
その人の生きた人生の軌跡を示すしかないようだ。

そこにあった事は事実かも知れないが
記憶にない事は当人にとっては現実ではない。
もともと無かったのなら割り切れるかも知れない。
しかしあったものが時間の経過と共に無くなっていくのは
余りにも悲し過ぎないだろうか。
素晴らしい人生を謳歌しよう等とは思わない。
それでも願わくば記憶よりも記録に残る事をしてみたいものだ。
しかしそれが出来るのは極一部の人間である事も理解している。
それは私が平凡で月並みで有り触れた凡人に過ぎない事を本能的に実感している事を意味する。
だからこそ人はせめて人の記憶に残るようにあがくのかも知れない。

何も出来ない私はこうして日記に残す事で何かを残してゆこう。



【22歳 2月12日のキミへ】
貴方は私の記憶の中で、美しい姿を留めたまま永遠に生きる。

多少の使い古された感は否めないが、それでも美しいレトリックだ。
そして、人が記憶の中で生きるというのは、ある意味正しいとも思う。
今生の別れに際して。それだけじゃない、頻繁に逢える状況下でもきっと同じ。

敢えて俗っぽく言うと、例えば…
好きな人がいるとする。どうしようもない程好きで、気付くとその人の事ばかり考えている。
声を聞きたい、髪を撫でたい、抱き寄せてみたい、鼓動を感じていたい。
これだってきっと、認識の中での写像モデルを強化する行為だ。

本質的には記憶の中のキミと同じ。
故にその美しさは、永遠に色褪せない。


#これを内向きのアプローチと捉えるのなら、外向きのアプローチは、例え貴方の記憶の中だけでも存在できるのなら本望というところか?
#そして、現実には、せめて記憶の中だけは美しくありたい。そう願うのが限界だ。
#幸いにもこの願いは、記憶の非信頼性により強化される傾向があるようだ。
#これは人が、そう願い続けた故か?

##って、これじゃまるで、LINEの魔手ゲスランそのものだな?(*''艸3`):;*。 プッ